万年筆の手入れに思う…「モノづくり」の真髄
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「報道部畑中デスクの独り言」(第93回)では、ニッポン放送報道部畑中デスクが、万年筆の手入れとその歴史について解説する。
最近、自分の持っている万年筆の手入れをしました。今年3月まで早朝の番組を担当していたときは頻繁に使っていたのですが、終了後は使う機会が減っていたため、少し休ませることにしたのです。
万年筆の手入れで必要なのは水と空き瓶…これだけです。あとは乾かす際に適当な布とティッシュペーパーぐらいでしょうか(ちなみに洗剤は厳禁です!)。
万年筆はペン先のある首軸、キャップ、尻軸、コンバーターなどの部品で構成されます。これらを流水で洗ったり、瓶に入れた水に浸すことで、残ったインクを排出します(軸によっては水に浸せないものもありますので注意!)。インクの色が消えるようになったら水気を切り乾燥させる…と、作業自体は単純ながら、完全にインクを排出するまでには結構時間がかかります。寝る前に洗って瓶のなかにペン先を浸しても、翌朝にはまた瓶の水がインクの色に染まっています。これを何日も繰り返します。
小欄を含め、仕事はパソコンで執筆することが多い昨今ですが、やはり、万年筆を握り、落ち着いた気分で文字をしたためると、何とも言えない豊かな気分になれます。それと同様、手入れするのも楽しい作業です。そして高級品、普及品問わず、万年筆が持つ精巧さを改めて感じるのです。
万年筆は「筆記具の王様」と言われますが、その歴史は古く、日本筆記具工業会などによると、ペンとしてのルーツは何と約8,000年前。瓦に棒状の道具で傷をつけた筆跡がメソポタミアで発見されたそうです。その後、羽ペン、鋼鉄ペンなどを経て、万年筆を英語に表す「Fountain Pen(泉のようにインクが流れるペン)」という名称が生まれたのが1809年、イギリスのブラマーが軸内にインキを貯められる筆記具の特許を取得した際に名付けられました。
そして、1884年にアメリカ(当時。現在はフランス)のウォーターマンが、毛細管現象の原理を応用したペン先の特許を取得。現在の万年筆の原型となります。ウォーターマンは保険外交員の名前。客の契約書を取り交わしてサインを求めたところ、インキがボタ落ちして書類を汚してしまい、契約が破談になったことをきっかけに、万年筆の開発に取り組んだのは有名な話です。
この万年筆が日本に上陸したのは1895年、丸善が初めてウォーターマンの万年筆を輸入しました。ちなみに「万年筆」の由来は諸説あり、1884年に日本初の国産万年筆をつくった大野徳三郎が命名したという説。丸善の社員だった内田魯庵が末永く使える、という意味で、「万年筆」と訳したという説などがありますが、確固たるものはありません。でも、手入れさえすれば長く使えるという意味では素敵な名称だと思います。
国産メーカーは1911年に阪田製作所(セーラー万年筆の前身)が。その後、1918年に並木製作所(パイロットコーポレーションの前身)、1924年に中屋製作所(プラチナ萬年筆の前身)が創業し、現在の「国産万年筆御三家」となります。
一方、海外ブランドで抜きん出ているのはやはりドイツです。「マイスターシュテュック」で有名なモンブラン、「スーベレーン」を主力とするペリカン、斬新なデザインで知られるラミー…デザイン、書き味、精緻な加工技術が求められる万年筆ですが、なかでもドイツと日本は国際的にも高い評価を得ています。
こうした万年筆の高度な技術を見るにつけ、私はそこに「モノづくり」の真髄を感じます。それは万年筆を含む文房具全体にも言えることで、訪日外国人が日本の文房具をこぞっておみやげに買っていくという話も聞きます。ドイツもまたしかり。例えば、ファーバーカステルは現在の鉛筆の原型をつくったとされています。
それだけではありません。自動車ではVW(フォルクスワーゲン)、ダイムラー、BMWを御三家とするドイツ。トヨタ、ホンダ、日産(ルノーと提携はしていますが)を軸に8社がひしめき合う日本。ドイツのゾーリンゲンと日本の関市(岐阜県)が生産地として名高い刃物…高度な加工技術を要する工業製品について両国は高い評価を受けています。
「合理主義」のドイツ人、「和を大切にする」日本人…その国民性は随分違うような気がします。しかし、工業製品において日本人のドイツに対する憧れは並々ならぬものがあります。ドイツ人は日本と比較されると気を悪くするかもしれませんが、一方で刃物に関しては日本に工場を持つドイツのメーカーもあり、お互いの価値を認めている部分もあります。国民性は違えども、モノづくりのDNAという点で両国お互いに通じ合うところがあるのかもしれません。
そして両国に共通するのはともに「敗戦国」であること。特に日本はこれを境に、モノづくりのカタチが大きく変わることになります。(次回に続きます)(了)