東京を代表するご当地駅弁「深川めし」は、どのようにできるのか?
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「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
駅弁に特に求められるのが、長年その地域で受け継がれてきた食文化などが詰まった「ご当地らしさ」です。その意味では、東京のご当地性は前身の「江戸らしさ」ということになるでしょうか。駅弁膝栗毛の現地訪問企画「駅弁屋さんの厨房ですよ!」は第40弾。今回は初めて東京の駅弁屋さんにお邪魔して、江戸らしさが詰まった駅弁「深川めし」に注目いたしました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第40弾・日本ばし大増編(第1回/全6回)
日本の鉄道最速の最高時速320kmを誇る、東北新幹線「はやぶさ」号が北を目指します。東北新幹線は昨年(2022年)、盛岡開業から40年、八戸開業から20年の節目を迎え、その果たす役割は、益々大きくなっています。東京から仙台まで約1時間半、盛岡までは2時間あまり、新青森まで3時間弱、新函館北斗までの約4時間を、どの駅弁と一緒に過ごすのか? たくさんの弁当が並んだ東京駅の駅弁売場で迷うのも、楽しいひとときです。
東京駅をはじめ上野・新宿・品川・大宮など、首都圏主要駅の駅弁を手掛けているのが、「株式会社日本ばし大増」です。本社・工場は東北本線(宇都宮線)尾久駅の近くにあり、ここで作られた駅弁が、首都圏のターミナル駅に運ばれていきます。駅弁膝栗毛の恒例企画「駅弁屋さんの厨房ですよ!」の第40弾は、日本ばし大増で、東京を代表する駅弁「深川めし」(980円)の製造に密着しました。
日本ばし大増の「深川めし」は、前身の日本食堂時代、国鉄からJRに変わった昭和62(1987)年に誕生し、発売から35年を超え、着々とロングセラー駅弁の道を歩んでいます。当時、「東京ならではの駅弁とは何か?」と模索・議論するなかで、江戸時代から下町の職人さんたちの食事として伝わってきた「深川めし」という食文化に注目。試行錯誤の末、あさりをはじめ、当時はハゼや穴子が入った“駅弁の”深川めしができたと言います。
日本ばし大増の「深川めし」は、令和3(2021)年に大きくリニューアルされ、江戸時代の深川めしをできるだけ忠実に再現したものとなっています。最初の盛り付けは茶飯から。リニューアル以降、茶飯にはあさりの旨味が炊き込まれ、より風味のいいご飯となりました。現在、日本ばし大増では、さいたま市内に炊飯専用の工場を設けており、こちらのご飯も、炊き上がったのち、急速に冷やされて、尾久の工場にやって来ます。
リニューアルでひと手間加わったのがこの工程。日本ばし大増が製造する「深川めし」は、約10年前から“ぶっかけめし風”となり、あさりとごぼうは一緒に煮込まれていましたが、ごぼうの炒め煮を別に調理し、刻み海苔と一緒に載せていく形に変更されました。これで、一層、あさりの旨味を引き立てることができたと言います。いまや希少な存在となっている価格帯3桁の駅弁で、より手間をかけるようになったのは、特筆すべき点でしょう。
そして、日本ばし大増の「深川めし」は、味噌味のあさりが特徴。日本ばし大増によると、江戸の庶民は立ち食いで、味噌味の深川めしをかき込んでいたとする文献があるそう。味噌には、いまは流通量が非常に少ない江戸甘味噌を使用。江戸甘味噌は、塩分が少なく日持ちがしないものの大豆はたくさん使った贅沢品。これに生姜風味を効かせながらあさりを味付けすることで、当時の深川めしをできるだけ忠実に再現したと言います。
玉子焼きや蒲鉾など簡単なおかずを加えたら蓋をして、割箸をスリーブ式の包装と挟み込むと「深川めし」の完成。日本ばし大増によると、一昨年のリニューアル以降「深川めし」はますます好評を博しているそう。下町散策する人も増え、駅弁という形で地域の食文化を掘り起こし、そこにスポットを当て、旅を通じて多くの方に地域の良さ、楽しみを知ってもらう取り組みが、35年あまりを経て、ようやく実を結んできたことが嬉しいと言います。
【おしながき】
・茶飯 海苔
・あさりの深川煮
・ごぼう炒り煮 ゆでわけぎ
・玉子焼き
・蒲鉾
・蕗煮
・大根醤油漬け
「深川めし」のふたを開けると、ふんわりと、江戸・下町の香りが漂ってくるかのようです。甘めのあさりに生姜風味が効いて、旨味と共にサッパリとした食感が残ります。ちなみに、「深川めし」は、日本食堂時代の開発ということもあり、その後、日本食堂とジェイダイナー東海(共に当時)の2社に継承され、独自に進化を遂げていきました。このためいまも、東京駅には2種類の「深川めし」という駅弁があります。
隅田川を総武線の黄色いラインの電車が渡っていきます。「(合併により)日本ばし大増となったことで、江戸の味を追求していくベクトルと深川めしの方向性が、ちょうど合ったという一面がある」と話すのは「日本ばし大増」の穐山健輔代表取締役社長。次回からは穐山社長と一緒に、ルーツとなった「日本食堂」と「日本ばし大増」の歴史を紐解きながら、東京の駅弁にまつわる数々のエピソードを伺ってまいります。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/