ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」(9月10日放送)に、元サッカー日本代表・本並健治が出演。日本代表時代の話を語った。

ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」
淵澤由樹(アシスタント):本並さんには以前、Jリーグが開幕した年に、腎臓が破裂してしまったという話を伺いました。そして復帰した1994年、29歳で初めて日本代表入りを経験します。
自見はなこ:初めて日本代表のユニフォームに袖を通したときの気持ちを覚えていますか?
本並:プレッシャーが半端なかったですね。(ゴールキーパーのため)私の後ろには誰もいないので。怪我の後遺症が残っており、70%ぐらいのコンディションで、準備不足のまま日本代表に入ってしまいました。
淵澤:本並さんは1997年のシーズン終了後、ガンバ大阪からコーチ就任を打診されますが、現役続行を選び、1998年からヴェルディ川崎に完全移籍されました。
本並:1997年にレンタルで1年ほど、ヴェルディ川崎に行った流れがあったのです。しかし、ガンバに戻ったら現役では(実質)クビ。まだやれる自信はあったので、自らヴェルディ川崎に話をもっていき、そこから5年ぐらいプレーできました。
自見:37歳で現役引退。悔いはなかったのですか?
本並:何チームからかオファーはありましたが、やり尽くした感じでしたね。
淵澤:引退後は解説などで活躍する一方、大学や高校などのサッカー部でコーチを務め、現在は八王子実践中学校・高等学校の女子サッカー部の監督をされています。
本並:女子サッカーの環境はあまりよくないのが現状です。人数も少なく、いくつかの学校が集まった合同チームなどもあります。八王子実践は、中学生を合わせても10人ぐらいしかいません。もう少し、なでしこジャパンに頑張っていただき、女子のサッカー人口を増やして欲しいです。