大久保嘉人 “主夫”として子どもと過ごした大阪での1年
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黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(1月25日放送)にサッカー元日本代表の大久保嘉人が出演。大阪での子どもとの主夫生活について語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。1月24日(月)~1月28日(金)のゲストはサッカー元日本代表の大久保嘉人。2日目は、子どもとの主夫生活について---
黒木)『俺は主夫。 職業、 現役Jリーガー』(講談社)という本を出版されました。なぜこの本を書かれたのですか?
大久保)去年(2021年)、最後のシーズンは大阪のチームに単身で行く予定だったのですけれども、三男がついて来るということで、主夫をやらないといけなくなったのです。退場とかイエローカードをたくさんもらったイメージの悪い自分が……。
黒木)イメージ悪いのですか?
大久保)イエローカードも退場も多かったので。その自分が、まさかそのようなことをすると思っていなかったですし、世のお父さんたちにそんな自分の姿を見ていただきたいと思って書きました。
黒木)セレッソから始まって、最後はまたセレッソ大阪でということで。行かれるときは、単身赴任で行こうと思われていたのですけれども、三男の橙利くん、そのとき3年生だったのですね。その橙利くんがお父さんについて行くと。大阪に。
大久保)はい、一緒に行きたいと。
黒木)最初はどうせ心変わりするだろうと、ご夫婦で思っていらしたら、「俺の挑戦なのだ」とおっしゃったと。
大久保)そうですね。
黒木)すごい覚悟ですね。
大久保)なぜ一緒に来たのと、あとから聞いたのですが、「パパと一緒にいれば怒られないから」と言っていました。
黒木)怒られない。
大久保)YouTubeを観ても、ゲームをやっても怒られない。自由でいられるから来たのだと言っていましたね。
黒木)でも本音は、パパ1人だと寂しいのだろうなとか思われたのではないですか?
大久保)パパっ子でしたので、それはあったかも知れないですね。一緒にいたいと思ったのでしょう。
黒木)他の3人はお子さんのジェラシーはなかったのですか?
大久保)そこまで、行く勇気はなかったみたいですね。「行きたいけど、俺は行けない」と言っていました。他は。
黒木)それで大阪で2人暮らしになった。主夫を初めてやられたということですよね?
大久保)はい、初めて。
黒木)つまり家事全般、それから学校のこと、お料理、何から何まで、すべてやらなくてはいけないのですよね。
大久保)そうですね。
黒木)それがこの『俺は主夫 職業現役Jリーガー』というご本のなかに全部書いてあるのですけれども、それまで家事はまったくおやりになられていなかったと。
大久保)まったくです。ごはんも目玉焼きしかつくったことなかったので、大丈夫かなという心配の方が強かったです。
黒木)ですけれども、これほど大変だったとは思わなかったから、「じゃあ来ていいよ」とおっしゃったのですよね。
大久保)そうですね、どうにかなるかなという感覚で、「来ていいよ」と言いました。
黒木)学校の宿題から、塾のお迎えもやられた。ご自分も現役Jリーガーでらっしゃるから、大変だったと思います。この本には、偽りなく素直に書いていらっしゃるではないですか。そういう環境に立たされると、できてしまうものなのだと思いました。
大久保)そうですね。それは感じましたね。自分でできたので。誰でもできるのだなと思いました。
黒木)でもやはりそこには、すごい努力が必要だったのではないですか?
大久保)いや努力はしていないですね。きっちりしようとは思っていなかったのですよ。それでできなかったらストレスたまるので。どうにかなる精神で、ごはんも「お腹いっぱいになればいいや」という感じでやっていました。だから誰でもできるのだと思います。
黒木)アスリートの方ですと、食事には気を使われるだろうと思いますけれども、大久保さんはあまりこだわらないのですよね。
大久保)食事は食べたいものを食べたいときに食べる。そちらの方が自分にとってはいいのです。ストレスもたまらないし。ですから、ごはんも子ども中心で決めていました。
黒木)橙利くんにとっては本当に一生の思い出ですね。
大久保)楽しかったと思います。
黒木)もっと続けていたかったのではないですか?
大久保)「今年(2022年)もやってよ、そしたらまだ大阪に残れるから」と言っていました。
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大久保嘉人(おおくぼ・よしと)/ サッカー元日本代表
■1982年6月9日生まれ。福岡県出身。
■国見高校(長崎)3年生の時に「高校3冠」を達成し、インターハイと高校選手権では大会得点王を獲得。
■2001年にJリーグ「セレッソ大阪」でプロキャリアをスタートさせると、闘争心溢れるプレーで存在感を発揮。
■2003年に日本代表デビュー、2004年にはU-23日本代表の一員としてアテネ五輪に出場、2010年には南アフリカ・ワールドカップ・ベスト16進出に貢献。
■マジョルカ(スペイン)、ヴォルフスブルク(ドイツ)でのプレーを挟みながらヴィッセル神戸に通算6シーズン在籍後、2013年に川崎フロンターレに移籍。2013年以降、史上初のJリーグ3年連続得点王の偉業を達成した。
■2021年のシーズンから古巣・セレッソ大阪に復帰。歴代最多・J1通算191得点。
■2021年11月19日に現役引退を発表。
■2004年に妻・莉瑛(りえ)さんと結婚。長男・碧人(あいと)、次男・緑二(りょくじ)、三男・橙利(とうり)、四男・紫由(しゆう)。4人の男の子のお父さん。
■ラストシーズンとなった2021年には三男・橙利くんと大阪で2人暮らし。
2021年11月に著書『俺は主夫。職業、現役Jリーガー』(講談社)を出版。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