横綱日馬富士 沈黙を貫いている貴乃花親方の言い分とは?
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29日、横綱日馬富士が貴ノ岩への暴行問題で、日本相撲協会へ引退届を提出。同協会がこれを受理しました。皮肉にもあこがれの力士の次男から、寝首をかかれる形に。人の運命はわからないものです。日馬富士は、
「あの親方の相撲は、あこがれ以上のものがある。現役時代のビデオなどは、ほとんど見ている」
と語っていました。初代の貴ノ花との共通点は、小兵だったこと。あこがれた気持ちがわかります。もうひとつ、皮肉と言えば、モンゴル国立法科大学通信教育課程を2013年春に卒業。卒論が、「日本とモンゴルの法律の違い」だったそうです。
沈黙を貫いている貴乃花親方ですが、関係者の話では、ここまでの大騒動を望んでいなかったと言います。ボタンの掛け違いは、伊勢ケ浜親方と日馬富士が暴行騒動の後、すぐ協会へ報告する義務を怠ったこと。そして、伊勢ケ浜親方が何らかの処分を、日馬富士に下していれば-が貴ノ花親方側の言い分だということです。
自身では、
「今まで、お酒で問題を起こしたことはない」
と会見で語った日馬富士。後輩には親切で、「モンゴル人同士。喜びも悲しみも分かち合う」という姿勢は間違いありません。
「困った力士がいれば助けるのは当たり前」。
けがをした時など、医師を紹介するなど、親切だったそうです。モンゴル人会は、白鵬や日馬富士が苦しかった下積み時代を忘れないため、行ってきた集まり。かつては、お金がなかったため、両国の公園でそれぞれ食べ物を持参して集まったこともある。そうはいっても、日馬富士の酒グセが良かった、悪かったという両方の声がある。加えて、モンゴル出身の後輩には優しかった半面、日本人の後輩にはそれほどでもなかった。そんな話も聞かれます。
気になるのは、日馬富士の今後でしょう。今回は、廃業ではなく、引退ですから、相撲協会へ残る権利がある。ただし、日本国籍をもたない日馬富士は事実上、残ることはできません。
これまで不祥事でやめた横綱は3人。1949年の前田山は、大阪場所を途中休場して、帰京後に野球観戦した写真が新聞へ掲載されたことが原因です。87年の双羽黒。ちゃんこなべの味について、親方とけんかになった。その時、止めに入ったおかみさんにけがをさせ、部屋へ戻らなかった。10年の朝青龍は、一般人を暴行。日馬富士が4人目です。
15歳から絵筆をとり、苦しい時はキャンバスへ向かってきた。
「どうしようもない気持ち、言葉を色にする。幸せの時は、いい色が出ない」。
今が、その時かもしれない。
「今後は相撲界に恩返しをしたい」
とも語る日馬富士。引退を受けて、格闘技団体からはオファーが届くことは確実ですが、さて、どんな道を選択するのでしょうか。
11月30日(木) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」