高嶋)時代と感動と驚きを伝えてきたレジェンドアナウンサーが連日登場!
2日めの今朝は、元日本テレビアナウンサー・福留功男さんです!
高嶋)福留さんを正面にすると、学生時代の想い出がダブるんだよね。
年は1級福留さんの方が上なんだよね。
福留)僕は中学校の時心臓病で1年休学しているから、4年かかっている。
高校の後は1年浪人。だから2年ダブっている。
こっちに来たのは、明治から声をかけられて。
アイスホッケーで有名だったの。
けど、チビで足が速いのは通用しない。
大学さえ卒業すれば行ける世界というのがメディア、ということで行った。
で、ニッポン放送・文化放送・日本テレビに履歴書を送った。
ニッポン放送も文化放送もアルバイトで結構いい値段がついていた。
日本テレビは朝4時から8時までだというので、学校の授業に間に合うと思って、こちらを選んだ。
高嶋)話をはしょっちゃって悪いけど…
トメさんが放研のなかで実況のアナウンス練習をしているところを一度も見たことがない。
なんでアナウンサーいきなりなっちゃったの?
福留)いきなり、じゃない。
最初は記者で、カメラを回してた。
ですから自分でしゃべる商売という意識は全くなかった。
ところが、アナウンサーが3人くらい欠員が出て、半年行って来いと言われ、使い物にならなかったら帰ってこいということで一筆書き…それでアナウンサーに。
高嶋)徳光さんが「彼はアナデューサー」だと。
アナウンサーとプロデューサー。
福留)アメリカ横断クイズは、社員が私とディレクター一人。
そうすると、二人で片足に1万ドルくらい巻いて旅をすることに。
行った先では信用がまだないわけですから、当然キャッシュで支払い。
アシスタントが2万ドルくらい盗られてことがあるけど、自分はない。
福留)自分が“アナウンサーとしてダメだ”と思ったのは…36歳で「アメリカ横断クイズ」に、次いで44歳で「ズームイン」に入ったときのこと。
阪神淡路大震災時、神戸長田区で中継していたら、30メートル前の所で女の子が泣いていた。
気になったので、7時21分にCMに入ったとき、聞いてみた。
女の子は「ここの下にお父さんいる」と。
CMがあけて、後の企画を全部飛ばして、女の子と一緒にそこを掘った。
するとお父さんの骨が出てきた。
高嶋)現場で判断してという、福留さん以外の人はそういう(姿勢で)放送をやっていたのかねえ?
福留)いや。
少なくとも私のチームは全部そういうことをやってました。
ただ、僕が困ったのは、女の子が泣き始めてその子をどうなぐさめるか。
僕は何も声をかけられず、彼女の肩を抱いただけ。
けどディレクターってのは嫌な奴で、いくらたってもCMに行かない。
僕らの周りをグルグルまわって撮るだけで。
そのとき、「どうして言葉がないのだろう。何かを言わなくてはいけない仕事なのに」
としゃべれない自分が苦しかった。
高嶋)テレビでそういうシーンがあって、余計な言葉を語るよりも、冷酷かもしれないけど、福留さんや子供の顔の変化を捉えるのが一番訴えたのでは?
福留)そう言われていますけどね。
けど、心の片鱗にしゃべるのが商売だという気持ちがあったものですから…。
高嶋)報道という精神があった、ということですね。
いま、過労のためとはいえ、おとなしい生活になって…これからはどうしたいと?
福留)高嶋さん!スケジュールが何も入っていないというのは最高に楽しいですね!
誰にも拘束されない。
今一番大切なことは歩けること。
高嶋)これは1回も言ってないことだけど、
オールナイトニッポンに登場したとき、最初に電話をくれたのはトメちゃんだった。
マメなんだね~
レジェンドアナウンサー、今朝は福留功男さんにいろいろと伺いました。
ありがとうございました。
6月13日(火) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より