あけの語りびと

奇跡の『被爆ピアノ』と全国各地でコンサート「音楽を通して平和を伝える」

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今年8月6日は、80回目の「広島 原爆の日」です。原爆の爆風と熱線は、爆心地からkm以内の建物を殆ど破壊、焼き尽くしたといいます。

ただ、そのなかに、奇跡的に焼けなかったピアノ、いわゆる「被爆ピアノ」がありました。今回は、この「被爆ピアノ」と一緒に全国を回ってコンサートを開いている男性のお話です。

矢川光則さんと被爆ピアノ

矢川光則さんと被爆ピアノ

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

広島市の郊外、安佐南区ののどかな田園風景のなかに、庭先に4トントラックが停まった、一軒の工房があります。名前は、「矢川ピアノ工房」。ご主人の矢川光則さんは、昭和27年生まれの73歳、いわゆる被爆二世です。

矢川さんは、学校を卒業後、静岡・浜松の楽器メーカーにピアノの調律師として就職。その後、広島に戻って、楽器店で調律師を務めたのち、独立します。自分のお店を構えると、地元の人たちから古いピアノの引き取りに応じるようになり、そのピアノを修繕して、福祉施設に寄贈する活動を始めました。

ある日、年老いた女性が引き取って欲しいと頼んできたピアノがありました。女性はピアノと一緒に被爆し、戦後もずっと一緒にピアノと暮らしてきたといいます。

「8月6日に家は壊れたんだけど、ピアノはなぜか無事だったの。15日に戦争が終わるとホッとして、焼け野原でピアノを弾いたら、周りのみんなに石投げられて、もう、それっきり弾かなくなっちゃった」

そんな思い出を語ってくれましたが、いざ、埃をかぶったピアノが、家から運び出されるときになると、女性の目からは大粒の涙がこぼれて止まりませんでした。

矢川ピアノ工房

矢川ピアノ工房

『一緒に被爆して、一緒に戦後を生き抜いたこのピアノは、彼女の分身だったんだ』

そう思った矢川さんは、原爆の衝撃を受けた外観はそのままに、ピアノ線だけをつなぎ直して修復すると、再び素晴らしい音を奏でることが出来るピアノになりました。そして、「あの日」を乗り越えてきたピアノだと思うと、自然といままで以上に、平和への思いも強くなりました。

そんな折、広島市内で平和運動に取り組んでいる人たちから、「被爆したピアノでコンサートを開いてみませんか?」と提案を受けました。軽い気持ちで引き受けた矢川さんは、2001年、広島・平和公園に被爆ピアノを運んでコンサートを開きます。

すると、その話を聞いた長崎の平和音楽祭の関係者をはじめ、全国各地から、矢川さんのもとにコンサートのオファーが次から次へと舞い込んできました。ついに2005年には被爆ピアノと一緒に全国を巡るツアーが始まることになったのです。

矢川光則さんと被爆ピアノを運ぶトラック

矢川光則さんと被爆ピアノを運ぶトラック

「被爆ピアノ」と一緒に、全国を巡るツアーが始まって20年。矢川さんは、今も広島からピアノを積んだ4トントラックのハンドルを自ら握っています。東京近郊で依頼があれば、およそ800kmの道のりを1日がかりで走破。北海道や沖縄へはトラックごとカーフェリーに乗って、被爆ピアノの音を届けています。

特に今年は、被爆80年の節目と重なったことで、いつもの年より100カ所以上も多い、およそ260カ所を回る予定です。「まるで長距離トラックのドライバーさんのような生活だ」と話す矢川さんですが、その声は自然と明るくなります。

「元々、クルマの運転は好きなほうなんだけど、伺った先々で1人1人にドラマがあって、勉強になることが多いので、ハンドルを握っていても本当に楽しいですね」

そんな「被爆ピアノ」には、不思議な力があると、矢川さんは言います。ある街のコンサートには、乳がんで余命宣告をされた女性が聴きにやって来ました。被爆ピアノの演奏を聴いて思い直し、セカンドオピニヨンを求めて治療を再開すると、ピタッとハマって快方に向かい、寛解したのち、再びコンサートを聴きに来てくれました。

被爆ピアノ資料館の館内

被爆ピアノ資料館の館内

先日も、ある学校に平和教育の授業として訪問すると、不登校の男の子が、「被爆ピアノ」の演奏があるということで、勇気を振り絞って学校に来てくれました。男の子は、演奏が終わると、矢川さんの所に来て、ポツリと「僕、明日から学校に行くよ」と言ってくれたそうです。

「あの日を乗り越えたピアノは、いまも生きているんだと思います。実際、演奏する人によって、音色も全く変わるんですよ」

そう話す矢川さんですが、70歳を過ぎたことで、今後のことを考えて、ピアノ工房の一角に、「被爆ピアノ資料館」を作りました。今では、修学旅行の生徒たちも訪れる場所の一つになっています。

「原爆を体験した人はどんどんいなくなってしまいますが、被爆したピアノは残ります。音楽を通して平和を伝えることができる、被爆ピアノの役割は大きくなると思います」

若い世代にも、肩肘張らずに「平和」を考えるきっかけにしてほしいという思いを胸に、矢川さんと被爆ピアノの旅は、80年の節目を過ぎても続きます。

矢川ピアノ工房
https://www.ygtc.jp/
おかあさんの被爆ピアノ
https://hibakupiano.com/index.html

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