昨今のアナログ盤ブームで、改めて注目されているのが歌謡曲のレコード(ドーナツ盤)。
デジタル音源より音に厚みがあり、またCDでは味わえないジャケットの大きさも魅力の一つ。
あえて「当時の盤で聴きたい」と中古盤店を巡りレコードを集めている平成世代も増えているようです。
そんなアナタのためにドーナツ盤ハンター・チャッピー加藤が「ぜひ手元に置きたい一枚」をアーティスト別・ジャンル別にご紹介していきます。
WBC、侍ジャパンは1次・2次ラウンドを6連勝で通過。私も収録がかぶった14日のキューバ戦を除き、全5試合を観に行きましたが、めでたく米国行きが決まり、仕事が滞る状況がもう一週続くことになりました(笑)。残すは準決勝・決勝のみ。怒濤の8連勝で頂点に立っていただきたいものです。
ところで、今回目を引いたのが、初参加で2次ラウンドに進出したイスラエル代表です。予選を勝ち上がり、韓国やキューバを撃破しての4連勝はブラボーの一言。残念ながらそのあと連敗して、ロスまで行く夢は潰えましたが、日本戦でも最終回に3点を奪って最後まで諦めない姿勢を見せるなど、その戦いぶりは鮮烈な印象を残しました。
前回は「海外で活躍した日本人歌手」を特集しましたが、今回はその逆で、イスラエル代表のように「日本で活躍した外国人歌手」の、ぜひ持っておきたい一枚をご紹介しましょう。
【その①】・・・『ナオミの夢/ヘドバとダビデ』(1971)
日本の歌謡界で活躍したイスラエル代表といえば、男女デュオ・ヘドバとダビデです(女性がヘドバ、男性がダビデ)。楽曲の良さもさることながら、その流暢な日本語や、コンビ名のインパクト、そして「ナオミ」がたまたま、日本とイスラエル両方で普通に使われている女子名ということもあって、この曲は66万枚を売る大ヒットを記録。オリコン1位に輝きました。
そもそもなぜこの曲が日本で発売されることになったかというと、世界47ヵ国の代表が集った「第1回東京国際歌謡音楽祭」(世界歌謡祭の前身)でグランプリを受賞したからです。優勝者には日本でレコードを出せるというご褒美があり、彼らが滞在している間に急きょ日本語版の歌詞が作られ、レコーディングが行われることになりました。さきほど「流暢な…」と書きましたが、二人は日本語を話せず、恐らくローマ字+“耳コピ”です。プロの歌手は耳が優れていますが、突貫とは思えない綺麗な日本語はお見事です。
B面にはオリジナルの「ヘブライ語ヴァージョン」が収録されていますが、この曲はもともとCMソングだったそうで、いい曲と評判になったため、東京の音楽祭にエントリーしてみたら、思いがけぬ幸運が待っていたわけで、本当に世の中は分かりません。おととし、NHK『歌謡コンサート』でヘドバが来日して、この曲を山内惠介とデュエットしているのを観て「おお!」と思いましたが、なぜダビデは来なかったかというと、99年にオーバードーズでこの世を去ったそうです。R.I.P.
大ヒットしたので、出物はわりと多く、500円前後で入手できると思います。
【その②】・・・『面影の女(ひと)/チャダ』(1975)
真剣に野球に取り組んだら、たぶん世界最強国になると思うのがインドです。なにせ人口が13億人もいるのですから、単純に考えて、野球の天才がいる確率は日本の10倍。野球のルーツであるクリケットはプロリーグがあるほど盛んですから、そのうちインド人選手が、日本のプロ野球を席巻する日が来るかもしれません。
話が横道に逸れましたが、今から42年前、日本の歌謡界を席巻したインド人歌手がいます。「ターバンを巻いた演歌歌手」ことチャダがその人。16歳のときに農業技術を学ぶため来日した際、日本の演歌を聴き衝撃を受けたそうで、レコードを買い込み猛勉強。翻訳家など様々な仕事をしながら、たびたび来日し、自慢のノドを磨いていきました。
日テレの人気バラエティ『うわさのチャンネル』出演がきっかけで、その歌唱力が注目され、ついにレコードデビューを果たしますが、その記念すべき第1弾が本曲です。『○○の女』と書いて「ひと」と読ますのは北島三郎流ですが、実はこの曲、サブちゃんが直接歌唱指導。しかも山口洋子・猪俣公章の書き下ろしですから、レコード会社も相当力を入れていたことが分かります。
日本語はペラペラで、ターバン姿のインド人が聴かせる演歌を歌うのですからそのインパクトは絶大で、公称10万枚を売るヒットになりました。その後彼は芸能界を引退し、貿易会社を興して大成功。日本で歌手デビューしたことは日本企業と商談を進める際に、格好のネタになったようです。
少し前にジェロが「初の黒人演歌歌手」として売り出したときに、その先駆者としてチャダが再び脚光を浴びたことがありましたが、よせばいいのに再来日して演歌歌手として復活。その頃、インドフェスで歌っているのを偶然代々木公園で見ましたが、最近消息を聞かないところをみると、今はまたインドに帰ったんでしょうか?300〜500円ぐらいで買えると思います。
【その他、押さえておきたい一枚】
『サバの女王/グラシェラ・スサーナ』(1972)
菅原洋一が見出したアルゼンチン出身の女性シンガー。71年に来日。なかにし礼が日本語詞を書いたこの曲がロングセラーになり、日本で歌手活動を続けた。
『ミドリ色の屋根/ルネ』(1974)
第3回東京音楽祭でグランプリを獲得した、カナダ・ケベック州出身の天才美少年。日本でもデビューし、お姉様方のハートをワシづかみに。
【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5,000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。