球審の勘違いが生んだ珍事件 「4ボール」から本塁打を打った選手は?

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は「勘違い」が原因で起こった、プロ野球の珍事件エピソードを取り上げる。

プロ野球 巨人・吉村禎章=1985年 写真提供:産経新聞社

プロ野球選手も人間、ときには「うっかり」することもあります。しかし、長年プロ野球を観ていますが、こんなプレーは初めて観ました。

9月3日、甲子園球場で行われた阪神-ヤクルト戦。ヤクルト1点リードで迎えた7回ウラ、1死一・三塁のピンチに、ヤクルト・高津監督は3番手・マクガフをマウンドに送りました。マクガフは中谷を三振にとり、ここまでは問題なかったのです。

続くバッターは近本。2球目に一塁走者の陽川が二盗を試み、ヤクルトバッテリーが無警戒だったこともあって、やすやすと盗塁に成功。捕手・西田は二塁に送球すらしませんでした。……これが災いのもとに。マクガフは、この二盗に気付いていなかったのです。

2死二・三塁となったのに、「一塁・三塁」と思い込んでいたマクガフは、一塁にパッと牽制!……ところが、ランナーがいない。まさか牽制球が来るとは思っていなかった一塁手・坂口も捕球できず、ボールが一塁側ファールゾーンを転々とする間に2者が生還。阪神が4-3と逆転し、そのまま逃げ切ったのです。

もし坂口がこの牽制球を捕球していれば、単なる「ボーク」(走者がいない塁に牽制)で、走者は1つずつ進塁。それなら同点で済みました。ここで、1つ疑問が湧きます。「この一塁牽制はボークなのだから、進塁は1個だけ。たとえ悪送球になっても、二塁走者は2個先のホームまで進めないのでは?」ということです

高津監督も念のため「テイク1ベースでは?」と審判に確認していましたが、回答は「進塁は問題なし」。野球規則にはこうあるからです。「投手がボークをして、しかも塁または本塁に悪送球した場合、塁上の走者はボークによって与えられる塁よりも余分の塁へアウトを賭して進塁してもよい」……今回のケースも、カバーに入った選手が本塁に送球し、二塁走者へのタッチが間に合っていれば「アウト」になったわけです。

劣勢だった試合をタナボタでものにした阪神にとっては、首位・巨人との4連戦を前に大きな1勝となり、まさに「マクガフ様々」。逆にヤクルトにとっては、何とも後味の悪い敗戦となりました。

この「勘違い」で再び話題になったのが、17年前、2003年5月21日に行われた巨人-ヤクルト戦での珍事です。野球ファンの間では、いまなお「伝説」になっていますから、覚えている方も多いでしょう。

この試合は、東京ドームではなく福岡ドームでの開催でした。巨人が1点リードしていた6回表、1死一、二塁の場面で、巨人・レイサムがレフトフライを捕球。「よし、ツーアウト」と巨人ベンチが胸をなで下ろした次の瞬間、信じられないことが起こります。

レイサムは何と、キャッチしたボールを左翼席へ投げ入れてしまったのです。アウトカウントを一死ではなく二死と勘違いしていたため、これでチェンジと早合点。ファンサービスのつもりが、騒然とする周囲の様子を見て、レイサムは初めて自分の犯した失態に気付きました。しかし、ときすでに遅し……。

野球規則では、送球がスタンドまたはベンチに入った場合、「走者は2個の進塁が与えられる」とあり、このルールに則って二塁走者はホームインし同点。一塁走者は三塁に進み、2死三塁で試合再開となりました。これでもし負けていたら、レイサムはファンから袋叩きに遭っていたでしょうが、幸い、巨人はこの試合に勝っています。

ただし、無失点で好投していた巨人・高橋尚成にとっては、完封を逃す痛いプレーになりました。その瞬間、ヒザに両手をつきマウンドでガックリとうなだれた高橋の姿は、いまも記憶に残っています。ちなみに、このときの巨人の指揮官は原監督(第1次)で、レイサムの“スタンド送球”について「何と説明していいのか。頭に血が上った状態だった」とコメント。レイサムも、ベンチに帰りたくない気分だったことでしょう。

レイサムもそうですが、プロ野球の「勘違い」で多いのは、カウントの思い違いです。ときには球審が、ボール・ストライクのカウントを勘違いするケースも。一昨年、2018年8月9日に行われた広島-中日戦で、3回ウラに打席に立った広島・鈴木誠也は、フルカウントで投じられた8球目を見逃しボール。本来なら四球ですが、なぜか球審は「これで3-2」と勘違い。鈴木も気付かず、試合はそのまま進み、結局鈴木は10球目を打って二塁ゴロに倒れました。

実は、中日バッテリー(笠原祥太郎-松井雅人)は四球に気付いていましたが、わざと黙っていたのです。野球規則には、審判が規則に反したジャッジを下した場合、「アピールもなく、定められた期間が過ぎてしまったあとでは、たとえ審判員が、その誤りに気づいても、その裁定を訂正することはできない」とあります。広島側は、即アピールしなければなりませんでした。

守備側が黙っていたことが、裏目に出たケースもあります。1987年10月18日、後楽園球場で行われた巨人-広島戦。翌1988年から、巨人はホームを隣に完成した東京ドームに移すことが決まっており、この試合は、後楽園球場でのシーズン公式戦最終ゲームでした。巨人の優勝が決まった後の消化試合にもかかわらず、球場は満員に。そのなかで“事件”が起こります。

4回ウラ、巨人は吉村禎章が打席に。4球目が外れたところで、カウントは2ボール・2ストライクでした。ところが……このときスコアボードの「B」の青いランプが不調でまったく点灯せず、しばらくしてようやく1つ点灯。

もちろん、球審も手元のインジケーターでカウントを数えていますが、スコアボードを見て「あれ? 1ボールなの? 2ボールじゃなかったっけ?」と疑心暗鬼に。球審は打席の吉村と、広島の捕手・達川光男に「カウント、2-2だよね?」と確認しましたが、即答したのは策士・達川のほうでした。

「何を言うとるんですか! 1ボールですよ! ほら、スコアボードも1ボールになってるじゃろ!」

もちろん、達川は「2ボール」とわかっていて、カウントを有利にするためにそう言ったのです。吉村がなぜその場で訂正しなかったのかはわかりませんが、試合は「1ボール2ストライク」として進行。1球ファールの後ボールが2球続き、本来ならここで「四球」ですが、巨人側はなぜか見過ごし、吉村は歩きませんでした。

そして、カウント「2-4」から、広島・白武佳久の投じた外角高めの真っ直ぐを、吉村はみごとに捉え左翼席へ。広島バッテリーにしてみれば「カウントどおり歩かせておけば……」。球審の「勘違い」がもとで起こったこの珍事。公式記録にも「カウント2-4からの本塁打」として残されています。

ちなみに吉村は、この本塁打がシーズン「30号」で、30本台に届いたのはこの1987年だけでした。広島・阿南準郎監督は、試合後こうコメントしています。「もうけたと思ったんですけど……。やっぱり人間、正直じゃないといけませんね」。

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