【大人のMusic Calendar】
1978年(昭和53年)の今日、11月27日付オリコン・アルバム・チャートの1位を飾ったのは、アリスの2枚組ライヴ・アルバム『栄光への脱出〜アリス武道館ライヴ』である。同年8月29〜30日の日本武道館でのライヴを収録し、10月5日に電光石火のリリースとなったこの作品は、16日付のチャートでいきなり1位にランクイン。その後11月27日に至るまで7週間、その座を譲らなかった。そこまでの勢いを彼らにもたらしたのは、一体何だったんだろう。
アルバムそのものや、78年当時の音楽シーンの多種多様性を語って、その業績を検証するより、極個人的な見解だが「今こそアリスを見直すべき時代」と力説して前置きに変えないと気が済まない。何せ、「ニューミュージックお茶の間時代」の幕開けを告げた当時の彼らに関して、まともに語れる人材を探すのさえ一苦労だったのだから。
東芝音楽工業内に、従来の日本の音楽シーンにないオリジナルのポップスを提供する初めてのレーベルとして「エキスプレス」が発足したのは、1968年4月のこと。この「50周年」を盛大に祝おうという動きが今年見られなかったのが、悔しくてしょうがない。「大人のMusic Calendar」監修でコンピレーションでもリリースされていれば、と思わずにいられないのだが、数多のビッグ・アーティストを輩出したこのレーベルの歴史を振り返ってみれば、シングル・レコードのセールスに関する限り、最大の成功をもたらしたのは何を隠そう、アリスに他ならないのだ。アナログ盤晩年と呼ぶべき1987年までのチャート記録をまとめた「オリコン・チャート・ブック」によると、チャート集計開始以来20年間のアーティスト別セールス・ランキング記録で、アリスは31位。男性グループとしては5番目に高い記録であり、80年にポリスターに移籍してからのシングルの売り上げを差し引いても、エキスプレス・レーベルのアーティストとしては2位に当たる由紀さおりに100万枚以上の差をつけ、独走している。ちなみに以下オフコース、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、甲斐バンド、ユーミン、寺尾聰、長渕剛、チューリップが100位以内に名を連ねている(オフコースとチューリップは移籍後の売り上げも含む)。もちろん88年からのCDシングル時代を加算すれば、ユーミンや長渕がさらなる大ヒットを放ち、アリスの王座は落城してしまうのであるが。
1978年は、そんなシングル市場におけるアリスの勢いが加速した重要な年である。1972年にささやかなフォーク・グループとしてスタートし、静かにファンを増やしていた3人組は、75年関西フォークの隠れた名曲をアップデートした「今はもうだれも」でオリコン11位に達する初のヒット曲を放つ。折しも「ニューミュージック隆盛期」の熱気が追い風となり、翌年リリースした同曲を含む『Alice V』以降アルバム・チャート上位の常連となっていた彼らは、77年6月リリースした3枚目で初の2枚組となるライヴ・アルバム『エンドレス・ロード』で「第1期」の総括を行い、いよいよ10月に「切り札」を提示する。11作目となるシングル「冬の稲妻」だ。
最初はスロースターターだったが、プロモーションの波に乗ってテレビ出演が増え、翌年1月にスタートした民間の声を忠実に反映したランキング番組『ザ・ベストテン』に登場するや否や、勢いが止まらなくなる。最終的にはオリコンチャートで8位に達し、78年の年間チャートでも16位にランクインする。
