番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
きょうは、奥さんとよく一緒に通ったラーメン店を会社を辞めて受け継ぎ、息子さんと一緒においしいラーメンを作っている男性の、グッとストーリーです。
神奈川県・厚木市。相模川を横断する街道沿いに、この地域でいちばん早く朝6時29分から店を開けるラーメン店があります。「ラーメンショップ厚木店」。前日深夜から仕込みを始め、早朝から毎日厨房に立っているのは、福村勝(ふくむら・まさる)さん・53歳。
「ここは昔、私と妻の行きつけの店だったんです」という勝さん。当時はお客さんでしたが、今では店主に。その横で手伝うのが長男の元気(もとき)さん・19歳。おいしいラーメンを目当てに朝早くからお客さんがやって来ますが、こうなるまでには紆余曲折がありました。
勝さんは1994年、4歳年下の正子さんと結婚。実はそのときすでに正子さんには重度の脳性まひを抱える長女がいました。周囲には反対されましたが、勝さんは「一緒に暮らそう」と正子さんと入籍。3年後、元気さんが誕生。一家4人で幸せに暮らしていましたが、ある日、正子さんのお腹に妙な膨らみが…。肝静脈に血栓ができる難病「バッド・キアリ症候群」で、腹水がたまっていたのです。その後、肝臓がんも発症した正子さんは2010年、医師から肝臓移植を勧められます。
「僕がドナーになるよ」と申し出た勝さんは25年間勤めていた会社を辞め、大手術に備えました。同時に次の仕事を探していたある日、一人で行きつけのラーメン店を訪れると「閉店」の張紙が。そのとき勝さんの頭にこんな考えが浮かびました。新たに就職先を探すより、退職金を元手に自分でラーメン店を開くのはどうだろう?
「このお店、僕にやらせてもらえませんか?」
勝さんはお店を経営するのもラーメン作りも全く初めてでしたが、病床の正子さんはとても喜んでくれました。
「あのおいしいラーメン屋さんで働けるの?私が良くなったら、二人で一緒にやっていこうね!」
笑顔を浮かべる正子さんに励まされ、開店の準備とラーメン修行に励んだ勝さん。2010年6月、移植手術が行われ成功したかに思えましたが、再び腹水がたまり、正子さんの病状は悪化。そして、開店予定日だった9月25日、正子さんは「ありがとう、本当にありがとう…」と言い残し、46歳の若さで息を引き取りました。
葬儀の後、精神的なショックと、自分も肝臓を半分失い体力的にも辛い中、勝さんは1ヵ月遅れでラーメン店をオープン。慣れない接客、ふと瞼に浮かんでくる正子さんの顔…つい注文を間違えたり、麺が伸び過ぎたりで、お客さんからクレームが来ることもありました。
そしてもう一つ、勝さんの頭を悩ませたのが息子の元気さんのことです。多感な時期に母親を失った寂しさからか非行を繰り返し、高校も1年で退学。そんなわが子に勝さんは「出て行け!」と叫んだことも…。従業員にも厳しく当たるようになり、大きな溝ができて、店からは笑顔が消えました。客足も伸び悩む、苦しい日々…。
そんなある日、勝さんがふと目にしたのが正子さんの闘病中、自分がつけていた日記でした。
あの頃も辛かったけれど、必ず道は開けると前を向いて生きていたじゃないか…。
「全部、自分の心の弱さが原因なんだ」
そう気付いた勝さんは従業員への接し方を変えました。
「自分が至らないことも、全部従業員のせいにして責めていたな、と反省したんです」
失敗しても「なぜできないんだ!」と一方的に叱りつけるのではなく、なぜそのやり方ではいけないのか、ちゃんと説明してから問題点を指摘するよう改めた勝さん。溝も徐々に埋まり、従業員にも笑顔が戻ってきました。元気さんに対しても同じように接し、そんな父親の姿を見て元気さんは通信制の高校に入り直し、勝さんと一緒に働きたいと厨房に立つように。
店が軌道に乗ってくると、勝さんはラーメンの作り方も見直し、スープのベースとなるタレや火加減にも改良を重ねた結果、「あの店はおいしい」と評判になり、客足も伸びていきました。
元気さんはその後、高校を卒業。結婚し一児の父に。勝さんも、おじいちゃんになりました。
正子さんと二人でラーメン店をやっていく夢は叶いませんでしたが、立ち直ったわが子と一緒にお店に立てる喜びを噛みしめる勝さん。心の中には、いつも正子さんがいます。
「元気は立派にやっているよ。自分も頑張っていくから、ずっと見守っていてね…」
【10時のグッとストーリー】
八木亜希子 LOVE&MELODY 2017年7月29日(土)より
番組情報
あなたのリクエスト曲にお応えする2時間20分の生放送!
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