便利な地図データはいつからデジタルになったのか?
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日本最大手の地図製作会社である株式会社ゼンリンの社長である高山善司が、黒木瞳がパーソナリティの番組「あさナビ」(ニッポン放送)に出演。ゼンリンがそれまでアナログで制作していたものをデジタル化したのは84年。その経緯を語った。
黒木)今週のゲストは、日本最大手の地図の会社、株式会社ゼンリンの代表取締役社長、高山善司さんです。いまは地図と言えばデジタルですよね。カーナビであったり、スマホでも見られますし、どこからどこまで何分で行くとか、簡単に使えるようになりました。
ゼンリンさんでは1984年からカーナビの地図の開発の研究に着手なさっているということですが、ずいぶん早くからやっていらっしゃったのですね。
高山)84年当時、カーナビというよりも、アナログの作成システムを電子化していったのが始まりです。それから90年くらいになってカーナビが出てきたので、電子化したものをカーナビに流用したという歴史があります。
黒木)そのあたりの時代80年代後半あたりから携帯電話も軽くなっていく時代ではありましたが、アナログからデジタルに行くだろうと考えていらしたのでしょうか?
高山)そうですね。当時は二代目の社長が陣頭指揮をとってやっていましたけど、当然、アナログの地図を描いたりする職人さんの数も減っていくということも考えて、電子化は避けて通れないということで、決断しています。一般的にもそのようなことが当たり前になってくると。もう、30年以上も前になりますね。
いまの時代はそのとき、そのときとなるので、道路がつながればもう、3日後には地図が新しくなっている。紙の場合は印刷する工程があるのでどうしてもタイムロスがありますが、インターネットの場合はすぐに修正されます。
黒木)紙の地図とデジタルの地図というのは今後も共存していくと思うのですが、そのあたりのことはどうお考えですか?
高山)比率的には紙のほうが減ってきているのは事実ですが、今後は紙だデジタルだという考え方よりも最終的なアウトプットを機械のモニターに出すのか、紙に出すのかだけの違いです。要素は同じなので。
黒木)でもお客様に提供しているサービスは紙でもデジタルでも同じですから、やっているお仕事は一緒だという考え方ですね。
高山)アウトプットが違うだけで、もともとのデータベースは同じです。情報を収集して整備をして、提供するということで、やることは全く変わらないです。
黒木)足で情報収取するということなので、その現場の作業も変わらないのですか?
高山)ようやく、端末の精度が上がってきたので、いままでは紙の地図を持って行って調べていたのですが、徐々に、端末を持って行って入力をしていくというように、少しづつ変わってきてはいます。
そのあたりは合理的になっていかないと、書く人間の字がうまいとか下手だとかで影響されてしまいますからね。
黒木)ということは、私たちは靴の底を減らして頑張って調べるという人の力で作り上げたものを、便利に使わせていただいているということですね。
そう考えると、どんどん時代は変わって、仕事の仕方もそれに対応していかなければいけないという課題もあるわけですね。
高山)大きな課題ですね。
高山善司 / 株式会社ゼンリン代表取締役社長
長崎県出身。西南学院大学商学部卒業後、株式会社ゼンリンに入社。
営業部門を中心に歩み、2008年4月から社長に就任。
創業してから60年の歴史で、創業家以外の生え抜きのトップは初めて。
[株式会社ゼンリン]
大分県別府市で1948年「観光文化宣伝社」として創業。50年に善隣出版社と改称。
1952年から住宅地図を手がけ、80年には住宅地図の年間発行部数100万部を達成。
1984年からカーナビの研究開発に着手し、国内規格の統一にも関わり、全地球測位システム(GPS)を使った位置情報の提供のほか、自動運転やドローン操作向けの地図のシステム開発なども手がける。住宅地図は地域の状況を細かく把握するため、自治体や電力会社などでよく使われるほか、災害時の被災者救援活動や復旧活動でも活用されている。
またゼンリンはグーグルやマイクロソフトなどにもデジタル地図を提供。スマホやパソコンで見られる日本地図の多くがゼンリン製!
昨年6月には東京都の離島部にある7村の住宅地図帳を発売し、65年をかけて、全国1741市区町村の住宅地図を網羅。カバー率・100%を達成した。
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