筆者はこの時期のアリスから授かった多大なる影響を、とても否定できる立場ではない。というか、当時の「ニューミュージック現象」そのものを、である。この活気に満ちた「ニューミュージックお茶の間時代」は、80年代を過ぎるとバブリーでハイテクな時代の流れに押しつぶされ、いつの間にか陳腐の代名詞のような扱いに晒され始めた。その結果として、当時売れに売れたアルバム群が、いつしかリサイクルショップの「顔」になり、いくらサクサクやっても必ずどこからか顔を出すという、作った側としてみれば冷や汗ものの状況が生まれてしまうのである。その一因として、アリスやさだまさし、松山千春の当時のアルバムは、必ずと言っていいほどクラシックや軽音楽のLPレコードと並び、中学・高校の放送室に常駐していたという実情は挙げておきたい。洋楽ロックやアイドルのアルバムには、校内放送で流される程の大らかさはなかったし、ツイストやサザンとなると歌詞的に相当リスキーだった。学生の耳に優しいニューミュージックのアルバムは、レコード文化が過去のものになると、必然的に不用物の仲間入りをせざるを得なくなってしまうのだ。
しかし、である。近年「歌のない歌謡曲」のLPを集めるのにご執心となっている筆者故、アリス等のレコードを「目にする」機会は当然、高まるに決まっている。忘却の彼方に追いやられていたニューミュージック時代の熱気が甦ってくるのは、当然の報いだった。
いくら中学生時分でニューウェイヴやテクノに洗礼を受け始めていたとはいえ、ポピュラリティにそっぽを向いてちゃ、明朗な学生生活など送れるはずはない。「冬の稲妻」や続く「涙の誓い」、そしてこのライヴ盤に次いで発表され、シングルチャートでも彼らにトップの味をもたらした「チャンピオン」などのシングルヒットは、自然と日々の愛唱歌と化していた。当時、訳ありで同居していた異母兄弟の姉が持っていたアリスやチューリップのテープは、当時少ない小遣いをいくらレコードに注いでも満たされなかった筆者にとっては貴重なご馳走となった。1984年になってさえ、ギターを持った友達と「そろそろオリジナル曲で作品集作りたいね」と気ままに計画を始めつつも、まず出てくる曲は「帰らざる日々」や「チャンピオン」だったりした。
何せ、いくら尖ったことをやりたいと思っても、所詮は「ニューミュージック」という枠組みに入れられるのが必至な、そんな時代だった。アリスはそんな、出しゃばる勇気のないDIY音楽人にとっては「大先輩」としか言いようのない存在だった。何より、今では「サライの人」としか形容が浮かばない谷村新司のラジオ深夜番組から、男女関係のメカニズムについて面白く学んだ若者は相当数いたはずだ。
そして、そんなスーパースター元年となった78年のアリスの勢いを凝縮したアルバムこそが、この『栄光への脱出』である。あまりの過労に心身が崩れ、しばらくリタイアしていた谷村も無事復帰。まさに当時までのベストコレクションというべき選曲には、化粧品のキャンペーンソングとしてライヴ初日の24日前にリリースされ、9月から10月にかけてチャート1位を独走することになる堀内孝雄のソロシングル「君のひとみは10000ボルト」も含まれ、さらにセールスを加速させた。この時期はレコーディング・スタジオから場所を離れての録音環境が劇的に進化し、ライヴ・アルバムの好作品が多々生まれているが(世界的大セールスを記録したチープ・トリックの『at武道館』も、同じ10月のリリース)、ライヴ盤でチャート4週以上1位という例は日本だと後にも先にもないし、今後も期待できそうにない。
音楽そのものに対して触れるスペースがなくなってしまったけれど、その辺の補填は今後機会が巡ってくることを祈るとして、たった一言。熱いライヴ盤、である。「記録」的側面を重視した分演奏時間を極端に長くしたため、レコードではダイナミズムを忠実に伝えるとはいえない音質になってしまったのが残念だが、28日リリースされるライヴ・アルバム全7作をCDボックスセット化した『ALICE LIVE BOX [1972-1981]』では、その辺を改善したダイナミックなリマスターが行われていることを期待したい。
アリス「今はもうだれも」「冬の稲妻」「涙の誓い」「チャンピオン」堀内孝雄「君のひとみは10000ボルト」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』3タイトルが2017年5月に、その続編として、新たに2タイトルが10月に発売された。