今日30日のオリックス戦が開催される、本拠地のメットライフドームで急逝した森コーチの追悼セレモニーを行います。42歳、突然の死でした。25日のソフトバンク戦の前に、体調不良を訴えて入院し、3日後の28日、多臓器不全で帰らぬ人となりました。現役の同い年では、今季限りの引退を発表したロッテの井口、中日の岩瀬などが頑張っている。また、横浜DeNAのラミレス監督、松井秀喜さんも同じ、42歳。誰もが、「信じられない」と口にするのは当然でしょう。
2005年オフ、かねてから念願だったポスティング移籍でデビルレイズへ移籍します。06年からの2年契約。年明けから右肩痛で調整が遅れました。
振り返ってみれば、半ば見切り発車のよう。
と万全ではない状態でオープン戦へ登板。わずか3球で右肩を抑えて、マウンドにうずくまるという信じられないシーンが展開されます。
診断は右肩脱臼。
あまりの痛さに立っていられない。引きちぎられるような感覚だった。
そう。投球中の脱臼はメジャーリーグでも、ほとんど例がない。再起を目指しリハビリに取り組みますが結局、翌07年1月にメジャー契約を解除され、マイナー契約に。それも6月に解除されました。ポスティングで契約した日本人選手が公式戦に出場しなかった、最初の例。不本意な幕切れになりました。
しかし、
やり切った感じがまったくない。
と再び、マウンドで投げることを誓いました。
帰国してからもリハビリを続け、09年からBCリーグ石川の選手兼任投手コーチへ就任。
西武OBの金森栄治監督の仲立ちで声がかかりました。
そして、その年限りで金森監督が、ロッテのコーチに就任するため退任すると、後任監督に。
指導者経験が、わずか1年で監督になったにもかかわらず、14年に退団するまで毎年、前後期いずれかのシーズン、北陸地区の優勝へチームを導きました。
若い選手へ、自分のいろいろな経験をすべてぶつける。
が指導方針。
かといって、押し付けるのではなく、選手の言い分をじっくりと聞いたうえで、どうすればよいかを探る。
当たり前のようですが、これほど丁寧だった人はいなかったと多くの関係者は語っています。
西武では、ブルペン担当。
昨年5月、1軍コーチになり、不振の続く投手陣の立て直しに懸命でした。特に力を入れたのが救援陣の再構築。手応えを感じ、
みんなを信頼している。どのチームにも負けないはずだ。
と話していました。ファンの目にするところがないブルペンで、森コーチの指導は、わかりやすい、と選手から大評判。
というのは、指導する選手のフォームを真似ることがうまかったから。
言葉でいって、具体的に示す、若いコーチの特権でしょう。その指導力は、自身の経験がそうさせたものです。
指導者に転じてからは落ち着いた印象ですが、若い頃はお酒も好き。
ところが、翌日にはグラウンドへまっ先に登場して、きっちりと調整を欠かさない。
やる時はやる。一生懸命に。
25日、体調不良を訴え、病院へ行く際、コーチ陣へ
行ってきます!
とあいさつしたのが、チームへ最後の言葉となりました。
6月30日(金) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」