先月、平昌オリンピックで、スピードスケートの高木美帆選手が、一大会で「金・銀・銅」すべてのメダルを獲得して話題になりましたが、いま開催中の平昌パラリンピックでも、同じ快挙に王手をかけている選手がいます。埼玉県出身のチェアスキーヤー、村岡桃佳選手・21歳。早稲田大学の女子大生でもあります。
パラリンピックのアルペン競技は、立って滑る「立位」の部門と、スキー板が付いた特殊なイスに座って滑る「座位」の2つの部門に分かれています(座位の方は「チェアスキー」とも言います)。
急斜面で最高速度が100キロを超すのは、通常のアルペン競技と同じですし、いざという時、両足で踏ん張れない分、より高度な技も必要になるチェアスキー。特に今回の平昌のコースは、転倒者が相次いでいる難しいコースです。
そんな中、村岡選手は、まず土曜日の滑降で銀メダルを獲得。これが自身初のパラリンピックメダルで、日本勢・第1号メダルでもありました。続いて、日曜日のスーパー大回転で銅メダル。1日おいて、昨日火曜日のスーパー複合で銅メダル! 出た種目すべてメダルを獲得して、これで3個目。
これだけでも大変な快挙ですが、本人いわく、
「複雑な心境です。勝ちに行きたいと思っていたので、悔しい結果です」
と、決して満足していません。
出場する種目はまだ2つ残っていて、目指すは、まだ獲っていない「金メダル」です。
4歳のとき、横断性脊髄炎のため車いす生活になった村岡選手。
「たとえ障害があっても、外で活発に過ごしてほしい」
と積極的に外へ連れ出してくれたのは、お父さんの秀樹さんでした。
お父さんの導きで、車いす陸上、車いすバスケ、車いすテニスなど、様々なスポーツに挑戦した中で、小学3年のときに出会ったのがチェアスキー。雪の上で、風を感じながら滑る感覚のトリコになった村岡選手は、中学2年から、本格的に競技会にも出場するようになりましたが、埼玉県の自宅から、長野県のスキー場まで、村岡選手を毎日、車で送り迎えしたのも秀樹さんでした。
娘と一緒にゲレンデに降りて、つきっきりで練習をサポートした秀樹さん。親子二人で、ターン技術を磨いた努力が実り、高校2年生のとき、村岡選手はソチパラリンピック行きの切符をつかんだのです。
ソチでは、世界の厚い壁に阻まれメダルは獲れませんでしたが、
「平昌では絶対にメダルを獲る!」
と決意した村岡選手。難関で知られる、早稲田大学の「トップアスリート入試」を受験し、障がい者アスリートとして初めて合格。過去、何人ものオリンピック選手を生みだした名門、早大スキー部で、健常者のスキーヤーたちと寮生活を送ることで、大きな刺激を受けたそうです。
かねてから
「お父さんにメダルをかけてあげたい」
と話していた村岡選手。
滑降で1個目の銀メダルを獲ったとき、平昌に応援に来ている秀樹さんに、メダルをかけてあげたそうです。秀樹さんは、こう言いました。
「ズシリと重いメダルでした。今までの苦労や思いが詰まっていますからね」。
もう一つ、一番いい色のメダルを、お父さんにかけてあげてください。
3月14日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」