防災瓦を開発し、会社の危機も救った開発担当者のストーリー

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番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】

きょうは台風や地震が来ても屋根から落ちない「防災瓦」を苦労の末に作り上げた開発担当者の、グッとストーリーです。
屋根瓦の産地として知られる、愛知県・三河(みかわ)地方。この地域で採れる良質な粘土で作った瓦は「三州瓦(さんしゅうがわら)」と呼ばれ、粘土瓦の生産量は、国内最大を誇ります。
そのトップメーカーが、知多半島の半田市にある、株式会社・鶴弥(つるや)

鶴弥

株式会社・鶴弥(つるや)社屋

昔ながらの伝統の屋根瓦を作り、90年代前半には、過去最高の売上げを記録しましたが、それが一転、苦境に陥ります。きっかけは、95年に発生した阪神・淡路大震災と、98年9月に紀伊半島などを襲った大型の台風でした。当時の屋根瓦は、ほぼ土の上に乗せているだけの状態で固定されていたため、大きい地震や台風に遭うと、吹き飛ばされたり崩れ落ちてしまったのです。
屋根瓦がはがれ落ちた建物の映像がニュースで流れるたびに瓦離れが進み、業界トップの鶴弥はその直撃を受けて、ピークの時より売上げが2割も減ってしまいました。

「このままでは会社が立ち行かなくなってしまう。洋風の、災害に強い瓦を作ろう!」

と開発に当たったのが、生産技術室課長の、伊東伸道(いとう・のぶみち)さん・52歳。

伊東伸道

自慢の防災瓦を手に持つ伊東伸道さん

高校を卒業後、印刷会社を経て、91年、26歳のときに鶴弥へ入社した伊東さん。もともと物を造ることが好きで「何か生活に関わり、世の中のためになるものを造りたい」と、瓦の道へ。
防災瓦の開発は、まさに伊東さんが願っていた「人の役に立つ物造り」でした。
さっそく、若手社員たちと知恵を出し合い、洋風の平らな瓦を作り、その上部にフックのような出っ張りを付け、上の瓦に引っ掛けて、瓦を固定するアイデアを考え出しました。

防災瓦

防災瓦のフック ハイパーアームとアンダーロックで瓦を固定できます

しかし、会議で提案したところ、古参の幹部たちから「普通の瓦を究めてもいないお前たちに、こんな難しい形の瓦が焼けるのか?」と厳しい言葉を次々に浴びせられた伊東さん。
実際、陶器にフックのような出っ張りを付けると、千度以上の高温で焼いたときに割れやすくなり、不良品が出る率も上がります。「よし、だったら実際に造ってみよう!」と奮起した伊東さんは、試行錯誤を重ね、ついに割れにくい試作品を完成させました。しかしこのときは、防災瓦が会社の主力製品になるとは考えていなかった伊東さん。生産にゴーサインを出したのは、亡くなった先代の社長でした。

「これはいい。やってみろ。ただし大量に作れないとダメだ。できるか?」

そのとき社長が出した条件は「瓦を立てた状態で焼くこと」。平らな洋風の瓦は立てにくいため、寝かせて焼くしかない、というのが瓦業界の常識でした。しかし、立てて焼くことができれば、一度に大量の瓦が焼けて、燃料費などコストも下がります。
はじめは「社長、さすがにそれは無理です…」と答えた伊東さんですが、社長はこの防災瓦に社運を賭けるつもりだと気付き、その無理難題を引き受けることにしました。焼く前の乾燥した固い瓦を、立てやすい形に削る機械も自分で造った伊東さん。1週間、ほとんど家に帰らず、生産ラインを造り上げました。

瓦

釜の中で立てた状態のまま焼かれている瓦

「実際に瓦を削ってみたら、砥石の減りが予想より早くて、慌ててダイヤ製の砥石を発注したり、削った粉で全身が真っ白になったり、もう大変でした」という伊東さん。
99年9月に発売された「防災瓦」は、防災意識の高まりとともに売上げを伸ばし、今や会社の売上げの9割を占める主力商品になりました。

そのお陰で危機を脱し、会社全体の売上げもかつてのピーク時を超え、危機を脱した鶴弥。
伊東さんに大量生産を命じた、先代社長の読みは正しかったのです。伊東さんは言います。

「防災瓦を出してすぐ『鶴弥の新しい瓦で家を建てたい』という注文の電話が来たときは、本当に嬉しかったですね。やっと、世の中の役に立つものが作れました」

防災瓦

防災瓦を使った家がこちら

【10時のグッとストーリー】
八木亜希子 LOVE&MELODY 2017年9月2日(土) より

八木亜希子,LOVE&MELODY

番組情報

LOVE & MELODY

毎週土曜日 8:30~10:50

番組HP

あなたのリクエスト曲にお応えする2時間20分の生放送!
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