話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、地元開催のオールスターゲームで見事MVPに輝いた、東北楽天ゴールデンイーグルス・島内宏明選手にまつわるエピソードを取り上げる。
2年ぶりの開催となったプロ野球オールスターゲーム。楽天生命パークでの第2戦で誰よりも輝いたのは、プロ10年目での初出場となった楽天・島内宏明。決勝打を含む3安打3打点の大当たりで、地元仙台でMVPに輝きました。
前半戦、打率は2割5分台ながらも、リーグ1位の66打点という勝負強さで「4番」としてチームを牽引。そんな島内だけに、実に“らしさ”を発揮したと言える夢の舞台でした。
島内といえば6月、試合中に広報経由で配信しているコメント、通称「島内語録」を集めたグッズを発売開始したことでも話題に。ならば、自ら活躍したオールスターでどんな言葉を残してくれるのかと、多くのファンが期待するなかで生まれた「島内語録」は、いつものおちゃらけた内容とは違う、感慨深いものでした。
「震災から10年たちまして、僕も10年目。ここでヒーローになれて良かった」
~『東京中日スポーツ』2021年7月17日配信記事 より(島内のコメント)
星稜高校を経て明治大学へと進んだ島内が楽天に指名されたのは、東日本大震災のあった2011年のドラフト会議でのこと。つまり、島内の楽天での歩みは、震災復興からの歩みとほとんど重なります。東日本大震災から10年の節目に、10年ぶりに仙台で開催された球宴で、プロ10年目の島内にスポットライトが当たったのは、何か運命的なものを感じます。
あらためて今回のオールスターを振り返ると、島内が活躍するように運命めいた流れができていた、とつい考えたくなるいくつかの要素がありました。それは、島内が以前から繰り返し「星稜魂」「明治魂」と言及して来た“母校愛”とつながります。
例えば、「星稜魂」。オールスター前日の15日に開催されたフレッシュオールスターでは、星稜高校の後輩、内山壮真(ヤクルト)が先制弾を放ち、MVPを獲得。また、7月13日にはロッテ・岩下大輝、ヤクルト・奥川恭伸と、星稜の後輩ふたりが同じ日に揃って勝利投手になりました。この1週間、星稜軍団の活躍は目を見張るものがあります。
これまでにも、ヒットを打ったあとに「星稜魂です」とコメントしたり、母校が甲子園で活躍すれば「後輩たちに刺激をもらった」と語るなど、並々ならぬ母校愛を語って来た島内。星稜高校出身の現役選手のなかでは、同期の高木京介(巨人)と並んで最年長世代であり、“星稜の長兄”として後輩たちの活躍に「今度は自分が……」と心沸き立つものもあったのではないでしょうか。
また、島内が星稜野球部時代に学んだことを知れば、プラス思考的「島内語録」を残し続ける背景も見えて来ます。かつて、「いまでも活きている星稜高校時代の教えは?」という問いに、島内はこう答えています。
「人間力野球です。心が変われば性格が変わるということですね。技術だけではなくてハートの部分を強くしようと思って毎日毎日練習していました。あの頃は結構走り込みもして、心身ともに強くなりました」
~『文春オンライン』2019年8月13日配信記事 より(島内のコメント)
このインタビュー以外でも、何度となく「心が変われば結果は変わる」といった発言を残している島内だからこそ、自分自身、そして広報やファンまでもがなぜか前向きになれる「島内語録」が残せるのです。
そして“母校愛”という視点では「明治魂」も外すわけにはいきません。MVPを獲得したオールスター第2戦、第1打席は明治大で5学年下の中日・柳裕也からセンター前ヒット。第2打席は同じく明治大の8学年下の広島・森下暢仁からライトへのタイムリーヒット。ともに後輩たちの初球ストレートを捉えて好結果が生まれたのです。
「今日は本当にできた後輩ですね。後輩から全然打てていないので悩んでたんですけど、祭り気分でいけました」
~『日刊スポーツ』2021年7月17日配信記事 より(島内のコメント)
明治大学野球部といえば、故・島岡吉郎元監督の時代から“人間力野球”を掲げて来たことでも知られています。
『「ここはプロの養成所じゃない。ここは世の中に社会人を供給する場なんだ」。そう声を大にして言った島岡元監督が築き上げた“人間力野球”の土台。根本にあったのは、学生野球は教育の一環であるという考えだった。ただ勝つための野球ではない。いかに勝利を挙げるかに加えて、学生たちが世の中で通用する人間へと成長することを追い求めた』
~『明大スポーツ新聞部』2019年6月12日配信記事 より
奇しくも島内は、高校でも大学でも“人間力野球”を学び続け、いまの野球観を培って来たのです。そんな島内が後半戦に目指すのは、もちろん2013年以来となるリーグ優勝・日本一です。
当時、島内はプロ2年目で97試合に出場。規定打席未到達ながら打率2割8分4厘、38打点をマークするなど、“恐怖の9番打者”の異名をとり、リーグ優勝に貢献。ただ、シーズン終盤に左肩痛で離脱したため、優勝の瞬間には立ち会えませんでした。
あれから8年。主力として挑む2度目の日本一へ。前半戦2位で折り返したチームを引っ張る「つなぎの4番」は、これまで同様「自分が」よりも「みんなで」を優先する“人間力野球”で頂点を目指します。
「震災で被害にあった方たちが、野球でちょっとでも(つらさを)忘れられる瞬間があればいい。優勝をみんなで目指していきたい」
~『読売新聞オンライン』2021年7月18日配信記事 より(島内のコメント)