中日・大野 新人時代に落合監督から未来を託された試合とは?

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、4月30日の巨人戦に先発、「平成最後のゲーム」を白星で飾ったサウスポー、中日・大野雄大投手のエピソードを取り上げる。

中日・大野 新人時代に落合監督から未来を託された試合とは?

巨人―中日3  巨人戦に先発し、7回1失点で2勝目を挙げた中日・大野雄=東京ドーム 提供共同通信

 

「うれしいです。今日投げて、今日勝てた。平成とともに自分も育った。最後の日で、特別な感情があった」(中日・大野雄大)

4月30日・平成最後の日に東京ドームで行われた、巨人-中日戦。思えば、平成を代表する伝説のゲーム「10・8同率決戦」(平成6年=1994年、ナゴヤ球場)もこのカードでした。
この日は始球式で、「10・8」で登板した巨人OB3人による「槇原→斎藤→桑田」リレーが再現されましたが、クライマックスシリーズのファイナルステージで5度も対戦するなど、平成時代、何度もシノギを削ってきた巨人と中日。そんな因縁があるだけに、この「平成ラストゲーム」はお互い負けられない戦いでした。

先発は、巨人がルーキー・高橋優貴に対し、中日は大野雄大。大野は88年(=昭和63年)生まれで、翌89年が平成元年。まさに本人が言うように「平成=自分が育った時代」なのです。
ヤンキース・田中将大、ドジャース・前田健太など、スター選手を多数輩出している「88世代」ですが、巨人・坂本勇人もこの世代。大野vs坂本の「平成の申し子対決」は、この試合の注目ポイントでした。
試合は初回、巨人が大野の立ち上がりを攻め、丸・ビヤヌエバ・岡本の3連打で1点を先制しますが、中日は2回に福田の3ランで逆転。以降、両投手がともに得点を与えず、3-1と中日リードで迎えた7回ウラ、巨人は2死1、3塁のチャンスを作ります。ここでバッターは坂本。

「いちばん嫌なバッターに回してしまった」

試合後にそう語った大野。過去、坂本と対戦したときは、やはり同年代という意識があるのか、インコースへの真っ直ぐで、力と力の勝負を挑むことが多かったのですが、この日の大野はひと味違っていました。
カウント1-1の場面、パッと頭に浮かんだ配球は「内角への真っ直ぐ」でしたが、ここで大野はこう考えたのです。「待てよ……たぶん、向こうも真っ直ぐで来ると思っているだろう。ウラをかいてやれ」
3球目、大野が投じたのは「ど真ん中のスライダー」(本人談)でした。読みを外された坂本はライトフライに倒れ、ピンチを切り抜けた大野。8回以降はリリーフ陣に委ね、今季2勝目を挙げました。チームもこれで、勝率5割に復帰。ライバルを倒し、みごと平成の最後を締めくくったのです。

「(スライダーは)相手も頭になかったと思う。打ち取れてよかった」

昨年は0勝3敗と精彩を欠き、未勝利のままシーズンを終えた大野。しかし今季は、与田新体制のもと心機一転。ベテランらしい老練さも身に付けました。7年ぶりのAクラスを目指す中日にとって、大野の復活は何よりの朗報です。

ところで、大野にとって巨人戦というと、忘れられないゲームがあります。プロ1年目の平成23年(=2011年)、1軍デビューを飾ったのは東京ドームの巨人戦でした。ドラフト1位・大卒即戦力として期待された大野ですが、左肩痛で出遅れ、この年はほとんどファーム暮らし。
ところが、当時中日の指揮を執っていた落合博満監督は、そんな大野を、シーズン最終盤、マジック2で勝てば優勝の可能性がある巨人戦に先発させたのです。緊張する大野に、落合監督はこう言いました。

「何点取られてもいい。自分のピッチングをしてこい」

さすがにプロは甘くなく、大野は2回までに6失点。しかし、落合監督は大野を4回まで代えず、大野は7失点でプロ初黒星を喫したのです。試合後、落合監督は:

「(プロは)甘い世界じゃない。でも得るものはあっただろう」

ファンからは「なんで優勝が懸かった試合に、ルーキーを初登板させるんだ?」と批判も出ましたが、チームを連覇に導いたにもかかわらず、この年限りで退任が決定していた落合監督は「自分が去った後のこと」を考えたのです。
実はこの試合、巨人の先発は、大野と同世代のドラフト1位ルーキー・澤村拓一でした。1年目から先発で活躍し、11勝を挙げて新人王になった澤村と投げ合うことで「その差」を実感させられた大野。「来年以降、きっと追い抜いてやる」……その悔しさが原動力になり、エースへと成長していったのです。
東京ドームでの勝利は、大野にとって“原点”を思い出す貴重な白星でもありました。

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