【大人のMusic Calendar】
渡辺プロダクションが擁していたスクール・メイツから、伊藤蘭(ラン)・藤村美樹(ミキ)・田中好子(スー)の3人がNHKの新番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールに抜擢されたのは1972年4月のこと。番組プロデューサーによって“キャンディーズ”と名付けられた彼女たちは、翌73年9月にCBS・ソニーから「あなたに夢中」で歌手デビューした。そして75年リリースの「年下の男の子」から次々とヒットを連ね、トップアイドルとして大活躍を遂げる。
しかし77年7月17日、日比谷野外音楽堂で開催されていたコンサートの終わり間際に突然の解散発表。ごく一部のスタッフにしか知らされていなかったそうで、ファンのみならず世間をも大いに揺るがすこととなった。この時の記者会見で放たれた「普通の女の子に戻りたい」という台詞は流行語となる。当初は9月いっぱいで解散する意思を固めていたが、その後の事務所との話し合いで結局翌年の春まで、半年間先送りされることになる。全国縦断ファイナルコンサート「ありがとうカーニバル」が催された後、最後のステージは78年4月4日の後楽園球場となった。約4時間に亘るファイナルカーニバルはもはや伝説である。ファンたちの絶叫が早春の寒空に響き渡ったあの日から早41年になる。
日中平和友好条約が調印され、新東京国際空港(現:成田国際空港)が開港した78年。キャンディーズの解散は一般のニュースでも大きくとり上げられる社会現象として、昭和史の1ページに刻まれることになる。いよいよ迎えた4月4日、東京・後楽園球場周辺は朝から異様な熱気に包まれていた。前日からの設営スタッフに加え、3人の最後になるであろう姿を見届けに全国から集まったファンが早い時間から開演を待ちわびており、球場の外には、チケットを入手出来なかった人々も数多く訪れた。当日の東京は、4月とはいえまだ肌寒さの残る日で日没と共に気温も下がっていったが、熱気に包まれた後楽園の観客たちは寒さなど微塵も感じなかったに違いない。一瞬も見逃すまいとステージを見守った。
開演予定の17時から17分遅れで始まったコンサートの幕明けは、クール・アンド・ザ・ギャングの「OPEN SESAME」で幕を開ける。演奏&歌唱はMMP+HORN SPECTRUM(後のスペクトラム)。やがて松明を手に金色に輝く衣装を纏って登場するキャンディーズが登場してアース・ウインド・アンド・ファイアーの「JUPITER」(邦題:「銀河の覇者」)をはじめ、洋楽のカヴァーを披露する。マネージメントを手がけていた大里洋吉氏の強い意向で、伊丹幸雄やあいざき進也のバックバンドを経て活動を続けていたMMP(=ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)と組んで、洋楽カヴァーで幕を開けるのがキャンディーズのコンサートの通例だったのである。黒いキャミソールに着替えて「朝日のあたる家」「ある愛の詩」などお馴染みのスタンダードを歌った後にまた衣装替え。ラメのレオタードの上に透明なマント状のものを羽織って、「宇宙のファンタジー」や、「エピタフ」が導入された「GOING IN CIRCLES」を歌い終えて洋楽コーナーを終える。
すっかり夜の帳が下りた中で、ランが赤、ミキが黄、スーが青のマイカラーを基調とした衣装に着替えて登場して歌われたのは、アルバム『春一番』から「恋のあやつり人形」。三色のショールを取り、カラフルな羽根があしらわれた衣装で歌う「内気なあいつ」がこの日初めてのシングル・ナンバーとなった。続いて「ハート泥棒」が披露された後にはじめてのMCが入る。「伊藤蘭、ランと呼んで下さい!」「田中好子、スーって呼んで下さい!」「藤村美樹、ミキって呼んで下さい!」「そして、3人揃ってキャンディーズです!!!」の挨拶から自己紹介ソング「キャンディーズ」へ。アルバム曲が数曲歌われた後、一転して吉田拓郎が供した「銀河系まで飛んでいけ!」、「黄色いビキニ」とアルバム曲が続いた後、スーのMCを挟んで、デビュー曲「あなたに夢中」が歌われる。続いて「そよ風のくちづけ」「なみだの季節」と初期ナンバーの連続に早くもファンたちは目頭を熱くした。
