本日はピーター・ポール&マリーのマリー・トラヴァースの誕生日
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「ほら、こっちへいらっしゃい。一緒に写真を撮りましょう」。そばにいながらも遠慮がちにしていたぼくは、マリーさんに促され一緒に写真に収まった。1990年だったか92年だったか…。何度も来日しているので記憶は曖昧だが、ピーター・ポール&マリーのコンサートが終わったあと、バックステージでのことだ。もうすっかり、マンハッタン下町育ちのオバさんといったふうだったが、ぼくはずいぶん緊張しながら、マリーさんと肩を寄せ合ったのだった。
マリー・トラヴァース(Mary Traversだから本来は“メアリ”というのだが、日本の大半のファンの呼び方に合わせよう)。1960年代、目を見張るようなブロンドの髪を風になびかせ、自由と平等と平和、そして時代の変革を力強く歌っていたマリーさん。ピーター・ポール&マリーがボブ・ディランの「時代は変る」を歌い、彼女のソロ・パート「国中の母親、父親たちよ聞きなさい(中略)手助けできないのなら、新しい者に道を譲りなさい」というくだりにさしかかると、その毅然とした佇まいに身震いした。そのカッコよさ。まさに新しい時代の先頭に立つ女性だった。
1936年11月9日、ケンタッキー州ルイヴィル生まれ。父(ロバート・トラヴァース)、母(ヴァージニア・コイグニー)ともにジャーナリストで、市民活動家だった。2歳の時にニューヨーク、グリニッチ・ヴィレッジに移転。マリーは自由な気風と先進的な市民教育を受けながら育ち、ヴィレッジのフォーク・シーン勃興期に関わるようになる。やがてシカゴから進出してきたマネジャー、アルバート・グロスマンのもとで、ピーター・ヤーロウ、ポール(ノエル)・ストゥーキーとともに、フォーク・トリオ、ピーター・ポール&マリー(これも以下、馴染み深いPPMという略称で呼ぼう)が結成されたのは61年のこと。翌62年、フォーク・グループの先達ウィーヴァーズの「天使のハンマー」(If I Had A Hammer)を歌い、シングル・チャートのトップ10にランクされるヒットになった。邦題はちょっとファンタジックすぎるが、「ハンマーを持っていたなら、朝に夕に、脅威を砕き、警告を知らせ、兄弟たちの愛のために打ち下ろそう」という内容のメッセージ・ソングだ。ウィーヴァーズのメンバーだった女性歌手、ロニー・ギルバートはのちに述懐する。「私たちがこの歌を録音したころ、こんな歌はまずラジオでかけてもらえなかったのよ。時代は本当に変ったのね」と。
間もなくアルバート・グロスマンは若き才能ボブ・ディランと契約し、彼の歌は次々にピーター・ポール&マリーによって歌われる。「風に吹かれて」「くよくよするなよ」、そして「時代は変る」。ディランという存在は、まずPPMによって広く知られることになったのだ。63年8月28日、キング牧師が有名な“I have a dream”の演説を行った「ワシントン大行進」のその日、PPMは同じリンカーン記念堂前の演壇でディランの「風に吹かれて」を歌った。彼らは公民権運動の先頭に立つグループだった。64年2月、ビートルズがアメリカ上陸を果たして大旋風を起こす直前まで、PPMがそれまでリリースしていた3枚のアルバムは、いずれもアルバム・チャートのトップ10圏内にランクされていた。
フォークの全盛期が過ぎ去っても、PPMそしてマリーさんの記憶は鮮明だ。67年のアルバムに収めた「悲しみのジェット・プレーン」が、69年になって全米No.1ヒットになるという快挙もあった。グループは70年にいったん解散、それぞれのソロ時代を経て、78年に再結成。ピュアでポジティヴなメッセージを持つ歌を送り出し続けた。2003年にPPMの新作“In These Times”が出て間もなく、マリーさんは白血病を発症し、2009年9月16日、72歳の生涯を終えている。マリーさん、ありがとう。安らかに…。
【著者】宇田和弘(うだ・かずひろ):1952年生まれ。音楽評論家、雑誌編集、青山学院大学非常勤講師、趣味のギター歴は半世紀超…といろんなことやってますが、早い話が年金生活者。60年代音楽を過剰摂取の末、蛇の道に。米国ルーツ系音楽が主な守備範囲。