なぜ、東京の名物駅弁「チキン弁当」は、新幹線と共に生まれたのか?

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

東京の駅弁といえば、世代を超えて思い浮かぶのが、何と言っても「チキン弁当」。トマト風味のチキンライスにたっぷり入った鶏の唐揚げ。子どもたちはそのままいただいてよし、大人の皆さんは、一杯やりながらいただく方もいることでしょう。2024年には発売60年を迎えるロングセラー駅弁は、どのようにして生まれたのか。当時の「日本食堂」にまつわるエピソードと共に伺いました。

E257系電車・特急「踊り子」、東海道本線・大森~蒲田間

E257系電車・特急「踊り子」、東海道本線・大森~蒲田間

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第40弾・日本ばし大増編(第3回/全6回)

昭和のなかごろ、東京~大阪間の特急「こだま」をはじめ、数多くの特急・急行列車が運行された東海道本線。長距離列車には食堂車などが連結され、急行には寿司職人さんが乗務する「すしコーナー」を設けた列車もあったと言います。新幹線の開業以降、東海道本線は、伊豆・静岡方面の特急・急行列車と夜行列車が中心となり、いまは日中が特急「踊り子」、平日の朝夕は特急「湘南」が元気よく駆け抜けていきます。

日本ばし大増・穐山社長

日本ばし大増・穐山社長

いまから85年前の昭和13(1938)年、当時の鉄道省が音頭を取って、列車食堂を営業していた6社が共同出資して生まれた「日本食堂」。この系譜を受け継ぐのが、東京駅をはじめ、首都圏主要駅の駅弁を手掛ける「日本ばし大増」です。今回は列車・駅の食堂、駅弁のきっかけとなった出来事から、いまも東京駅の名物駅弁として人気を集めている「チキン弁当」の誕生エピソードまで、穐山健輔社長にお話を伺いました。

かつて稚内桟橋駅があった稚内港北防波堤ドーム

かつて稚内桟橋駅があった稚内港北防波堤ドーム

●日本食堂の駅構内食堂の1号店は、北海道・稚内!

―日本食堂は、基本的にどんなところで「食堂」を展開していたんでしょうか?

穐山:日本食堂は、列車食堂の会社としてスタートしました。当初は全国60本の列車で、1518人が働いていたと記録があります。東京・大阪・神戸・下関・門司・青森・函館の7駅に大きな営業所、名古屋・京都・広島・出雲今市(現・出雲市)・鹿児島・新潟・仙台・札幌に出張所が8ヵ所ありました。また、創業の年には、北海道と樺太を結んでいた稚泊連絡船の稚内桟橋駅(当時)が開業し、ここに駅構内食堂の1号店が開店しました。

―日本食堂が、「弁当(駅弁)」の製造を始めたのは、どんなタイミングでしょうか?

穐山:戦争がきっかけです。戦時中の昭和19(1944)年、列車食堂の営業が全て停止されました。代わりに長距離を利用するお客様に食事の提供をするよう行政から求められ、少ない物資から、五目弁当(40銭)と鉄道パン(20銭)を作って、列車内や駅構内で立ち売りしたと記録が残っています。鉄道パンはほのかな甘さがあり、人気があったそうです。昭和のころには、鉄道イベントなどで復刻した写真も、社内の文献にはありました。

0系新幹線電車(鉄道博物館)

0系新幹線電車(鉄道博物館)

●新幹線開業と共に生まれた「チキン弁当」!

―弁当は、どこで作って、販売していたんですか?

穐山:全国の営業拠点だったと考えられます。東京では神田駅近くに鉄道パン専用の工場を作り、東京駅や上野駅へ運んだそうですが、工場は戦災ですぐに焼けてしまいました。当時、弁当売店はなく、最初の記録は、昭和25(1950)年に開業したとされる金沢駅の弁当売店からです。首都圏では、昭和37(1962)年、上野駅構内に弁当売店を設置して、構内食堂で弁当も製造、長距離列車への積み込みも行っていたと言います。

―いまも続く、東京の名物駅弁「チキン弁当」が誕生したきっかけは?

