「オールナイトニッポンはリスナーのもの」冨山雄一プロデューサーが語る、伝統との向き合い方

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「オールナイトニッポンはリスナーのもの」冨山雄一プロデューサーが語る、伝統との向き合い方

ラジオを取り巻く環境は変わり続けている。

かつては斜陽産業、オールドメディアなどと言われていたラジオだったが、radikoの登場によってインターネットと融合。近年は早朝のTwitterトレンドをラジオの深夜番組のハッシュタグが賑わすようになった。

ラジオ深夜番組の代表格のひとつといえば『オールナイトニッポン』。2022年10月に放送開始55周年を迎えた同番組のプロデューサーが、冨山雄一(とみやま・ゆういち)だ。

彼がプロデューサーに就任したのが、およそ5年前の2018年4月。番組開始から半世紀が経過し、伝統あるオールナイトニッポンの看板を受け継いだ彼は、いかにして番組と向き合ったのか。

「リスナーのために、変化し続ける」

彼の知られざる葛藤、そして56年目のオールナイトニッポンへの展望を聞いてみた。

テレビになくて、ラジオにあったもの

「オールナイトニッポンはリスナーのもの」冨山雄一プロデューサーが語る、伝統との向き合い方

——「ラジオに関わりたい」とNHKからニッポン放送へ転職したと聞きました。もともとラジオが好きだったのでしょうか。

中学高校時代からオールナイトニッポン含めてラジオをよく聴いていて、「将来はラジオ局で働きたい」とぼんやりと思っていました。

大学時代も熱は下がらず、就職活動ではニッポン放送、文化放送、TOKYO FMなどラジオ局を中心に受けましたが、全然ダメで……結果、NHKにディレクターとして採用されました。

内定後にNHKラジオセンターを見学させて頂いて、「いつかはラジオをやりたい」とレポートを提出したところ、まさかのラジオの部署への配属に。

僕が在籍していた当時は、NHKのディレクターは基本的なキャリアとしてまずは地方局でテレビディレクターとして数年経験を積んで、東京に戻ってくるのが一般的なキャリアプランだったので、かなり異例の配属だったと思います。

入局から2年ほどNHKラジオ第1の番組制作に携わっていましたが、3年目が見えてくるとテレビの部署にいる同期とどんどん差がついて、「そろそろテレビをやらないと……」という雰囲気に。新潟放送局に転勤して、テレビ番組のディレクターとして働くことになりました。

——普通であれば、そのままラジオからフェードアウトしてしまいそうですが……。

いやいや、むしろラジオへの気持ちは募るばかりでした。

NHKラジオセンター時代は『OH! MY RADIO』(J-WAVE)や『あなたがいるから、矢口真里』(ニッポン放送)、新潟でも『ROCKETMAN SHOW』(J-WAVE)や『ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない』(ニッポン放送)などを聴いて、ラジオ制作の現場を知りながらも改めてラジオの面白さを感じるようになって。

一方、テレビの仕事自体は面白かったけど、ラジオに携わりたい気持ちがどんどん大きくなっていくのを感じていました。「ここでチャレンジしないともう取り返しがつかなくなってしまう」と。たまたま募集していたニッポン放送の中途採用試験を受けました。

——ご自身にとって、テレビ番組の制作とラジオ番組の制作の違いは?

言葉を選ばずにいうと、ラジオ番組の方がドライブ感があると思います。

僕が関わったテレビ番組は、3ヶ月〜半年かけて1本1時間のドキュメンタリーをつくりあげていくようなスタイルですが、ラジオは基本的には毎日生放送ですから。緊張感のある状況で、パーソナリティとスタッフがアドリブに近い空気感で面白い番組をつくっていくプロセスに魅了されました。

一度ラジオの現場を離れたからこそ、気づけた部分なのかもしれませんが。

日本のエンタメがそこにあった

「オールナイトニッポンはリスナーのもの」冨山雄一プロデューサーが語る、伝統との向き合い方
——ニッポン放送入社後はいかがでしたか?

