話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、4月7日のオリックス戦で、プロ14年目にして初の一軍マスクをかぶった楽天・銀次選手と、10年前に同じく“緊急マスク”をかぶった元巨人・木村拓也選手(故人)のエピソードを取り上げる。
「あんなキンキンの場面(=緊張する場面)で150キロの球を受けるんですから。自分しかいない。後ろにそらしちゃいけないと必死だった」(銀次)
4月7日に京セラドーム大阪で行われた、オリックス-楽天戦。5-2とオリックス3点リードで迎えた9回1死・ランナーなしの場面で、楽天・平石監督は思いきった策に出ます。正捕手・嶋に代わって途中出場していた2番手捕手・足立に、代打・藤田を送ったのです。
これが功を奏して、オリックスの守護神・増井攻略に成功。同点に追いついた楽天ですが、問題が1つ……この日、ベンチ入りしていた捕手は嶋・足立の2人だけ。9回裏の守備でマスクをかぶるキャッチャーがいないのです!
もちろん、平石監督もそれは承知の上。 実は“第3の捕手”がいたのです。足立に代打を送る際、平石監督は、一塁手の銀次に「用意しておけ!」と指示。銀次はすぐにブルペンへ向かい、9回に登板する楽天のクローザー・松井と急きょサインの確認を行うと、投球練習のボールを受けました。しかし、ブルペン捕手から借りたミットが合わず、再びベンチへ戻って、足立のミットを借りるひと幕も。まさにスクランブル状態です。
銀次が“緊急マスク”をかぶることになったのは、入団時は捕手だったからです。プロ1年目の2006年は、ちょうど野村克也監督が就任した年。リードに厳しい野村監督のおメガネにかなうことなく、09年オフに内野手への転向を命じられました。
その後、猛練習を重ね、レギュラーに定着。13年、球団初の日本一に貢献しましたが、試合に捕手として出場したのは09年の2軍戦以来、10年ぶり。1軍マスクは、プロ14年目で初めてのことでした。
急造捕手のスキを突こうと、9回、2死1塁のシーンでオリックスは盗塁を仕掛けて来ましたが、銀次はすかさず二塁へ送球。ボールは山なりでしたが、ちょうどランナー・西浦が走ってきたところにノーバウンドでボールが届き、盗塁を阻止したのです。これにはファンも大喝采。球団の公式ツイッターには“甲斐キャノン”ならぬ“銀次キャノン!!!”の文字が躍りました。
試合は5-5のまま、延長戦に突入。銀次は9回から12回まで、4イニングもマスクをかぶり続け、松井・ハーマン・森原の3人を巧みにリード。1安打無失点に抑え、敗色濃厚だった試合をドローに持ち込んだ銀次を、平石監督はこう讃えました。
「銀次はこんな緊張する場面で、本当によくやってくれた! 勝ち以上の引き分けじゃないですか」
捕手2人制をとる今シーズン、こういうケースが生じることを見越して、オープン戦のときから、投球練習の球を銀次に受けさせていた平石監督の深謀遠慮が実ったと言えますが、緊急指令に応えた銀次もまた“プロ”でした。
ところで、“緊急マスク”と言えば思い出すのは、かつて巨人に在籍した木村拓也です。内野・外野、どこでもすべて守れるユーティリティプレーヤーとして活躍した木村ですが、広島に入団したときは捕手でした。
巨人移籍後、マスクをかぶったことはありませんでしたが、チームが優勝に向けてマジックを減らしていた2009年9月、ヤクルト戦で“緊急事態”が発生します。この試合、正捕手の阿部が一塁に回り、先発マスクは2番手捕手の鶴岡が担当。
試合は延長戦となり、2人とも途中で交代。マスクは3番手捕手の加藤がかぶっていましたが、なんと、11回に加藤が頭部死球を受け退場。捕手登録されていた3人を使い切るという思わぬ事態に陥ったのです。このとき、当時指揮を執っていた原監督が“第4の捕手”に抜擢したのが、木村でした。「……拓也、お前しかいない。頼んだ!」
ミットやレガースなどを慌てて借りて、すぐにブルペンへ直行。延長12回から、10年ぶりに捕手として1軍の試合に出場した木村。原監督は、豊田・藤田・野間口の3投手を注ぎ込む作戦に出ます。当初はベンチからサインが出る予定でしたが、「自分で出した方が早い」とその場で3投手とスムーズにサイン交換。みごと無失点に抑えました。
試合は引き分けでしたが、マジックは減って、巨人は優勝に前進。この年、3年ぶりのリーグ制覇と日本一に輝きました。
木村はこの年限りで引退し、巨人のコーチに就任しましたが、翌10年4月、マツダスタジアムで試合前のシートノック中、突然クモ膜下出血で倒れ、37歳で惜しまれつつ急逝。実は亡くなった日が、4月7日だったのです。
同じ日に起こった、銀次の緊急マスク。これはまったくの偶然ですが、この機会に、木村拓也という投手以外の全ポジションを守った素晴らしい選手がいたことを、ぜひもう1度思い出していただきたいと思います。