4年間のブランクから女子駅伝で7人抜きの快挙 新谷仁美の再挑戦
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、13日の全国都道府県対抗女子駅伝で、7人抜きを披露。4年間のブランクを感じさせない走りを披露した、新谷仁美選手のエピソードを取り上げる。
「あと1人抜きたかった。悔しいです。走るのは大嫌い。努力も嫌い。でもこのブランクは才能で埋めました。私、天才ですから」
陸上界に、かつてマスコミを沸かせた「新谷節」が帰ってきました。2012年・ロンドン五輪1万メートル代表の新谷仁美です。ロンドンは9位でしたが、翌13年の世界陸上モスクワ大会では、日本人女子で唯一、1万メートル代表に選ばれ出場。代表発表会の際、
「新谷でーす。フリーでーす。彼氏いません!」
と愛嬌を振りまき、一般のファンを大爆笑させた得難いキャラクターの持ち主。しかし、レースへの抱負を聞かれると一転、真剣な顔で「“誰なの?この日本人は”と外国勢に思われるレースをしたい」と語り、それを実践します。
4000メートル手前から積極的に先頭に立つと、9500メートル過ぎまでレースを引っ張り、「このまま逃げ切るのか?」と世界を驚かせました。最後の最後でケニア・エチオピア勢にかわされたものの、日本歴代3位の30分56秒70で5位に入賞。日本人選手の入賞は2大会ぶりで、十分見せ場は作りましたが、レース後、報道陣の前に現れた新谷は、悔し涙を浮かべながらこう語りました。
「この世界で認められるのは、きれいごと抜きで厳しい言い方をすると、メダリストだけ。それは去年の五輪で自分が身を持って感じたことなのに、今回、分かっていなかったのかなと」
この世界陸上後、右足裏の故障が悪化したこともあって、新谷は14年1月に現役を引退。当時25歳でした。その後は一般の企業に就職し、事務職として勤務。OL時代も腹筋は欠かしませんでしたが、それは「夏にビキニを着るため」。走ることは一切せず、体重が一時13キロも増えたそうですが、17年にプロランナーとして復帰要請を受け、考えた末に承諾。昨年6月、「OLでお金をためるよりも、手っとり早い」と、4年ぶりの復帰を果たしました。新谷自身、道半ばで引退したことに、納得が行っていないところもあったのでしょう。
「自分が周り以上に、5年前の自分を意識している。5年前、25歳の私を超えたいし、決着をつけたい」
30歳での再挑戦。「走るのは嫌い」と公言しながらも、会社勤めをして感じたのは、自分の得意分野を仕事にできることの有難味でした。やはり自分には、陸上しかない……。
昨年12月にオーストラリアで行われた競技会に出場した新谷は、1万メートルを31分32秒50で制し、今年ドーハで行われる世界陸上の参加標準記録(31分50秒00)を突破しました。そして、13日に京都で行われた全国都道府県対抗女子駅伝では、東京のアンカーとして出場し、16位でタスキを受け取ると、ぐいぐいスピードを上げ、前を走るランナーたちを次々と抜いていきました。
「『お帰り!』と言ってくれる声援が力になった。みんなが言われるものではないから」
これで、今年の世界陸上、来年の東京五輪にも期待が寄せられますが、本人はレース後、いつもの「新谷節」で報道陣を煙に巻きました。
「1円でももらっている以上、やることはやる。でも東京五輪も世界陸上も視野にはないです。気分屋だから、明日にはいなくなっている可能性もあります」
破天荒なキャラはそのままに、陸上界に戻ってきた新谷。当面は1万メートルに専念する方針ですが、6年前の世界陸上で果たせなかった「表彰台のてっぺんに立つ」という夢を目指し、これからも走り続けます。