ファイナルカーニバルから2週間前にリリースされたばかりのアルバム『早春譜』のコーナーでは、3人が自ら作詞や作曲したナンバーを紹介。まずはミキが「買い物ブギ」「エプロン姉さん(マキちゃんに捧げる唄)」を披露。続いて黒いドレス姿のランが登場して「アンティックドール」「MOONLIGHT」を。ラストはスーがレザーパンツのセクシーな衣装で「午前零時の湘南道路」「私の彼を紹介します」を歌う。再び登場したミキがベールを纏ったウエディングドレス風の衣装で「おとうさんあなたへ」を歌っていると、同じドレス姿のランが舞台下からせり上がって加わり、さらにスーも加わって3人が「おとうさん、おかあさん」と台詞を連ねて、最後にミキのメッセージで締める感動的な演出で喝采を浴びた。一度暗転した後に現れた3人は、同じドレスのスカート部分を短くし、ベールとティアラを取った姿で、これこそ後にファイナルカーニバルを回顧する際の写真に最もよく使われることになる印象的な衣装で、ステージの最後の瞬間まで身に付けられることに。
いよいよの最終コーナーはお馴染みのシングル曲が次々と連なり観客席からの声援も最高潮に達する。吉田拓郎が供した「アン・ドゥ・トロワ」に続いて、シングルではミキが初めてセンターを務めた「わな」。続いて「哀愁のシンフォニー」のイントロが流れて会場がどよめく。なかにし礼×三木たかしが手がけた唯一のシングル曲はファンの間でも人気が高く、コンサートではサビの盛り上がりで飛び交う紙テープが名物となっていた。この日は中でも最大規模で、一斉に放たれた夥しい数の紙テープが都会の夜に大輪の花を咲かせた。ステージからそれを眺めた3人の眼にはどんな美しい光景が写っただろうか。続いての人気曲「悲しきためいき」の後、MMPへの謝辞が述べられる。いつもは3人の衣装替えの間に演奏されていた応援歌「SUPER CANDIES」がキャンディーズの前で披露され、渾身の演奏に客席が一体化する中、怒涛のシングル・メドレーが再開。「ハートのエースが出てこない」「その気にさせないで」「危い土曜日」の後、「皆さんが1位にして下さった曲『微笑がえし』、心をこめて歌います。聴いて下さい!」という渾身のメッセージに客席から割れんばかりの拍手が巻き起こり、事実上のラスト・シングルとなった「微笑がえし」が歌われた。深々と頭を下げる3人。「次は皆さんの歌声が聴きたいんです。一緒に歌ってくれますか?」と呼びかけ、ブレイクのきっかけとなった5枚目のシングル「年下の男の子」が歌われる。そして「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」でシングル曲コーナーは終了。
客席を煽りまくるコンサート名物の「DANCING JUNPING LOVE」が約10分に亘って繰り広げられた後、アルバム『早春譜』のラストを飾ったミキ作詞・作曲の「あこがれ」が静かに歌われる。ステージのバックに“FOR FREEDOM”の文字が映し出される中、センターからステージ奥へと戻る3人の頬を涙がつたう。客席からの熱いキャンディーズ・コールに送られ、ランがラストMCの口火を切った。続いてミキ、スーとそれぞれの口から送られるラスト・メッセージでスタジアム全体が涙に包まれる。そしてラストナンバー「つばさ」。間奏でランが語り、3人が声を合わせて「本当に私たちは幸せでした」の名台詞が発せられた。嗚咽しながら肩を抱き合い、ステージから姿を消してゆく3人を、観客も泣きながら見送った。4時間に及んだステージが終った後もしばらくの間、キャンディーズへのコールは鳴りやむことなく、肌寒い後楽園の夜空にいつまでもいつまでも響き渡っていた。女性アイドルグループとしては初めてのスタジアム・コンサートだったという『キャンディーズ ファイナルカーニバル FOR FREEDOM』はその瞬間から伝説のライヴと化した。その後も決して再結成されることのなかった3人のラストステージには、実に5万5千人もの観客が訪れたのであった。
キャンディーズ「あなたに夢中」「哀愁のシンフォニー」「わな」「微笑がえし」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
ソニーミュージックOTONANO『キャンディーズ メモリーズ FOR FREEDOM』スペシャルページはこちら>
http://www.110107.com/candies_memories
ファイナルカーニバルのポスター撮影協力:鈴木啓之
【著者】鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。