水谷、萩野、白井、村上……去りゆくオリンピアンたちの“最後の言葉”

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、2021年に引退したオリンピアンたちが「ラストゲームで語った言葉」にまつわるエピソードを紹介する。

水谷、萩野、白井、村上……去りゆくオリンピアンたちの“最後の言葉”

引退セレモニーで花束を受け取り、笑顔を見せる村上茉愛=2021年12月11日、東京・国立代々木競技場[代表撮影] 写真提供:時事通信

2021年も残りあとわずか。今年のスポーツ界を振り返る上で欠かせないのは、やはり東京五輪です。十代の若々しいニュースターが登場した一方、自国開催という大きな節目を前後して、さまざまな競技で一時代を築いたアスリートが現役生活に別れを告げました。そのなかから、4人のオリンピック出場選手が「ラストゲームに際し語った言葉」を振り返ります。

■卓球 水谷隼

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『最後の1本を、若手のトレンドであるチキータで終わらせることができた。自分もずっと取り組んできたボール。勝負強さを改めて感じましたね。ここぞという時に力を発揮できる人間なんだな、と。自画自賛です』

~『朝日新聞』2021年10月25日配信記事 より

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2021年を象徴するアスリートの1人、卓球の水谷隼。東京五輪では伊藤美誠と出場した混合ダブルスで王国・中国ペアを撃破。日本卓球界初の五輪金メダルを勝ち取りました。

また、男子団体でも張本智和ら若手メンバーを引っ張り、2大会連続表彰台となる銅メダルを獲得。大会前から目の不調に悩み「東京五輪は特別な大会で、日本代表として戦う最後の大会」と語っていた水谷にとって、まさに集大成とも言える結果となりました。

そんな水谷の「現役ラストマッチ」となったのは、五輪での快挙から2ヵ月以上が経った10月、地元・静岡で行われた卓球Tリーグでの一戦でした。張本とのペアで臨んだダブルスでは、得意のチキータをはじめ持ち味を存分に発揮し、見事ストレート勝ちを納めます。

その試合後に飛び出したのが冒頭の「自画自賛」コメントでした。五輪や全日本選手権など、ここぞの大一番ほど結果を残す勝負強さで知られた水谷らしく、また、前向きでユーモラスな一面も見える「最後の言葉」でした。

■競泳 萩野公介

2016年のリオ五輪ではリレー種目も含めて金・銀・銅3つのメダルを獲得し、「キング・オブ・スイマー」と称えられた萩野。ただ、栄光のときは長く続かず、リオ五輪後に受けた右ヒジ手術をきっかけに極度のスランプに陥り、2019年には半年近くも休養を宣言。東京五輪出場そのものが危ぶまれていました。

それでも、リオで金メダルを獲得した400m個人メドレーを諦め、200m個人メドレーとリレー種目に絞ってエントリー。この決断も功を奏し、東京五輪代表入りを果たします。

五輪前、「メダルの色は考えていない」と語った通り、すべてを出し切ることを目標に挑んだ200m個人メドレーで決勝に進出。メダルには届きませんでしたが、引退会見で最後のレースを振り返った萩野はこう語りました。

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『格好よく終わる予定だったけど、弱いところもさらけだして全力で泳いだ。それも含めて、格好いい競泳人生だったかな』

~『日刊スポーツ』2021年10月24日配信記事 より

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■体操 白井健三

東京五輪を最後の檜舞台にできた選手がいる一方、その舞台に上がらずに競技人生に別れを告げた選手もいます。2016年のリオ五輪では男子団体での金メダルを含め、2つのメダルを獲得。鋭いひねり技の数々から「ひねり王子」とも呼ばれた白井健三もそのひとりです。

2021年6月、東京五輪出場をかけて臨んだ「全日本種目別選手権」で、得意のゆか競技では2位につけたものの、五輪代表枠を逃した白井。大会終了直後、自身のSNSでこんな言葉を残しました。

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『オリンピックに行けることが正解、行けないことが不正解ではないんです。もちろん行けた人は正解かもしれない。でも行けない人の中で正解した人だってたくさんいるんです!その1人が僕です』

~2021年6月6日 白井健三インスタグラムでの一節

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そしてこの言葉から10日後、白井は「未練は1つもない」と晴れやかな表情で引退会見に臨みました。

■体操 村上茉愛

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『私は今日で引退します! 最後の最後に金メダルで、感動を少しでも届けられたんじゃないかと思います』

~『日刊スポーツ』2021年10月24日配信記事 より

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同じく体操界では、女子の大エース・村上茉愛も今年限りで競技を退きました。村上といえば、東京五輪の「個人ゆか」で念願の銅メダルを獲得。日本の体操女子では57年ぶりの五輪表彰台であり、個人としては史上初の快挙でした。

東京五輪を「集大成」と位置付けていただけに、10月の世界選手権は、自国開催といえども出場するかどうか悩んだと言います。それでも出ると決めたのは、東京五輪が新型コロナウイルスの影響で無観客開催だったからです。

もともと、応援を励みに競技に挑んで来た村上にとって、観客の前で演技ができていないこと、そして、誰よりも支えてくれた母親の前で最後のパフォーマンスができていないことに、やり残した思いがあったのです。

そんな観客の前で、競技人生のまさに「ラストダンス」となったのが世界選手権での「ゆか」でした。冒頭の超大技「シリバス」を見事に決めると、その後も素晴らしい演技を披露し、金メダルを獲得。表彰式後には観客席で見守ってくれた母に花束を渡して、多くのファンの涙を誘いました。

その直後、ファンに向けてのコメントを求められた村上選手は、上述の「引退宣言」をしたのです。これ以上ない“有終の美”でした。

本稿で取り上げた4人のオリンピアンにとって、「引退」は大きな節目ですが、あくまでもそれは「一区切り」。競技との関わりはこれからも続き、既に後進の育成や競技普及活動にも取り組み始めています。そんな先輩たちの思いを受け継いだ次世代の選手たちが、2022年のスポーツ界を盛り上げてくれることを期待しましょう。

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