箱根駅伝・準Vの創価大 難病と闘い走った「2人の絆」

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、1月2日・3日に行われた「第97回箱根駅伝」で、難病と闘いながら準優勝に貢献した創価大の2人のランナーにまつわるエピソードを取り上げる。

第97回東京箱根間往復大学駅伝 往路4区 腰に手をやり、表情をゆがめる創価大・嶋津雄大=2021年1月2日 神奈川県小田原市(代表撮影) 写真提供:産経新聞社

毎年、さまざまなドラマが展開する箱根駅伝。特に今回は、大会史上稀に見る大逆転劇が起こりました。9区を終えた時点でトップの創価大に3分19秒差、距離にして約1・1キロの大差をつけられていた駒澤大が、最終10区でまさかの大逆転。13年ぶりに総合優勝を飾ったのです。

駒澤大・大八木弘明監督が、運営管理車から飛ばした「区間賞と優勝、2つを狙え! 男だろ!」というゲキに、アンカーの石川拓慎(3年)は「監督の声でスイッチが入った」と区間賞のタイムで快走。「逆転の駒澤」を地で行く走りで、みごと両方をつかみ取りました。

前回(2020年)も10区を走った石川。順位を1つ上げたものの、チームは8位に終わり、悔しい思いをしました。石川ら3年生は「谷間の世代」と呼ばれていたそうですが、今回は6区で花崎悠紀が区間賞、8区で佃康平が区間4位と、復路で3年生が好走。同期たちのお陰で、アンカーの石川に2位でタスキが回って来ました。

この時点では、大八木監督もさすがに逆転は難しいと思っていたようで、石川に「区間賞を狙って、思い切り走って来い!」と指示。ところが、石川は諦めていませんでした。「自分もやってやろうと思っていた。ゴールテープを切ったときには、“やってやったぜ!”と思った」。昨年味わった悔しさと「見返してやる!」という思いが、大逆転への原動力になりました。

ところで、今回の箱根駅伝では、3つの「優勝校」が生まれました。総合優勝の駒澤大、往路優勝の創価大、復路優勝の青山学院大の3校です。3つがすべて異なったのは、一昨年(2019年)に続き史上9度目。それだけ近年、各校の実力が拮抗している証しでもあります。そして、3校それぞれにドラマがありました。

連覇が懸かっていた青山学院大は、毎年、原晋監督が大会前に作戦名を発表しています。今年は「絆大作戦」。あえて“ど直球”の作戦名にしたのは「駅伝でいちばん大切なのは絆。監督の思いをしっかり形にしたい」という意図がありました。

ところが……往路はまさかの12位。原監督も「(ここから逆転で)優勝というのはウソになる。確実にシード権(10位以内)を取りに行きたい」と目標を下降修正しました。しかし、6区~10区の選手たちが「このままでは終われない」と一致団結。みごと復路優勝を飾り、順位を4位まで押し上げました。

この復路Vは「このまま下位に沈んで、往路を走ったメンバーに辛い思いをさせたくない。何とか挽回を」という思いもあったからでしょう。大会直前に疲労骨折が判明、出場を断念した主将・神林勇太(4年)が9区で給水係としてランナーを直接励ましたのも「絆大作戦」を象徴するシーンでした。みんなで困難を前向きに乗り越えて行くところは、青学ならでは。来年につながる復路Vでした。

出場4度目で初の往路優勝を飾り、総合2位となった創価大の大健闘も、まさに「絆」が生んだものでした。1区を3位で通過、2区で2位に浮上し、4区で先頭に立つと、10区の残り2キロまで、ずっとトップを守り続けた創価大。逆転された10区を除き、1度も順位を落とさずにつかんだ総合2位は、「絶対に3位以内に入るんだ」という強い思いを、タスキとともにメンバー全員がつないで行ったからでもあります。

特に心に残ったのは、軽い脱水症状のため、ゴール後に担架で運ばれるほどの状態だったにもかかわらず、最後まで走り抜いたアンカー・小野寺勇樹(3年)の姿です。タイムこそ区間最下位でしたが、記憶に残る力走でした。

3日のレース後、小野寺本人がツイッターに「ごめんなさい。全部受け止めて来年強くなって戻ってきます。これからもどうか創価大学の応援よろしくお願いします」(原文ママ)と投稿。これに対し「謝らなくていいんだよ!」「来年こそ、優勝を期待しています!」というツイートも多数寄せられ、5日午後の時点で、小野寺のツイートには19.5万もの「いいね」がついています。明らかに変調を来しながら、気力で2位を死守した彼の走りが、観る人の心を打ったからでしょう。

小野寺以外に、病気を乗り越えて走った2人のランナーの走りも、記憶に残るものでした。4区を走って、創価大を今大会初のトップに押し上げ、往路優勝に貢献した嶋津雄大(3年)と、8区で首位をキープし続けた永井大育(だいすけ・3年)です。2人はともに、網膜色素変性症という目の病気を抱えています。網膜に異常が起こり、光を感知しづらくなる進行性の病気で、失明する可能性もあります。根本的な治療法はまだ見つかっていません。