とても充実していました。入社当初は「まずはADで経験を積んで、1年後にディレクター」という話で午前帯のワイド番組のADからスタートしたのですが、人事異動などが重なって半年後にはオールナイトニッポンのディレクターになっていて。右も左もわからないような状況でしたが、すべてが新鮮で猛烈に楽しかったですね。その1年は寝る間を惜しんで働いていました。

——そういえば、ここまでオールナイトニッポンの話は出てこなかったですね。

オールナイトニッポンの記憶で強烈に残っているのは2007年8月に開催されたオールナイトニッポン40周年記念ライブイベント「8.25オールナイトニッポン武道館」です。

ADとして現場に入っていたのですが、aikoさん、w-inds.、TRICERATOPS、ポルノグラフィティ、吉井和哉さんがライブして、転換時間中にチュートリアルや次長課長が漫才をして、音楽とお笑いの融合イベントになっていて、アンコールのサプライズゲストに福山雅治さんとナインティナインのお二人が登場して……もう圧巻ですよね。

翌年2月に放送した『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』ではほとんどの番組にADで入っていたので、ビートたけしさんやタモリさん、ウッチャンナンチャンを初めて生で見て「オールナイトニッポンは日本のエンタメのど真ん中なのかもしれない」と鳥肌が立ったのを覚えています。

その後は昼の番組のチーフディレクターとオールナイトニッポンの曜日ディレクターを兼任する日々が続き、『小栗旬のオールナイトニッポン』『半田健人のオールナイトニッポン』『AKB48のオールナイトニッポン』『三代目 J SOUL BROTHERS 山下健二郎のオールナイトニッポン』などを担当するように。「もっとオールナイトニッポンに深く関わりたい」という気持ちは、一層強くなっていきました。

そして2016年4月。『星野源のオールナイトニッポン』がスタートしたタイミングで昼の番組を外れて、オールナイトニッポンのチーフディレクターになりました。

——ようやくオールナイトニッポンに本腰を入れられるようになったわけですね。

ただ、それも長くは続かなくて(笑)。

——というと……?

チーフディレクターになってから3ヶ月でイベントやグッズなどを企画・運営するエンターテインメント開発部へ人事異動になってしまって。これはかなりショックな出来事でした。

ただ、イベントの部署での経験はその後のキャリアに大きな影響を与えてくれました。『岡村隆史のオールナイトニッポン歌謡祭』の演出と運営を担当していたのですが、岡村隆史さんと膝を突き合わせて一緒に企画できる機会なんて他にありませんからね。Toshlさんと『Forever Love』を唄う企画なんて、“めちゃイケ世代”にとっては完全に『岡村オファーがきましたシリーズ』をつくっているような感覚そのもの。1万人を超える観客の皆さんの喜怒哀楽をつくり手側として一緒に体感したのは稀有な体験でした。

その後もライブイベント『ALL LIVE NIPPON』や『アニメ紅白歌合戦』、『ももいろクローバーZバレンタインライブ』なども経験。とても充実した日々を送っていました。

次のミッションとして『オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー』の準備を進めていたところ、2018年4月に編成部へ人事異動し、オールナイトニッポンのプロデューサーになりました。「オールナイトニッポンに100%向き合える環境」は、実はプロデューサーになってからが初めてなんです。

オールナイトニッポンはリスナーのもの

「オールナイトニッポンはリスナーのもの」冨山雄一プロデューサーが語る、伝統との向き合い方

——オールナイトニッポンのプロデューサーになることにプレッシャーは感じませんでしたか?

