サッカー日本代表・本田 ACミラン時代、現地で受けた辛辣なコメントとは?

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練習後、ファンがスタンドから紐でぶら下げたACミランのユニフォームにサインする本田圭佑=愛知県内 2014年11月10日撮影 提供産経新聞

いよいよサッカー・ワールドカップ ロシア大会が6月に開幕します。日本代表は、今月末、本戦に向けて、試金石となる大事な試合をベルギーで2試合戦います。来週金曜日にマリ代表、27日にウクライナ代表と対戦。そのベルギー遠征へと向かう日本代表メンバー26人が昨日発表されました。半年ぶりの代表復帰で話題となっているのが、本田圭佑選手です。

去年9月以降、日本代表から外れていたのですが、現在所属しているメキシコ1部「パチューカ」で、今シーズンの後半11試合で4得点5アシストと、主力として活躍。ハリル監督が2月に手倉森コーチを現地に行かせて状態を確認し、今回の代表復帰となりました。

本田といえば、これまで日本代表の中心選手として活躍、クラブチームでは、イタリア・セリエAの名門、「ACミラン」で背番号「10」を背負うなど、サッカー選手として輝かしいキャリアを誇っています。しかし、決してエリートコースを歩んできたわけではありません。幾つもの失敗と挫折を味わい、その度に這い上がってきました。

大阪生まれの本田がサッカーを始めたのは、小学2年のとき。卒業アルバムには、

「セリエAに入団します。そしてレギュラーになって10番で活躍します」

と記しています。その夢を叶えるべく、小学校卒業後は、J1ガンバ大阪のジュニアユースに入団。そこで厳しい現実を知ります。関西の精鋭が集うチームの中で、本田は、抜きん出た存在ではありませんでした。スタミナ、スピードで劣っており、3年間で試合に出たのはごくわずか。ガンバ大阪のユースに昇格できず、高校は、石川県の星稜高校に進学しました。

ジュニアユースで味わった悔しさをバネに、練習漬けの毎日を送り、1年からレギュラーを掴むと、メキメキと力を付け、3年の時には、キャプテンとしてチームを率い、高校選手権で石川県勢初のベスト4に進出。プロ注目の選手へと成長したのです。

高校卒業は、J1の「名古屋グランパス」入り、21歳で海を渡り、オランダの「VVV(フェーフェーフェー)フェンロ」、ロシアの「CSKA(チェスカ)モスクワ」と着実にステップアップ。

2010年のワールドカップ南アフリカ大会では、開幕前に不信を極めた岡田ジャパンの主力に抜てきされ、2得点の活躍。日本をベスト16へと導き、一躍脚光を浴びました。

そしてついに、2014年、イタリアセリアAの「ACミラン」に移籍、栄光の背番号「10」を背負いました。小学生の頃に抱いた夢が現実に。しかし、不振にあえぐチームの救世主となるどころか、試合にすら出られず、ファンからは容赦ないブーイング、ミラン黄金期を支えたコスタクルタからは

「僕がいた当時のミランであれば、本田はペットボトルを運ぶ役さえも与えられなかっただろう」

という辛辣なコメントもありました。

不完全燃焼のまま3年半を過ごし、去年7月、新天地として選んだのは、メキシコの名門「パチューカ」。加入当初は負傷で出遅れ、ハリル監督からは

「本来のパフォーマンスを出せていない」

と、日本代表から外されました。

このまま終わってしまうのかと思われましたが、不屈の男・本田は、自らの実力で結果を出し、再び代表に戻ってきたのです。

「ロシアは僕にとって最後のワールドカップになる」

と、大舞台への意気込みを示している本田、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみです。

 

3月16日(金) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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