渡嘉敷来夢選手が明かす、「東京五輪欠場」を判断した裏側
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7月31日(日)、スポーツライター金子達仁がメインパーソナリティを務めるラジオ番組「The Deep」(ニッポン放送・毎週日曜20時~20時20分)が放送。女子バスケットボール・ENEOSサンフラワーズ・渡嘉敷来夢選手が出演し、東京五輪欠場を判断した裏話を明かした。
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金子達仁・渡嘉敷来夢
一流アスリートたちをゲストに迎え、スポーツの面白さや、アスリートの心の奥底にある想いを届けていく番組、「The Deep」。渡嘉敷は2016年のリオオリンピックではチームの勝利に大きく貢献。WリーグではENEOSサンフラワーズのエースとして活躍している。2020年に大怪我を負い、それが原因で東京オリンピックの欠場を余儀なくされた渡嘉敷。オリンピック欠場は、苦悩の末の判断だったと語った。
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渡嘉敷来夢
金子:Wリーグ、レギュラーシーズンMVPおめでとうございます!なんですけれど、やっぱりお伺いしたいのは、去年の東京オリンピックについて。もちろん出るつもりでしたよね?
渡嘉敷:そうですね。出たい気持ちが強くて、ずっとリオオリンピックから4年間やってきたので……。出たかったですね。
金子:その夢を絶つ原因となってしまった怪我。どういう状況で起こったんですか?
渡嘉敷:皇后杯が(2020年)12月にあったんですけど、そこで相手がシュート打ってきたタイミングでブロックでジャンプをして。そのボールを取りに行った着地で怪我をしてしまったんですけど、その時はまさかこんな大怪我だとは思わなくて。すぐに、「1回テープを巻いて、もうすぐに立ちます」って言ったんですけど。そのタイミングでたまたまチームドクターが膝をチェックをしてくれて。そのときに、「もうこれは限りなく切れてる」って。
金子:ぐらぐら?
渡嘉敷:もうそれに近いって言われて。「出すことはできない」って、その場ですぐ言われてしまって。その瞬間の第一声が「マジか……」って感じで。その瞬間も、オリンピックはよぎりましたね。もちろんそれも、負けたら終わりの大会で、すごく大事な大会だったんですけど、それよりも、オリンピックがまずよぎりましたね。
金子:でもその時点では、まだ希望もいくばくか残ってますよね。
渡嘉敷:はい。
金子:完全に消えたのは?
渡嘉敷:完全に消えたのは、リハビリをして行く過程で、「あ。残り数ヶ月あと2、3カ月後に、自分試合できないわ……」って思ったタイミングが5月末だったんですよ。それが国内とかだったら、まだ頑張ればできるかもしれないんですけど、相手が世界レベル。自分よりも強くて、高い選手とやるってなった時に無理しない方が良いなぁって。自分が、もしもう引退する選手であれば、無理してでもなんとしてでも頑張ってたと思うんですけど。まだバスケやりたいしっていうのもあったんで。5月、残り3か月ぐらいの段階で、「私はオリンピックへの挑戦を断念します」ってヘッドコーチに伝えに行きました。
金子:でも、簡単な決断じゃないですよね……。
渡嘉敷:はい。めちゃくちゃ泣きながら毎日考えていました。
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金子達仁
リスナーからの質問で、人生で一番緊張した瞬間を聞かれた渡嘉敷は、「アメリカでの1年目の開幕戦の時」と回答。 今となっては笑い話だと振り返った。金子は渡嘉敷に対し、「聞きたかったこと、そのど真ん中に答えを返してくださる」と言い、盛り上がりを見せた様子だった。
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