オリンピックに出場する選手が、誰しも憧れ、手にしたいと願う「金メダル」。しかし、勝負は時の運。その競技で世界一の実力を持っていても、必ずしも獲れるとは限らないのが、また金メダルなのです。
昨日の夜、スピードスケート・男子500mに出場。4度目のオリンピックとなる平昌で「金メダル」に挑戦したのが、加藤条治選手・33歳です。
「今回は優勝候補ではなく、守るものはない。負ける覚悟もできている」
そう語った加藤選手は、かつて男子500mの世界記録保持者でした。
山形市出身で、6歳の時にスケートを始め、高校生から世界の舞台で活躍。2005年、20歳のときに、当時の世界記録・34秒30を叩き出し、翌2006年、初めて出場したトリノオリンピックでは、金メダル候補の最右翼となりました。
加藤選手自身も、金を獲るつもりで臨みましたが、結果はまさかの6位……。続くバンクーバーでも金メダル最有力でしたが、3位に終わり、銅メダル。「3度目の正直」を狙ったソチでは、1回目の滑走で、スタート後、刃先が氷に引っかかってつまずき、結果は5位に終わりました。
加藤選手は、オリンピック以外では、世界距離別選手権やワールドカップで、何度も世界一になっています。しかし、世間で紹介されるときの肩書きは、「オリンピック・銅メダリスト」……これが加藤選手には、耐えきれなかった。
「みんなの認識では、自分は“世界3位の男”。そこはどうしても納得できない」。
そのイメージを変えるには、どうしても平昌での「金メダル」が必要だったのです。
ところが、ソチオリンピックの後、スケーターの命である右ヒザが悪化。1年間、試合に出ずリハビリに励み復帰しましたが、今度は左ヒザも痛め、思うような練習ができないまま、平昌への選考会が近付いてきました。
そんな厳しい状況の中、去年の3月、高校卒業から14年間所属し、選手兼任監督を務めていた、名門・日本電産サンキョーを退社。
「どうしたいのかを自分に尋ねたら、『ハングリーになって挑みたい』という答えが返ってきた」
と言います。退路を断って、自分を追い込む道を選択した加藤選手。
平昌に向けた選考会では、日本電産サンキョーでチームメイトだった長谷川翼選手ら、若手も台頭してくる中、昨年末の選考会でみごと結果を残し、最終3枠目にギリギリ滑り込んだ加藤選手。新たに口にした目標は、13年前に樹立した世界記録に近い「34秒台中盤」を、再びマークすること。そしてもちろん、「金メダル」でした。
ソチでは、2レースの合計タイムを競いましたが、平昌からルールが変わり、一発勝負になった500m。
「僕の経験、技術、爆発力、これがうまくかみ合った時に行けるタイミングがある」「本番で大爆発できれば、勝機はある」
と臨んだ昨日のレース。最初の100mは9秒53と上々のタイムで通過しましたが、しかし、直後のカーブでバランスを崩して左手をつき、第2カーブの出口でも、ふくらんでしまう痛いミス。
結果は、34秒831。目標の金メダルには届きませんでしたが、なんとか34秒台をマーク。日本人選手では、5位の山中大地選手に次ぐ6位で、4度目の金メダル挑戦は幕を閉じました。
レース後、
「最初のカーブで大きなミスがあって、悔しい結果ではありますが、ここまでのチャレンジは自分の中で素晴らしいものでしたし、ミスも含めて、今日は賭けに出ていたので、悔しいけど頑張りました」
と語った加藤選手。4年後の北京を目指すかについては、明言は避けたものの、
「まだ上に行くチャンスはあると思うし、力もまだある」
と諦めない姿勢を見せました。
2月20日(火) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」