「映えるスイーツ」クリームソーダ 2024年の妄想

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「報道部畑中デスクの独り言」(第352回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、クリームソーダについて---

川崎市「喫茶まりも」のクリームソーダ

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新年おめでとうございます。小欄では毎年元日に恒例として「スイーツ」の話題をお伝えしています。今回はクリームソーダ、略して「クリソ」の話です。

日本のクリームソーダのルーツは、はるか昔にさかのぼります。それは東京・銀座の資生堂パーラー。資生堂パーラーのHPによれば、1902年(明治35年)、資生堂薬局に置かれた「ソーダファウンテン(飲料水を供給する装置)」のコーナーが、資生堂パーラーの始まり。

当初のメニューは「ソーダ水」と「アイスクリーム」で、そこから発展したのがクリームソーダと言われています。そのレシピは大切に受け継がれ、当時の味を守り続けているとあります。

メニュー名は「アイスクリームソーダ」。120年余に上る歴史ある味は炭酸控えめ、上品な甘さが広がりました。

資生堂パーラーの「アイスクリームソーダ」

資生堂パーラーの「アイスクリームソーダ」

一方、資生堂パーラーの定番のフレーバーはレモンとオレンジ。もちろんこれも素敵ですが、クリームソーダで多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、緑色のメロンソーダをベースにアイスクリームを浮かべたものではないでしょうか。これは日本独特のようです。

メロンソーダの材料はシロップ。「マイシロップ」で知られる明治屋によれば、明治屋がフルーツシロップを発売したのは1929年(昭和4年)。メロン味の発売時期については、確たる資料はないものの、少なくとも1957年(昭和32年)にはラインナップされていました。

当初は希釈飲料向け、つまり薄めてジュースにしたり、ソーダにする目的でした。メロンソーダ自体はそのころからあったとみられます。

その後、昭和40年代に電気冷蔵庫が普及して、かき氷がブームとなります。さらに1966年(昭和41年)に家庭用かき氷器「アイスペット」が発売されたことも相まって、明治屋のシロップが「かき氷シロップ」として認知されるようになったということです。アイスペットは当時、少女雑誌の懸賞品にもなるほどの人気商品でした。

元祖中の元祖、資生堂パーラーの「アイスクリームソーダ」レモン味

元祖中の元祖、資生堂パーラーの「アイスクリームソーダ」レモン味

クリームソーダはアイスクリーム、氷が必要なことから、この昭和40年代あたりが「メロン味」のクリームソーダのルーツと推測されます。なぜ、メロン味が発売されたのか……諸説ある1つが、メロンという果物が当時(いまもですが)高級品で、そのあこがれから生まれたというものです。

メロンの他、青の「ブルーハワイ」、赤の「ストロベリー」など、最近はそのカラフルさから、インスタ映えするとして人気がありますが、当時のクリームソーダは、まさに高度経済成長期の象徴であったのだと思います。

「明日はきょうよりもよくなると誰もが感じられるような国を目指す」……岸田文雄首相が何度も口にしているフレーズです。高度経済成長期の発想だけではなかなか厳しいものがありますが、「明日はきょうよりもよくなりますように」……現代もそういう気持ちで1日1日を過ごすことは大切なことだと思います。

東京・有楽町「珈琲館 紅鹿舎」のクリームソーダ

東京・有楽町「珈琲館 紅鹿舎」のクリームソーダ

ところで、クリームソーダと言えば、意外な人物に思い当たります。実は今回、クリームソーダを取り上げるきっかけにもなったのですが……それは、井端弘和さん。昨年(2023年)秋、WBCの日本代表、「侍ジャパン」の監督となりました。「カーネクスト アジアプロ野球チャンピオンシップ2023」で優勝し、見事な初陣を飾りました。

その井端さん、現役時代は主にショートを守り、華麗な守備でファンを魅了しました。特に中日時代、荒木雅博さんとの「アライバコンビ」はいまも伝説となっています。

最近は元プロ野球選手がYouTubeのなかで、いまだから話せる現役時代の裏話を発信しています。井端さん自身も「井端弘和公式チャンネル(イバTV)」を展開していますが、井端さんが中日時代、沖縄キャンプで練習が終わると、欠かさなかったのがパチンコとクリームソーダだったそうな。イバTVにゲスト出演した荒木さんが“暴露”していました。

井端さんの華麗な守備、その源泉の1つがクリームソーダだったのかも知れません。中日ファンの私としては、クリームソーダを見ると、あの常勝時代を思い出すのです。

「デニーズ」でドリンクバーとアイスクリームをオーダー。クリームソーダをつくってみた

「デニーズ」でドリンクバーとアイスクリームをオーダー。クリームソーダをつくってみた

一昨年(2022年)、昨年と、2年連続最下位だった中日は、多くの「血の入れ替え」を断行しました。特に中田翔選手の加入で地元・名古屋は盛り上がっているようです。立浪和義監督も就任から3年目でまさに“背水の陣”、過去10年でAクラスわずか1回という“暗黒時代”からの浮上を期待しています。

そして、伝説の二遊間「アライバコンビ」が、いつの日か“二人三脚”で球団の指揮をとられることを……2024年正月の勝手な“妄想”です。

本年も当コラム「報道部畑中デスクの独り言」をよろしくお願いいたします。(了)

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