東京五輪 銅メダリスト・野口啓代「マイナーなクライミングが五輪競技になるとは思っても見なかった」

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黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(12月13日放送)にプロフリークライマーの野口啓代が出演。クライミングを始めたきっかけについて、また、その魅力について語った。

「東京五輪第13日」 スポーツクライミング  女子複合予選 リードの野口啓代=青海アーバンスポーツパーク 2021年08月04日 写真提供:共同通信社

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黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。12月13日(月)~11月17日(金)のゲストはプロフリークライマーの野口啓代。1日目は、クライミングの持つ魅力について---

黒木)野口さんはスポーツクライミング界を牽引されてきた、クライミング界の女王でいらっしゃいますが、改めて東京オリンピックでの銅メダル獲得おめでとうございました。

野口)ありがとうございます。

黒木)長く活躍されてきた野口さんにとって、東京オリンピックは特別な舞台だったのではないでしょうか?

野口)私の場合はオリンピックの招致活動から携わりました。2015年から今回のオリンピックまでの6年間、オリンピックのためにやって来たので、特別な大会になったと思います。

黒木)しかも、スポーツクライミングは東京オリンピックではじめて採用された競技です。それだけでも話題を呼んでいましたが、なかでも野口さんの現役引退が大きな話題にもなりました。これはいつ決めたのですか?

野口)オリンピックまではやろうということは、招致活動を始めた2015年から考えていました。自分がいつまで競技を続けるのか、どこで引退をしようかと考えていたタイミングだったのですが、せっかくならオリンピックに出てみたかったですし、その場が自分に合っているような気もしたので、そのころから考えていました。

黒木)惜しまれる声もたくさんあったのではないですか?

野口)嬉しいことに、「もっと続けて欲しい」と言ってくださる方が多くいらっしゃいました。自分が理想としていた引退を迎えることができたのではないかと思います。

野口啓代 / プロフリークライマー

野口啓代 / プロフリークライマー

黒木)小学校5年生のときに、グアムへ行ったときに遊びでやられたのがきっかけで、その後メキメキと実力を発揮されて、通算21勝ですか?

野口)ワールドカップでは21回優勝させていただきました。

黒木)努力や練習量、環境などいろいろな条件が揃ったからだとは思いますが、本人が何よりもクライミングがお好きだったということですか?

野口)私が始めたのが2000年なのですが、その当時はまだ日本でもクライミングの施設がなく、クライミングがスポーツだとも思わないくらい、マイナーな時代でした。まさか自分が趣味の一環でやっていた遊びのクライミングに大会が存在して、スポーツになり、オリンピックの競技になるとは思いませんでした。クライミングと一緒に成長したような感じがします。「好き」という言葉では収まらないくらいの思いがあります。

黒木)クライミングのことを四六時中考えていらっしゃったとも聞いています。

野口)毎日考えていたし、クライミングしかしていませんでしたね。

黒木)そこまでのめりこめたクライミングの魅力とは、野口さんにとってどのようなものだったのでしょうか?

野口)クライミングの壁や課題には終わりがないのです。

黒木)終わりがない。

野口)難易度もパターンもそうですし、大会で出される課題が毎回違う課題なのです。はじめて見る課題を5分以内に登るというスポーツなのですが、2度と出会えない課題が毎回出て来て、登れても登れなくても毎回、その5分間で終了してしまう。

黒木)その5分間で。

野口)いくら苦手を克服しても登れない課題もあります。終わりのないものを追いかけているような感覚だったので、本当にやりがいもありましたし、いまでも、まだまだ強くなれる、そのようなところにすごく魅力を感じました。

黒木)現役は引退されてということなのですが、やはり違いはあるのでしょうか?

野口)引退して大きく変わりましたね。これまでは週に5日間トレーニングして残りの2日間でたまにメデイアのお仕事をしたり、体のコンディショニングを整えていたので、クライミングをしていない時間はありませんでした。

黒木)現役のころは。

野口)引退してから最もやりたかったことがクライミングの普及活動なので、いま普及活動の方をメインに活動させていただいているのですが、本当に生活が「ガラッ」と変わりました。

 

東京五輪 銅メダリスト・野口啓代「マイナーなクライミングが五輪競技になるとは思っても見なかった」

野口啓代(のぐち・あきよ) / プロフリークライマー

■1989年・茨城県生まれ。
■小学5年生の時に家族旅行先のグアムでフリークライミングに出会う。
■クライミングを始めて・わずか1年、小学6年生の時に全日本ユース制覇。
■その後、数々の国内外の大会で輝かしい成績を残し、2008年には日本人としてボルダリング・ワールドカップで初優勝。2009年には年間総合優勝。以降、4度の年間総合優勝の栄誉に輝く。ワールドカップ優勝は通算21勝を数え、「クライミング界の女王」と呼ばれる。
■2019年・世界選手権で2位となり、東京2020の代表に内定。
■競技人生の最後の舞台となった東京2020大会では銅メダルを獲得。現役引退を発表し、現在はクライミングの普及のため・様々な活動に尽力。

 

番組情報

黒木瞳のあさナビ

毎週月曜〜金曜 6:41 - 6:47

番組HP

毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳

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