ジャーナリストの佐々木俊尚、岩田明子が2月15日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。2022年に銃撃され、亡くなった安倍晋三元総理について語った。
安倍元総理が銃撃された日 ~その瞬間、すべての動きが止まってしまった
飯田)船橋市の“かんたろう“さんから、岩田さんへメールが届いています。「岩田さんは長年、安倍さんの番記者をされていたと思います。去年(2022年)の事件のとき、どんなお気持ちだったでしょうか」といただきました。また、品川区の“よしひこ“さんからは、「知り合いでない我々も衝撃だったのですから、岩田さんにとって大変お辛かっただろうと思います」という、安倍元総理銃撃事件に関して心情を拝察するようなメールもいただいております。
岩田)あたたかいメッセージ嬉しいです、ありがとうございます。
飯田)我々も衝撃でしたが。
岩田)「あの日から時間が止まっている」というのが率直な印象です。関係者から「どうも撃たれたらしい」という一報が入りましたが、「撃たれたってどういうこと?」と思ったのですね。意味がわからなくて。
飯田)一報が入ったとき。
岩田)そのとき、目の前を通っていた車や歩いていた人たちの動きが一瞬固まって、自分のなかでは動画が静止画になってしまったような瞬間でした。
安倍元総理の「強運」を示すモンゴルでの出来事
岩田)すぐに思ったことは、これまで安倍元総理には「強運だ」と思える場面がたくさんあったのです。交渉が強いとか、選挙に何度も勝ってきたというようなこともありますが、それ以外に「ああ、運が付いているのだな」と思ったことがあります。
飯田)運が付いているのだなと。
岩田)モンゴルへ出張に行ったとき、「星を見に行く」という企画があって、向こうの大統領と星を見に行ったそうです。でも、そこはいつも雨が降っている場所らしいのです。
飯田)その場所は。
岩田)星が出れば綺麗なところなのだけれど、8割~9割は雨が降っているので、「ダメだったら引き返しましょう」ということで出向き、天気予報もやはり雨だったようです。しかし、車列が着いた途端に雲が切れて、満天の星が広がったのです。
飯田)安倍元総理が着いたとたんに。
岩田)関係者も驚いていました。
最高権力者はときには運を引き連れ、ときには運が雪だるま式のように転げ落ちる
岩田)最高権力者というのは、運を引き連れてくることもありますし、逆に自分が失敗すると、運が雪だるま式のように転げ落ちていく。そのような側面があるということを徐々に実感しました。
飯田)そういう側面があると。
岩田)第1次安倍内閣では、運をこぼしている場面が多かったのですけれど、第2次安倍内閣では二の轍を踏むまいとして、「運を逃さない」と自分に言い聞かせるようにしていましたので、かなり「ツイている」という印象でした。
第2次安倍政権以降、「ツイていた」安倍元総理 ~撃たれても「かすり傷程度」だと信じていた
飯田)第2次安倍政権ではツイていると。
岩田)ですので「撃たれた」と聞いたときも、きっと弾が逸れたとか、当たったとしてもかすり傷で、「大丈夫だったよ。酷い目に遭った」とか、「痛かったよ」というような言葉が聞けるのだろうと信じていたのです。
飯田)撃たれたという一報があったあとも。
岩田)ただ、記者ですので、すぐに「事実関係を確認しなければ」と思い、事務所や関係者に電話するとともに、当然、本人の携帯も鳴らしたのです。しかし、呼び出し音が鳴ったままで本人の声が聞こえてこないわけです。
飯田)安倍元総理の携帯に電話しても。
岩田)でも、必ず10分や15分もしたら「ご案内のとおりバタバタしていたから」というコールバックがあるかなと、縋るような思いで電話を握りしめていたことを覚えています。
梅雨のシーズンのなかで開催された伊勢志摩サミット ~サミット開催期間中だけは晴れていた
飯田)海外出張へ行って、土砂降りのシンガポールで「安倍さんが降りた瞬間、晴れた」という話を、私も秘書官の方から聞いたことがあります。
岩田)伊勢志摩サミットのときもそうでした。梅雨のシーズンでしたから、政府関係者は心配していたのですけれども、サミット開催期間中だけは雲が切れて晴れており、オバマさんもメルケルさんもみんな喜んでいました。それもツイているなと思えた瞬間でした。
『安倍晋三 回顧録』 ~幹事長の時代からSPが付いている人生だった
飯田)『安倍晋三 回顧録』という本が出て、かなり売れているという話ですけれども。
佐々木)買ってさっそく読んでいるのですが、内容がすごいですよ。「こんなことまで語っていたのか」と思いました。回顧録があることは周知の事実だったのですか?