暗いところで周囲がよく見えない嶋津と永井は、日が短い冬場、危険防止のため朝と夜の練習に制限が付けられています。朝の集団走の間、2人は本隊から離れ、LED照明を完備した練習場で走ります。夜は体育館のなかで走った2人。嶋津と永井が創価大に入学したのは、照明などの設備が充実していたこともありますが、受験時にお互いのことを知り「同じ病気を抱えた仲間と走りたい」と思ったことも大きな理由でした。

「一緒に箱根駅伝を走る」のが入学以来、共通の夢だった2人。昨年、嶋津は初出場を果たし、復路でアンカーを務めました。創価大は9区を終えて11位でしたが、嶋津は区間新のタイムで2人を抜き、9位でゴール。初のシード権を獲得する大活躍を見せた一方、永井は登録メンバーには入りながら出場枠から外れ、2人で一緒に走る夢はお預けとなりました。

往路優勝の立役者となった嶋津ですが、実は昨年春、大学を一時休学しています。前回の箱根駅伝でアンカーを務めた際、病気の件と、小説(ライトノベル)を書いていることで注目され、急に周囲の環境が変わったことも影響したようです。復学したのは、昨年9月のことでした。休学中は競技からも離れ、競技に復帰した当初は10キロも走れませんでした。

「走り方を忘れた感じ。ゼロからのスタートだった」という嶋津は、月間800キロの走り込みを行い、本来の走りを取り戻しました。競技からいったん離れたことで心の余裕もでき、仲間のことを思う気持ちも、より強くなったそうです。「一緒に箱根路へ」と誓い合い、メンバー入りを目指す永井の存在も、大きな心の支えになりました。

嶋津にとっては2度目となった、今年(2021年)の箱根駅伝。今度は永井も出場メンバーに名を連ね、入学から3年、ついに2人の念願が叶いました。嶋津が任されたのは4区。中継所でタスキを受け取ったときは、トップを走る優勝候補・東海大を34秒差で追う2番手でした。東海大が差を広げるかと思いきや、5・6キロ過ぎで嶋津は東海大のランナーをとらえると、すぐに抜き去り、ついに首位に躍り出たのです。

小田原中継所前で、つりそうになった左足の太ももを何度も拳で叩き、気合で走り抜いた嶋津。ゴールした直後「もも、つった!」と倒れ込んだときは苦しげな表情でしたが、「1位でタスキを渡せたのが嬉しい。自分の役目を果たせた」と語ったときは笑顔に変わっていました。

その嶋津からタスキを受け継いだ5区・三上雄太(3年)も区間2位の好走を見せ、往路優勝のゴールテープを切った創価大。4区で嶋津がトップに立っていなければ、レースはまた違う展開になっていたかも知れません。

嶋津の激走から一夜明けて、復路がスタート。今度は永井の出番です。優勝の行方を左右する8区(平塚~戸塚間 21・4キロ)を任された永井は、駒澤大が徐々に差を詰めるなか、焦らず安定したペースで走り抜きました。差は22秒詰められたものの、1分29秒差でトップを保ったまま、9区の石津佳晃(4年)にタスキを渡した永井。初の大舞台でみごと役目を果たし、中継所前ではガッツポーズも飛び出しました。

「往路からいい流れをもらって、自分は駒澤との差をいかに守るかを考えて走った。先頭を走る機会はなかなかないことなので、楽しみながら走ることができた」(永井)

往路優勝したことで、復路の5人に大きなプレッシャーがかかったのも事実です。初出場の永井にとっては、ただでさえ緊張するなか、初Vへの重圧ものしかかるという酷な状況でした。しかし、創価大・榎木和貴監督の言葉が永井を救いました。「名前やタイムが走るんじゃない。人が走るんだ」。

いくら有力選手が周りにいようと、その名前や持ちタイムにひるんではいけない。あくまで、自分のベストを尽くせばいいんだ……。その教えどおり、自分のペースで走ることに専念して、準優勝に貢献した永井。往路で嶋津が首位でつないだタスキを、トップを維持したまま次の走者に渡せたことは、何より嬉しかったに違いありません。

さまざまな困難を乗り越えて、共通の夢を実現し、大舞台で結果を出した2人。次なる目標はもちろん、今回果たせなかった「初の総合優勝」です。「同じ病気で苦しんでいる人たちに、勇気を与えたい」と常々口にしている嶋津。永井も思いは同じ。来年(2022年)の正月、今度はともに勝利の美酒を味わうために、2人の闘いはまだまだ続きます。

最後に、この厳しい状況下、レース実現に尽力された大会スタッフ・関係各位に敬意を表します。素晴らしいレースをありがとうございました。


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