穐山:昭和39(1964)年の新幹線の開業ですね。当時、最も大きかった品川の営業所の調理場で、ビュフェ(カウンターのある立食スタイルの軽食堂)に乗務する前のコックが、チキン弁当を作って、そのまま積み込んで車内販売していたと言います。なぜ「チキン弁当」だったのかは、当時の記録がありませんので、よくわかりません。ただ、文献などから推測することはできます。

復刻チキン弁当(2022年)

復刻チキン弁当(2022年)

●昭和のころ、チキンライスは鉄道旅のご馳走だった!

―新幹線開業に合わせ、「チキン弁当」を提供した経緯、気になりますね。

穐山:昔の列車食堂は鉄道省によって提供メニューが決められていました。朝食はオートミール、他はカレーライスやビーフカツレツなどがありました。カレーライス30銭、チキンライスは45銭で提供され、ビーフカツレツやローストビーフは40銭。チキンライスは相当なご馳走として列車食堂ができたときから君臨していたわけです。世界初の高速鉄道の運行開始時に「チキン弁当」が生まれたのは、自然な流れだったのではないかと思われます。

―当時の「チキン弁当」は、おいくらでしたか?

穐山:「チキン弁当」は200円でした。当時、この他に、幕の内弁当(150円)、お寿司弁当、サンドイッチの4種類の弁当がありました。この4つの弁当のなかでも、最高峰に位置していたのが「チキン弁当」なんです。その意味でも、列車のなかで「チキンライス」を食べることに、大きな旅の喜びがあったと考えられます。

チキン弁当(通常版)

チキン弁当(通常版)

―「チキン弁当」の味、どうやって受け継がれていますか?

穐山:当時の「チキン弁当」は、口伝や写真でいまも受け継がれています。当時はトマト感がいまより強く、唐揚げの鶏肉も固めの“肉らしい”味わいでした。以来「冷めても美味しい」という“チキン弁当の魂”は守り、美味しさのブラッシュアップを続けてきました。2022年秋も復刻版を製造いたしましたが、改めて、冷めてもご飯や唐揚げの肉が固くならずに、美味しくいただくことができるところなど、先人の技や苦労を知る機会になりました。

【おしながき】
・トマト風味ライス
スクランブルエッグ、ドライトマトのオイル漬け、グリーンピース、
・鶏唐揚げ
・野菜のピクルス
・スモークチーズ
・レモン果汁パック

チキン弁当

チキン弁当

令和元(2019)年の誕生55周年を記念してリニューアルされた、現在の「チキン弁当」(900円)。トマト風味ご飯の上に、少しウェットなスクランブルエッグとドライトマトのオイル漬けが載り、おかずには鶏の唐揚げ、キャベツ・玉ねぎ・人参のピクルス、スモークチーズ、お好みでレモン果汁を唐揚げにかけていただくこともできます。「チキン弁当」オリジナルの箸袋も嬉しいもの。来年(2024年)は“還暦”。ますます世代を超えて愛される駅弁になりそうです。

E2系新幹線電車(200系カラー)・団体臨時列車「なつかしのあさひ号」、上越新幹線・長岡~浦佐間

E2系新幹線電車(200系カラー)・団体臨時列車「なつかしのあさひ号」、上越新幹線・長岡~浦佐間

昨年秋に販売された「復刻チキン弁当」は、「駅弁味の陣2022」で見事150年記念部門特別賞を受賞しました。これを記念して、2月12日まで「駅弁味の陣2022 宴」と題して、主要駅売店等で販売されています。チキン弁当誕生のきっかけとなった新幹線は、昭和57(1982)年に東北・上越新幹線が開業。東日本エリアでは緑色の新幹線が主役となっていきました。次回は、JRの発足と日本食堂の関係をクローズアップしていきます。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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