岩田)オーラルインタビューが行われていたことは、関係者は知っていました。本人が慌てて出版を止めたという話も聞いていました。
佐々木)亡くなったあとに、「回顧録を残さないまま亡くなったのは問題だ」ということを歴史学者の方が言っていましたが、実はあったのだと、みんな騒いでいましたね。
飯田)現役の方々の人物像や省庁について、かなり踏み込んで書かれています。当時、安倍独裁や1強などという批判も多かったけれど、「日本の総理はこんなに窮屈なのか」と思いました。
岩田)時間の制約もありますし、常にSPがたくさん付いています。第1次安倍内閣で総理になる前の幹事長のときからSPが付いている人生でした。
飯田)幹事長の時代から。
岩田)言ってはいけないことも多々あるなかで、かなりストレスが溜まっていたと思います。
ストレスを溜めないよう積極的にオンとオフを切り替えていた
岩田)眠れないこともよくあったようです。私も睡眠の悩みを抱えているものですから、睡眠話が私と安倍元総理の共通の話題でした。私が「この薬を飲んでいる」と言うと、安倍元総理は「それを飲んでいるの? 私はこっち」という話をよくしていました。
飯田)睡眠話を。
岩田)予算委員会中に、予算委員会で答弁している夢を見るそうです。「眠っている間に答弁しているのは最悪のパターンだ」とよくこぼしていました。
飯田)眠っている間に答弁している。
岩田)それが始まると、腸の方にも炎症が広がっていってしまうのです。第1次安倍内閣での失敗を繰り返さないように、あえてオンとオフを切り替えるように意識されていました。
飯田)ストレスを溜めないように。
岩田)その1つが富ヶ谷の自宅に帰ることだったり、まとまった休日ができたときは、大好きなゴルフに行く。または好きな焼肉を食べて大いに笑うなど、オンとオフを分けることを意識されていました。
飯田)オンとオフを。
岩田)私は仕事しているのか、そうでないかの境界線が曖昧なのですが、「そういうのはよくないよ」と注意されました。
飯田)あの当時、「どうして公邸に入らないのだ」とか、「ゴルフばかりやって」という批判がありましたけれど、激務からのコントロールだったのですね。
岩田)積極的休養と言いますか。
潰瘍性大腸炎を抱えていた安倍元総理
飯田)ストレスと体調の部分では、佐々木さんも同じ病気を抱えていらっしゃいます。
佐々木)私も潰瘍性大腸炎なので、気持ちはよくわかります。実は富ヶ谷のご自宅の近くに住んでいるのです。
岩田)そうでしたか。
佐々木)第2次安倍政権のとき、週末に帰っていらっしゃる時期に「安倍やめろ」というデモが聞こえてくるのです。岩田さんのお話を聞くと、もう少し配慮してあげればよかったのになと思います。
飯田)予算委員会なども軽々とこなしているように見えましたけれど、夢にも出てくる状態だった。
岩田)頭のなかで常に考えているとおっしゃっていました。
佐々木)いつもニコニコされているイメージでしたけれどね。
「4吸って、4止めて、8吐く」呼吸法で心が落ち着く
岩田)いつもいろいろなことを工夫されていましたね。呼吸法を習ったこともありました。呼吸法と自律神経を専門とする、ハーバードの日本人の先生がいらっしゃるのですけれど、その方に、第一関節から先の指の側面を揉むといいと。
飯田)第一関節のところを?
岩田)10本の指を揉むのです。実は予算委員会中、ずっとそれをやっていました。そうすると「野党から厳しい質問がきている間も、自律神経が保たれる」と。冗談で「野党の先生には教えないでね」とおっしゃっていましたけれど。
飯田)そうですか。
岩田)それから呼吸を「4吸って、4止めて、8吐く」と、かなり心も落ち着くし、血圧も下がるということで、みんなに広めていました。
佐々木)人知れず、いろいろなことをされていたのですね。
番組情報
忙しい現代人の朝に最適な情報をお送りするニュース情報番組。多彩なコメンテーターと朝から熱いディスカッション!ニュースに対するあなたのご意見(リスナーズオピニオン)をお待ちしています。