それでいうと、番組からは離れていたのであまりプレッシャーはありませんでしたね。

異動して最初の企画が『オールナイトニッポン』とNHK『シブヤノオト』のコラボ放送でした。放送日だけ決まっていて中身は決まっていない状態だったので、すぐに『岡村隆史のオールナイトニッポン』でやりたいと思いました。岡村さんとは2年間イベントでご一緒していたのでコミュニケーションが取れる状態でしたし、NHKはそもそも古巣で『シブヤノオト』のプロデューサーがたまたま同期だったので、比較的話もスムーズに進みましたね。これまでの経験、キャリアがすべてうまく組み合わさった感覚がありました。

また当時のオールナイトニッポンのラインナップは、菅田将暉さん、星野源さん、AKB48、岡村さん、山下健二郎さん、サタデースペシャルの大倉忠義さんと高橋優さんのお2人、そしてオードリーのお2人。菅田さん以外は、ディレクターで担当していたり、イベントで関わらせてもらったりしていたので、パーソナリティやマネージャーさんの顔がわかっていて、かつ志向性や温度感も把握できている感覚があり、スムーズに入ることができたと思います。

——ディレクター時代と考え方の変化はありますか?

当然ですが、視野は広がり、視点は高くなりました。ディレクター時代は番組単位で向き合っていましたが、プロデューサーは全体を見ていかなければいけないので。あとディレクターに任せるという感覚が生まれたような気がします。

——もともと番組をつくりたい気持ちが強かったなら、プロデューサーとして制作にフルコミットできないことに葛藤してしまいそうですが……。

ディレクターからそのままプロデューサーになっていたら、すごく葛藤していたと思います。ただ、一度イベントの部署を経験したことで「自分はラジオのディレクター」という感覚が一度抜けたんですよね。自分たちの番組を客観視できるようになったというか、リスナーとしてフラットにラジオと向き合えるようになったというか。

今思い返すと、ディレクター時代の9年間は正常な状態ではなかったですね。「他局のラジオ番組を聴くなら自分が担当する番組宛に来ているメールを一通でも多く読んだほうがいいんじゃないか」みたいな感覚で、『JUNK』(TBS)も全然聴けませんでしたから。今はオールナイトニッポンもJUNKも安住さんや神田伯山さんの番組もたくさん聴いています(笑)。

それに、自分のタイプとしてもプロデューサーのほうが合っていました。自分は1から10まで全部自分でやらないと気が済まないタイプで、ディレクター時代は番組宛に来ているメールもSNSもネットの掲示板も全部目を通して、どうしたらいい放送になるのかをずっと頭の中で四六時中、考え続けていましたから。こだわりが強すぎて、周りの人は仕事がしにくかったと思います。

でも、今は生放送の構成にはほとんどタッチしていないので、いい意味で諦めがつくわけです。「番組はパーソナリティとディレクターたちが面白くしてくれるから、自分はもっと話題になるようにバックアップしよう」というスタンスのほうが自分には合っている気がします。

——プロデューサーの役割についてはどのようにとらえていますか?

あくまで縁の下の力持ち的な存在で、パーソナリティと番組スタッフが番組を長く続けられるように環境を整える役割だと思っています。オールナイトニッポンに限らず、ラジオ番組はあくまでもリスナーのものですから。リスナーがいるから、聴いてくれる人たちがいるからメディアとして成立する。プロデューサーとしての判断基準が「リスナーがどう感じるか?」になることは多いです。“リスナーファースト”の考え方ですね。

——リスナーの声にはどのように耳を傾けるのでしょうか?

「オールナイトニッポンはリスナーのもの」冨山雄一プロデューサーが語る、伝統との向き合い方

あまり言いたくないんですが……エゴサです(笑)。 僕はTwitterで「オールナイトニッポン」や関連ワードをずっとエゴサしています。番組ハッシュタグだけだと好意的な意見が多いので、ハッシュタグのついていない「オールナイトニッポン」「ANN」などもチェックしていますね。あとは独自のエゴサ方法があるんですが、秘密にしておきます(笑)。

「リスナーの声に頼りすぎると主体性がなくなる」みたいな考え方もあります。確かにディレクターがリスナーの声に耳を傾けてばかりいるとコアなリスナーだけが満足するラジオになってバランスを欠いてしまうかもしれません。でも、プロデューサーが追求すべきはリスナーの満足度。プロデューサーとしてリスナーの声に全力で応えることで、オールナイトニッポンのブランドを高めていきたいと考えています。

変化し続けてきた55年間

「オールナイトニッポンはリスナーのもの」冨山雄一プロデューサーが語る、伝統との向き合い方

——55周年を迎えたオールナイトニッポン。番組の雰囲気を未来に残していくために大事にしていることは?

