“黒柳徹子ケーキ”つくってみました
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「報道部畑中デスクの独り言」では、ニッポン放送報道部畑中デスクが、音楽番組『ザ・ベストテン』で過去ふるまわれた「黒柳徹子ケーキ」を作った。
新年おめでとうございます。2019年、平成31年は改元、参議院選挙、ラグビーW杯など大きな行事が目白押しです。また、日露関係が劇的に変わる可能性もあります。経済分野も日産自動車とルノーの経営問題は今年も続く見通しで、片時もニュースから目の離せない1年となりそうです。
さて、新年1回目は恒例というわけではないのですが、“スイーツ”の話題です。前年はケーキのようなアイスクリーム「ビエネッタ」についてお伝えしましたが、今回は「黒柳徹子ケーキ」です。
もちろんこれは通称、一言でいえば「火を使わずにできるチョコレートケーキ」です。昭和の時代に一世を風靡した音楽番組「ザ・ベストテン」(平成元年9月終了)…司会の黒柳徹子さんが出演した歌手にお祝いとして振る舞ったのがきっかけで、巷ではこう呼ばれるようになったようです(最初に振る舞った歌手は田原俊彦さんと記憶しています)。何せ、当時この番組は30%近い視聴率を獲得する「おばけ番組」で、このケーキも注目の的となりました。
番組では順位の発表を早めに切り上げ、エンディングでレシピを紹介する回がありました。用意するのは丸いプレーンビスケット、生クリーム、チョコレートソース(チョコレートを湯せんで溶かしても可)、そして牛乳です。
生クリームをホイップ状にしたところにチョコレートソースを混ぜて、チョコレートクリームをつくります。そして、牛乳をくぐらせたビスケットにクリームをのせ、それを立てた形で(番組では半分寝かせて重ねていたかもしれません)ずらっと横に並べていき、最後は残ったチョコレートクリームでビスケットを覆うように塗っていきます。これを冷蔵庫に数時間~1日ほど寝かせて完成です。
「これなら私にもできそうだ」…またしても昭和の記憶がよみがえり、無謀にも挑戦したのでした。ちなみにウェブサイトでは「黒柳徹子 ケーキ」で結構ヒットし、レシピも掲載されています。
ビスケット12枚(マリービスケット)、チョコレート50g(「板チョコ」1枚分)、生クリーム100㏄、牛乳100㏄を用意します。ケーキづくりに慣れた人にとっては何てことはないのかもしれませんが、私にとっては決して簡単ではありませんでした。生クリームを泡だて器でホイップ状にするのは結構コツが要るのですね。空気をうまく入れなくてはなりません。
また湯せんで板チョコを溶かすのですが、生クリーム、チョコともに絶対にNGなのが、水が混入すること。まさに「水と油」…泡だて器やチョコを溶かすのに使う“へら”も厳格に水気を切らないと、大変なことになってしまいます。へらを使う際に湯せんの湯が波打ち、「危ない! 危ない!」と家族を心配させながらの作業となりました。
ビスケットを並べるときも途中で崩れそうになる“危機”に見舞われましたが、何とかラップで包み込み、クルミもトッピングして形を整え完成! 冷蔵庫で一晩寝かせ、いよいよ食す瞬間がやって来ました。
実はナイフを入れるときにも“お作法”があります。ビスケットを並べているわけですから、ビスケットに平行に切ってしまうと中身がばれてしまいます。「斜めに入れることが大事」と黒柳さんも当時強調していました。
セオリーにのっとり、ナイフを入れると…おお! 結構いい感じです。皿に移し、いざ食します。
「うまっ!」
画像ではビスケットが硬そうに見えるのですが、実はしっとりとしています。そしてビスケットならではのコクも相まって優しい食感でした。ちょうどタルトの“土台”に近い味ですが、くぐらせた牛乳もいい“隠し味”になっているようです。幸せなひとときになりました。
そういえば番組では生放送のハプニングか、チョコレートクリームが結構あちこちに飛びそうになっていたようで、黒柳さんとペアを組んでいた司会の久米宏さんが「もう、子供の泥んこ遊び!」と称してスタジオの笑いを誘いました。そして「ベストテン、最後は料理番組になりました」と言って締めていたのを思い出しました。
私が小さいころは明治生まれの祖父や祖母が大変大きな存在に見えたのですが、これから生まれる人たちにとって、昭和生まれはどのように映るのでしょうか。今回お伝えしたことは些細な昭和の記憶ですが、時代につれて変わるべきものは何か、受け継ぐべきものは何か…伝えて行くのもジャーナリストの役割なのだろうと思います。
本年も小欄をよろしくお願いいたします。(了)