「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」を読む
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「報道部畑中デスクの独り言」(第424回)
沢田研二さんが6月25日、77歳の喜寿を迎えました。ジュリー、おめでとうございます。
小欄では以前、群馬県伊勢崎市で開かれたコンサートの話をしました。沢田さんはいまも高音の伸び、声量は健在。MCでは自ら健康に留意していることを明かした上で、「皆さんも元気でいて下さい」と締めました。MC中は決して合いの手を入れないことが「ファンの掟」なのですが、アンコールが終わり、バンドメンバー紹介の後、締めの一言でその掟から解放されます。
(ジュリー)「ジジィでした」
(ファン)「ジュリー~」
ジュリーとファンはライブで「運命共同体」のひと時を過ごすのです。
さて、最近、こんな本が出ました。「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」(スージー鈴木著、日刊現代発行、講談社発売)沢田さんが紡いだ数多くの楽曲を1980年から1985年に限定した音楽評論です。
プロフィールを申し上げるのも恐縮ですが、沢田さんは1967年のザ・タイガースのボーカル兼タンバリン担当としてデビュー、解散後、萩原健一さんとツインボーカルを組む「PYG」を経てソロに。「危険なふたり」「追憶」「時の過ぎゆくままに」などのヒットを飛ばし、1977年に「勝手にしやがれ」で日本レコード大賞を受賞します。翌78年には伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」も始まり、ランキングの常連でした。紅白歌合戦はもちろん、当時華やかなりし音楽賞レースでも常連で、ある雑誌には「授賞式にジュリーの姿がないのは寂しいこと」と受賞は当然と言わんばかりの記事もありました。
著書に書かれている1980年~1985年の歌謡界(こういう表現も最近はしなくなりました。現代はJ-POPでしょうが、それとも少し違うような気がします)は80年に山口百恵さんが引退し、松田聖子さんがデビューするなど世代交代します。70年代を駆け抜けた沢田さんはベテランの域に入り、80年代に入ってもコンスタントにヒットは飛ばすものの、レコードセールス的には全盛期を過ぎていました。作詞・阿久悠、作曲・大野克夫のゴールデンコンビの時代が終わり、長年連れ添った井上堯之バンドも解消します。「TOKIO」でパラシュートを背負うなど、奇抜な演出でお茶の間(これまた昭和の表現!)の度肝を抜きましたが、音楽的には次世代のクリエーターの発掘にまい進します。
沢田さん本人は当時、ただただ新しいもの、おもしろいものをという純粋な想いだったでしょうが、いま振り返ると、このころ沢田さんに関わったミュージシャンは才能を開花させ、40年近くたった現在も多くの人が第一線で活躍しています。佐野元春さん、伊藤銀次さん、大澤誉志幸さん、後藤次利さん……、沢田さんとスタッフの慧眼を感じます。「キレッキレのナイフのような魅力がある」(序章から)、著書ではそんな熱い時代が純粋な音楽的観点から描かれています。
私事で恐縮ですが、1980年~1985年のジュリーのアルバム(この言葉もトンと聞かなくなりました)をいくつか所有していました(いまも実家にあります)。しかし、まだまだ学生のころ。お金がなく、ラジオのエアチェック(これも死語!)や、貸しレコード店(当時はCDレンタルではない)でレコードを借りて聴いたりもしていました。一方、この中で「MISCAST」というアルバムをある幸運で入手することができました。全曲井上陽水さんの作詞・作曲です。
「当たったんやて」「あるわけないやろ」「いや、ちゃんと名前を言っとたんやて」
「ザ・ベストテン」が放送されていた系列の地方局では、そのランキングデータの一部となるラジオのベストテン番組が放送されていました。番組は深夜の放送で、アルバムのプレゼントのコーナーがありました。
私も時折応募したのですが、たまたまその夜は睡魔に襲われ、聴き損ねてしまったのです。翌朝、友人から電話があり、上記のような会話となりました。私が当選していたのです。現代ならばradikoで聴き直しているのですが、もちろん当時はその術がありません。半信半疑でもやもやしていたところ、半月ほどして放送局からアルバムが送られてきたのでした。
ジャケットからレコード盤を取り出し、慎重に針を落とします。「デモンストレーションAirline」の疾走感、「ジャストフィット」のエロティックさ、「MISCAST」の静かに迫り来るようなサウンド……、井上陽水さんの曲をジュリーが歌うとこうなるのかと、鮮烈だったことを思い出します。ちなみに、シングルカットされた「背中まで45分」はオリコン最高位20位で、セールス的には振るわず、これ以降、沢田さんのシングル曲がオリコン10位以内に入ることはなくなるのですが、「MISCAST」は好評で、アルバム部門の11位に入りました。
「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」の著者、スージー鈴木さんはプロフィールでは1966年生まれ、私と同世代です。鈴木さんは大阪出身、私は岐阜出身、約170km離れた場所でお互い沢田さんの音楽を聴き、同じ時代の空気を吸っていたわけですが、同じ人、同じ曲でも見る角度、聴く角度によってこんなにも感じ方が違うものかと感銘を受けました。この本にめぐり合ったのも何かの縁なのだと思います。
(了)