名古屋場所が始まりました。初日は2横綱3大関が敗れる波乱。中でも、日馬富士を下した嘉風が印象に残りました。
「相撲を観る環境ではないかもしれません。精いっぱい力を出し切り、いい相撲をとりたい」。
大分県佐伯市出身だけに、九州北部を襲った豪雨被害には、とても心を痛めていました。
「未来の力士を育てたい」と2013年の前から、大分で嘉風チャレンジと、嘉風相撲大会を開催。6月は子供向けの相撲教室を行ったばかりでした。大分中津工業高から日体大へ進学。3年時に学生横綱となりました。学生横綱タイトルから1年以内ならば、幕下付け出しデビューという特典がある。特典を生かすため、通常のケースなら卒業を待たずにプロの力士へ、というのが当たり前。ただ、嘉風は「学業も大事」と、きっちり卒業しています。
「自分で決めたことです。後悔はしていない。もし、幕下付け出しでデビューできても、学生横綱の相撲をとれる自信がなかったから」
と説明しています。卒業後、尾車部屋へ弟子入りして、タイトルホルダーでは初めて、前相撲が初土俵になりました。エリートの肩書を捨て、叩き上げで勝負。そうはいっても、モノが違いました。2005年名古屋場所で十両。06年初場所は待望の幕内昇進を果たします。
「幕内に上がる頃から、もういいか…。ずっと思っていた」
と告白。いわゆる燃えつき症候群でした。成績も一定せず、幕内と十両を行ったり来たり。エレベーター力士の1人になっていた。そんな時、サラリーマン力士とマスコミから揶揄されていることを目に。また、夫人からは、「どうして三役になれないの」という質問を受ける。
「気がついたら30歳になっていた。これではいけない」
と覚醒。
一念発起して、個人トレーナーをつけ、肉体改造へ取り組みます。所属する尾車部屋は力士の数が多い。どうしても土俵のけいこが少なくなる。そこで親方に許可を得て、部屋の中にトレーニングルームをつくった。32歳で待望の新三役に。なかなか三役定着はできませんが、常に土俵では必死の相撲が続きます。3度、三役へ返り咲き、今場所は小結2場所目。
大いなる気迫に満ちあふれ、場所前は出げいこも積極的でした。特に稀勢の里が出かけるところへ自身もけいこに行く。圧巻だったのは、6月30日でした。30番のけいこで、19勝11敗と勝ち越し。左を徹底的に封じて、右から攻めることを徹底したことが奏功しています。研究熱心なのは、小さな体形を補うためでしょう。
名古屋場所は一昨年、初の三賞(敢闘賞)を獲得。昨年も殊勲賞に輝きました。そんな話題になり、
「それでは、3場所連続でいっちゃいましょう」
と、歯切れが良いコメントが飛び出した嘉風。今日2日目は大関、豪栄道との一番です。
7月10日(月) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」