先輩チーフディレクターから言われた「変化を恐れるな」という言葉は大事にしています。

オールナイトニッポンの歴史において長く担当してくださっているナインティナインもオードリーも時代に合わせて番組のフォーマットやトークテーマをアップデートしています。しかも、ちゃんと面白いままです。

日々のアップデートこそオールナイトニッポンのアイデンティティだし、この55年は変化への挑戦の歴史と言っても過言ではないと思います。

スペシャルウィークもラジオ業界的に「なくてもいい」という意見もありますが、僕としては2ヶ月に1回ぐらい知恵を絞って仕掛けていく姿勢は大事にしたいですね。

「オールナイトニッポンはリスナーのもの」冨山雄一プロデューサーが語る、伝統との向き合い方

——『オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル』への想いも聞かせてください。

オールナイトニッポンリスナーの皆さんには「こんなにすごい人たちが55年の歴史を紡いできたのか」と、逆に以前聴いていた方たちには「今はこんな人がやっているのか」と感じてもらいたいですね。1967年10月の番組創生期から70〜80年代にしゃべっていたレジェンドと現役のパーソナリティが一堂に会するのはもしかしたら最初で最後かもしれないので。

55時間のタイムテーブルも歴代最長となる28年目となるナインティナインのお2人からスタートし、2日目以降もカメ&アンコー、小林克也さん、山下達郎さん、吉田拓郎さんといった放送初期のレジェンドから、タモリさんと星野源さん、イルカさんと久保史緒里さん(乃木坂46)のように世代を超えたパーソナリティ同士のトーク、ゆずとCreepy Nuts、aikoさんとKing Gnu・井口理さんのような世代を超えたアーティストのコラボがあって、延べ23年しゃべっていた福山雅治さんでフィナーレを迎える流れを組みました。

個人的な想いを伝えると、オールナイトニッポンのプロデューサーになってすぐ「55周年に55時間特番をやりたい」と考えていました。40周年の40時間特番、45周年の45時間特番を経験したものの、50周年の時はさまざまな企画があったので、長時間特番は実施されなかったんです。

オールナイトニッポンのディレクターチームは今、14人いるんですが45周年の45時間特番を経験したのがわずか1人だけなんです。40周年の時に自分が感じたあの感覚を今のオールナイトニッポンの若いディレクターやADたちにも体験してもらいたいです。もちろん今の若いリスナーの皆さんにも歴史を体感していただきたいですね。

——最後に、56年目以降のオールナイトニッポンについての展望を聞かせてください。

55時間特番はエポックメイキングなことではありますが、決してオールナイトニッポンのゴールではありません。翌日からは通常通りの放送が続いていくので。「55周年で燃え尽きちゃった」と言われないよう、パーソナリティ、そしてディレクターと共にリスナーに喜んでもらえたり、驚いてもらえるようなアイデアや企画をどんどん生み出していきたい。

そう、55周年は“中途半端”ですからね(笑)。

(おわり)

番組情報

オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル

2月17日(金)18:00-2月19日(日)25:00

番組HP

1967年10月の放送開始以来、ラジオの深夜放送として55年に渡り、才能豊かな数々のパーソナリティを見出し、常に時代の最先端を見つめ、新しい話題や文化を発信してきた、深夜の解放区「オールナイトニッポン」。番組の放送開始55周年を記念し、2月17日(金)18時から2月19日(日)25時までの55時間にわたり、 特別番組『オールナイトニッポン55時間スペシャル』を放送します!

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