1/17(水)FM93AM1242ニッポン放送『高嶋ひでたけのあさラジ!』今日の聴きどころ!①
村山元総理の取った超法規的措置とは?
6:30~ニュースやじうま総研!ズバリ言わせて!:コメンテーター鈴木哲夫(ジャーナリスト)
阪神・淡路大震災から23年 初動が遅れてしまった当時の村山総理
1995年に発生した阪神・淡路大震災から今日で23年になる。大災害が発生したときに国のリーダーである総理大臣はどのように行動すべきなのか、当時の村山元総理大臣の超法規的措置を例にジャーナリストの鈴木哲夫が解説する。
高嶋)阪神・淡路大震災から今日で23年ですね。23年前の今頃はもう大変な騒ぎでした。
思うのですけどたまたまあのときは“自社さ政権”、村山富市さんが総理で、福島の大地震のときは民主党政権だった。なんだか地震に自民党が噛んでいなくて、いろいろと感じるのですが。あのとき総理はもう全くの蚊帳の外で最初は大変だったのですよね。鈴木)何度も私は危機管理の本を書きました。村山さんにはインタビューもさせていただいたのですが、村山さんは全く経験も無いし危機管理に備えているわけでもなかった。とにかく朝起きてテレビを付けて大変な映像が入って来ている、村山さんの言葉を使うと「私はどうすりゃええんじゃ」と、本当にそういう状況になったと言うのですね。大きな混乱の中で何をして良いか分からなかった。それで初動が遅れた。
高嶋)びっくり仰天してしまったわけですよね。
鈴木)これは村山さん自身も認めていて、自分が被害を大きくしたという反省をずっとしていらっしゃいます。
高嶋)最初テレビで観たという話は本当なのですか?
鈴木)本当ですね。連絡を受けて「とにかくすぐにテレビをつけてくれ」と言われてつけてみたらすごいことになっていたと。ただ私も覚えているのですけど、まだ朝の時間に何が起きたか分からなくてテレビも「地震が起きた」「大変なことが起きているようだ」という状況でした。
「天災は仕方ないがその後のことは全て人災」 現場を最優先にする超法規的措置
高嶋)長田区の大火事、すごく燃え盛っている光景を各テレビ局のヘリが映し出して、あれを観て皆びっくりしてしまったのですよね。それから村山さんはどうされたのですか?
鈴木)そんな中で1人アドバイスをした人もいて、これは後藤田正晴さんでした。思い余って官邸に行って「天災はしょうがない。地震は人間の力ではどうしようもない。だけど天災が起きた直後のことは全て人災だ」「あなたは政治家だから全部やらなければいけない。やれることはなんでもやらなければいけない」というアドバイスをしたのです。
村山さんはいろんな対応をしたときに、自分に危機管理の知識があるわけではないけれども責任を取ることができる、実はこれがリーダーとしてものすごく大切なことなのです。総理大臣にしがみついてということでは無いですから。そういう座を捨ててでも何でもやれると。
それで何をやったかと言うと、自民党の小里貞利さんなどの人たちを全部現場に派遣して「全部現場で決めてくれ、現場が一番分かるんだから。法律であろうが何であろうが、それをひっくり返してでも現場が必要だと思う物は全部私が責任を取るからやってくれ」と、こういう体制を取ったのですね。高嶋)その辺が村山さんの一番良いところですよね。
鈴木)実はリーダーに一番必要なことなのですよ。座にしがみつくのではなく自分が全て責任を取るから現場に任せるというのが。この体制を取ってから石原信雄さんや役人のメンバーも全部送り込んで、つまり阪神・淡路大震災のあの場所に“もう一つの政府”ができたようなものです。それで上手く行き始めたのです。
高嶋)超法規的措置でいろいろと「あれもやれ、これもやれ」といっぱいあったみたいですね。
鈴木)そうなのですよ。東日本大震災のときはそれができなかったでしょう。だからその辺がいろいろと遅れていったことになるのだけど、やはりあのとき村山さんのある種の危機管理のひとつの教訓ですごく良いことをやったとすればそこなのですよね。
全て現場に任せる、責任は全部取る。法律ではない、現場で何をすべきかを最優先にする、その腹を決められるのはやはりトップの総理しかいないのです。高嶋)あれから危機管理が、いわゆる内閣の方にも官邸にも「危機管理室」等のいろいろな体制を取ったのですよね。
鈴木)自衛隊の出動の仕方とかもですね。そういうものが残ったけども、その後の災害を見る限りまだ十分にそれが活かしきれていないように思えますね。
高嶋)あのときによく言われたのは、兵庫県知事が自衛隊嫌いで中々「うん」と言わなかった、あれが非常に事態を大きくしてしまったのですよね。改めて思い出しますね。
高嶋ひでたけのあさラジ!
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