鉄人・衣笠を育てた2人の恩人

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衣笠祥雄 大橋巨泉 お別れの会

【大橋巨泉お別れの会の式典と献花】参列した衣笠祥雄=2016年9月5日午後、東京都港区 写真提供:産経新聞社

一昨日、衣笠祥雄さんが上行結腸癌のため亡くなりました。

衣笠祥雄さんが、当時の世界記録だったルー・ゲーリッグ選手の2,130試合連続出場に並んだのは1987年6月11日、広島 対 大洋戦のことでした。1970年10月19日の巨人戦から始まった連続試合出場は、この1987年の10月22日に行われたシーズン最終戦まで、17年間継続。2,215試合連続出場で、衣笠さんはユニフォームを脱ぎました。この記録はその後、カル・リプケン選手に抜かれましたが、現在も日本記録です。

この偉大な記録の陰には、2人の“恩人”がいました。ひとりは、衣笠さんの才能を高く評価し、カープに誘った名スカウト・木庭教さんです(当時はまだドラフト制度が始まる前)。実は衣笠さん、プロ入りして高額の契約金を手にしたことで、新車を購入し、連日、夜の街に繰り出すなど、まだ実績も残していないのに遊び回りました。

一度スカウトした選手は、ずっと面倒を見る木庭さん。衣笠さんのことも気にかけていましたが、入団して2年目のオフ、衣笠さんを自分の部屋に呼び出し、

「お前、ちょっとそこに正座せい!」

木庭さんは1枚の紙を取り出し、衣笠さんにこう言いました。

「どれにする?」

そこにはなんと、広島の企業名が書き連ねてありました。その瞬間、サッと顔色を変えた衣笠さん。そうか、自分はクビ寸前の状況なんだ…。

それから心を入れ替え、練習に励むようになった衣笠さん。もちろん、これは木庭さんの作戦で、ちょっとした「お灸」だったのですが。

そしてもうひとりの恩人は、当時カープのコーチを務めていた関根潤三さんです。根本陸夫監督に、

「衣笠を一人前のバッターにして下さい」

と頼まれた関根さん。選手寮に住み込み、衣笠さんに毎日何度も素振りを命じました。

ある日、音を上げて特訓をサボリ、夜の街に繰り出した衣笠さん。夜が明けようかという頃に「関根さん、この時間ならさすがにもう寝てるだろ」と寮に帰ってきたら、なんと……玄関先で関根さんが待ち構えていたのです。

「さ、衣笠、練習を始めようか」

泣きながらバットを振った衣笠さん。こんな厳しくも優しい恩人たちがいて、偉大な記録は成し遂げられたのです。

衣笠さんのご冥福を祈ります。

4月25日 飯田浩司のOK! Cozy up!「スポーツアナザーストーリー」

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