数量政策学者の高橋洋一が7月12日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。7月8日に一周忌を迎えた安倍元総理について解説した。
安倍元総理が亡くなって1年 ~高橋洋一氏が語る、安倍晋三元内閣総理大臣とは
安倍元総理が選挙の応援演説中に銃撃、暗殺されてから7月8日で1年となった。第1次安倍政権時代には内閣参事官を務め、第2次政権時代にもさまざまな政策についてアドバイスを行っていた高橋洋一氏が、改めて安倍元総理について語る。
飯田)高橋さんは安倍さんの1次政権、2次政権を近くでご覧になっていました。
高橋)1次政権のときは参事官だったけれど、副秘書官というポジションでした。安倍さんのことは小泉政権のときから知っていました。秘書官体制は、財務、経産、外務、警察というように限定されていたので、「国内の省庁に関してはすべて財務省を経由しなければならず、大変なのですよ」と話していました。そのときに飯島さんが……。
飯田)小泉さんの当時の秘書官。
高橋)飯島さんがいくつかの省庁から選び出して、秘書官室の1席をそれぞれ1週間に5つ、5省庁で持ち回りにしていたのです。
飯田)持ち回りに。
高橋)安倍さんに「そういうやり方もあります」と言ったら、「それはいいね」となり、「10省庁から10人を集めよう」という方向になりました。
飯田)10省庁から10人。
小泉政権で辞めるつもりが安倍元総理に誘われ、第1次政権では内閣参事官に ~ポジションは副秘書官
高橋)第1次安倍政権ができるとき、私が小泉政権で辞めると言ったら、あとで「高橋さん、やってよ」と言われて驚きましたね。実は小泉政権が終わったあとに就職する大学も決まっていたのです。
飯田)そこで退官するつもりだった。
高橋)でも「やってくれ」と言われたので、大学をキャンセルしました。各省庁にとって、副秘書官を出すというのは重要な話です。
飯田)各省庁にとって。
高橋)年中、総理の傍にいられるわけです。直接、総理と話ができるかも知れないので、選りすぐりの精鋭を出してくるのですが、私だけ関係ないのですよ。財務省にも秘書官がいるではないですか。財務省から「お前は行くな」と言われたくらいでした。しかし、「行くな」と言われても仕方ありません。
飯田)ご指名ですものね。
高橋)通常はみんな省庁経由で申請するのですが、私の場合は直接、安倍さんに持っていきました。珍しい例ですよ。
租税原則「公平・簡素・中立」を高橋氏のアドバイスで「公平・簡素・成長」へ変更 ~財務省の人事案を蹴り税調会長を変更
高橋)それで秘書官をやっていました。他の人は省庁の仕事をしているけれど、私だけ全然関係ないのです。財務省がいろいろなことをやるときに、相談に乗るようなことをしていました。記憶に残っているのは税調会長ですね。
飯田)政府税制調査会の。
高橋)政府税調は財務省の色が濃いのです。毎年いろいろなことを言ってくる。租税原則というものがありますよね。
飯田)租税原則。
高橋)「公平・簡素・中立」とみんな当たり前のように言うでしょう。「公平・簡素」はいいのだけれど、財務省が出すと税収確保が先にあるから、あまり中立になりません。そのため、「中立にならないですよ」と安倍さんに言ったら、「どういうものがある?」と言われたので、「公平・簡素・成長」と答えたのです。
飯田)成長ですか。
高橋)「成長でいきましょう」と言ったら、すぐに「それはいいね」となりました。しかし、具体的にどうするのかが問題なので、「税調会長を変えましょう」と、財務省が持ってきた人事案を蹴ったのです。蹴ったら財務省はカンカンでした。
飯田)怒りますよね。
高橋)大変でした。
事務局の実質的な業務も財務省から内閣府へ
高橋)もう1つ、「事務局が重要ですよ」と言いました。形式的には、事務局は内閣府です。要するに政府税調は地方税もあるから、形式としては内閣府なのだけれど、実質はすべて財務省なのです。それを変えて、実質的なところも内閣府でやりました。そうしたら財務省は、内閣府の事務局の出入りを「誰が何時に入って、何時に出ていった」と、全部の記録を取っていました。そのぐらいすごかった。
飯田)全部チェックしていた。
高橋)出入りする人を全部チェックしていました。税調会長の差し替えも頭にきたと思うけれど、事務方の実質的な庶務を行ったことについても、面白くなかったのだと思います。
飯田)政府の会議は、事務方が何を用意して、どういう式次第にするなど、全部をコントロールできると言われますけれども。
高橋)もちろんできますよ。
飯田)内閣府には各省庁から出向しているため、財務省の出向者を枢要の要路に置いておけば、すべてコントロールできてしまう。
税調会長スキャンダルの際、「絶対に彼を守れ」と言った安倍元総理
高橋)全部できるのだけれど、それを実質的に内閣府で進めようとしたのですが、大変だった。何が大変だったかと言うと理論闘争ではなく、新しい税調会長のスキャンダルでした。宿舎に愛人を住まわせていた、という内容だったのですが、その宿舎を用意したのは財務省なのですよ。あれは参りましたね。財務省の用意した宿舎で、「ええ!?」という感じでした。
飯田)そういうバトルのようなものがあった。
高橋)ありましたね。そのときの安倍さんは立派で、「絶対に守れ」と言われました。私はほとんど毎日、税調会長と連絡を取り、「安倍さんが絶対にやめるなと言っている」と伝えにいきましたよ。
飯田)安倍さんは当時から、財務省との間では……。
高橋)戦っていました。だから租税原則の話でも、「中立に代わる言葉は何がいいか」と聞かれ、「成長の方がいいですよ」とはっきり言いました。減税系を中心とした税制を組むという形です。そういうことをやりたいと言っていたけれど、税調会長がメディアスクラムに慣れておらず、1ヵ月でものすごくやられてしまい、「辞めたい」と言って辞めてしまったのです。
今回の政府税調の答申が260ページにも及んだ理由
飯田)だから2次政権では、「増税はやむなし」というような傾向があったのですか? 消費増税は延期しましたが。
高橋)通常は毎年、政府税調を開くのだけれど、方針を最初に言って、あとはほとんど何もやらない。消費税だけはもう仕方がないと。
飯田)法律で通ってしまったから。
高橋)今回、税調の答申が260ページもあったでしょう。4年間も開店休業だったから、ブルペンで肩を回すような、エネルギーが溢れている感じですよね。
飯田)やれるものを全部詰め込んでしまえ、と。
高橋)私はそんな感じがします。税調の答申が260ページも出たというのは、最初の第1次安倍政権の話から振り返ると、感慨深いものがありますね。
飯田)その辺りの政策の進め方も、20年~30年ほど先祖返りしてしまっているような状況です。
高橋)完璧にしていますね。
飯田)表に出ないところも含め、いかに安倍さんが戦っていたかということです。
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