番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
きょうは、ドラフト1位の鳴り物入りで阪神に入団しながら、故障に悩まされ引退したピッチャーがスーツを着て会社員に。週末は指導者として第二の人生を歩んでいる、元プロ野球選手のグッとストーリーです。
東京・品川区にある、株式会社ロキグループ。産業用の精密濾過フィルターを開発・製造する株式会社ロキテクノをはじめ、コンシューマー製品を取り扱う株式会社トロイカジャパンなどのグループ会社を管理・統轄する会社です。
ここで、あるときは営業マン、あるときは広報・宣伝担当として多忙な日々を送っているのが、藤田太陽さん・39歳。
藤田さんは社会人野球を経て、2000年にドラフト1位で阪神タイガースに入団。しかし、入団前から痛めていたヒジの故障にたびたび悩まされ、じん帯を移植する手術を受けましたが思うような結果を残せず、2009年のシーズン途中に西武へ移籍。さらに2013年、ヤクルトでプレーしましたが、ヒジに限界が来て引退。13年間のプロ野球生活に自らピリオドを打ちました。
「引退した直後はモヤモヤしたものがあって、自分のプロ野球人生って何だったんだろう?……と、つい考えてしまいましたね」と言う藤田さん。当初はスポーツバーを開店しようと1年間、都内の焼肉店で飲食業の修業をしましたが、もっといろいろなことにチャレンジしたくなり、別の会社に入社。会社員生活を始めるかたわら、少年野球の指導も始めました。
「野球を通じて何かを伝えたいと思っていたんですが、その『何か』が分からなかったんです。2年ほど野球教室で子どもたちに教えていたら、『アマチュアのクラブチームのコーチをやってみないか?』と声を掛けてもらいました」
そのチームとは、富山県に拠点を置く「ロキテクノベースボールクラブ」。現在、藤田さんが勤務するロキグループが運営しているチームです。自分が探している「何か」とは、若い選手たちに自分の経験を伝えることじゃないか?……と感じた藤田さんは、2015年暮れに投手兼任コーチとして入団。本格的に指導者として、第二の野球人生をスタートさせました。
「自分が来たときは、野球好きが集まる同好会のようなチームだったんです。だから最初に『本気で勝ちたいという気がない選手は、辞めてもらって結構』と言いました」
選手たちには厳しい練習を課しましたが、ただ「やれ!」と言っても最近の若い選手は付いて来ません。見本を示すことが大事だと言う藤田さん。「こうすれば速いボールが投げられる」という理論を示した後、実際に140キロ台の速球を投げると、選手は納得するそうです。いまも選手登録をしているのはそのため。さらに、対戦相手のデータやビデオも自ら集め、徹底的にミーティングを行います。
「阪神に入ったときの監督だった、野村克也さんの影響が大きいですね。打ち取れる確率の高いところに投げれば、勝つ確率も高くなる。自分の野球の土台は野村野球です」
今年(2019年)からロキグループに入社。平日は東京で会社員として働き、週末は富山で野球の指導と、毎週忙しい日が続きますが、チームを強くするためなら二重生活は苦にならないそうです。
もう1人、藤田さんに大きな影響を与えた指導者がいます。藤田さんのプロ2年目、2002年に阪神の監督に就任した星野仙一さんです。
星野さんに「調子はどうや?」と聞かれ「いや~、ヒジの具合がちょっと…」と答えたら、「もうお前は使わん!」と怒られたと言う藤田さん。たとえ調子が悪くても、常に前向きな言葉で、ウソでもいいから気持ちを前に出せ! というのが星野さんの教えです。
「教え方は野村さんと正反対でしたが、野球に対する気持ちは星野さんがベースになってます」
藤田さんはプロ2年目のある日、星野さんから「監督室に来い!」と呼びつけられたことがあります。恐る恐る足を運ぶと、「頑張れよ!」と渡されたのが「祝・初勝利」と刻印された高級腕時計でした。スーツを着るようになってから、その時計を欠かさず身につけている藤田さん。
慣れない会社員生活でへこたれそうになったとき、朝、この時計をはめると「よし頑張ろう!」という気になるそうです。「僕にとっては魔法の時計ですね」
藤田さんは言います。「僕は、プロフェッショナルな選手にはなれなかったけれど、プロフェッショナルなコーチになりたい。いつか僕が指導した選手のなかから、プロ野球選手が生まれてくれたら嬉しいですね」
八木亜希子 LOVE&MELODY
FM93AM1242ニッポン放送 土曜 8:00-10:50
番組情報
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