異例づくしの参院選、取材メモから
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「報道部畑中デスクの独り言」(第297回)
ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、異例づくしの参院選について---
参議院選挙が終わりました。
結果そのものは与党の圧勝。自民党が単独で改選過半数となる63議席。自民党に公明党、日本維新の会、国民民主党を加えた、いわゆる「憲法改正に前向きな勢力」は参議院で3分の2を超えました。
立憲民主党は改選前の23議席から大幅に減らして17議席。野党第一党の座は守ったものの、比例代表では日本維新の会の後塵を拝するという不本意な結果に終わりました。
その日本維新の会も12議席と、改選前からは倍増でしたが、躍進までには至りませんでした。一方、少数政党が健闘したのも特徴です。れいわ新選組が3議席を獲得した他、議席消滅が懸念された社民党も1議席を確保。この他、NHK党、参政党が議席を得ました。
私は今回も自民党担当。公約集のトップには「外交・安全保障」が掲げられました。昨年(2021年)の衆議院選挙では「感染症から命と暮らしを守る」でしたが、今回はウクライナ情勢や、台湾有事の可能性が取り沙汰されるなかで、「外交・安全保障重視」の姿勢を鮮明にしたわけです。
一般に選挙では「外交は票にならない」と言われるなか、「攻め」の姿勢が感じられましたが、演説ではこのような話題で足を止める人も多く、党としては手応えを感じていたようです。岸田総裁も選挙期間、G7サミット、NATOサミット出席で1週間近く国内を留守にしていましたが、これも外交重視の姿勢をアピールしたとみられます。
一方、岸田総裁は演説では新型コロナウイルス、安全保障、物価高騰対策、新しい資本主義、賃金引き上げ、成長と分配……こうした政策を淡々と訴えていました。公約集の「トリ」に見開き2ページで記された憲法改正についても、街頭では言及することはほぼありませんでした。一部の議員で物議を醸す発言はあったものの、奇をてらわない“安全運転”の選挙戦だったと言えます。
当初、党幹部から「ベタなぎ」という発言があるなど、与党優勢という観測のなか、“正攻法”の選挙戦が展開されていましたが、あの出来事を境に、選挙戦の雰囲気は一変します。
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「安倍元総理、撃たれる」
7月8日昼前、この一報が入ったとき、私は横浜市内で遊説取材を終え、電車で東京に戻る途中でした。浜松町駅からタクシーに乗り換え、永田町へ。総理大臣官邸では松野官房長官が緊急のぶら下がりに応じました。時間は1分ほど。安倍元総理の容体は不明、遊説で全国に散っていた閣僚の帰京が指示されたことを松野長官は涙声で語りました。
岸田総理大臣も遊説先の山形から急きょ、ヘリコプターで官邸に戻り、午後2時半過ぎに記者団の取材に応じます。
「民主主義の根幹である選挙が行われているなかで起きた卑劣な蛮行である。決して許すことはできない。最大級の厳しい言葉で非難する」
選挙戦中にすっかり日焼けした総理の表情は、「静かな怒り」とでも言える厳しいものでした。また、終始鼻をすすりながらの発言は何かをこらえているようにも見えました。
「民主主義の根幹」という意味では、今回の事件はメディアにとっても衝撃であり、報道陣のいるスペースも重い空気に包まれていました。その後、閣僚が続々と官邸に入ります。そのたびに記者が取り囲みましたが、取材に応じたのは警察の管理を行う立場の二之湯智国家公安委員会委員長のみでした。
午後5時40分過ぎ、「安倍元総理、亡くなる」との一報。午後6時には病院側が記者会見、そして午後7時前、岸田総理は再び報道陣の前に立ちました。冒頭、天井を仰ぎ、総理は語りました。
「本日午後5時3分、安倍晋三元総理がお亡くなりになりました。祈りもむなしく、こうした報に接することになってしまったこと、誠に残念であり、言葉もありません」
「民主主義の根幹たる選挙が行われているなか、安倍元総理の命を奪った卑劣な蛮行が行われた。断じて許せるものではなく、最も強い言葉で改めて非難する」
「当選同期であり、多くの時間をともにした良き友人でもあった。この国を愛し、常に時代の一歩先を見通し、この国の未来を切り開くために、大きな実績をさまざまな分野で残された偉大な政治家を、こうした形で失ってしまったこと、重ね重ね残念でならない」
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「決して暴力に屈しないという断固たる決意の下、予定通り選挙活動を進める」
選挙戦最終日の7月9日、前日の岸田総理の発言の通り、街頭演説などは実施されました。しかし、その景色は一変。候補者、スタッフは左腕に黒いリボン、喪章をつけて臨みました。安倍元総理への弔問のあと、喪服で駆け付けた党幹部もいました。
東京・銀座の街頭演説では黙とう。関係者によると、街頭演説で黙とうをささげるのは1980年、選挙戦中に急死した大平正芳元総理以来だと言います。
生稲晃子氏は「きょうは幸せな日、でもとてもつらい日でもあります」と語りました。横浜駅西口の街頭演説、三原じゅん子氏は「私にはまだ受け入れることができていない。世界の損失。テロに絶対に屈してはならない」と声を詰まらせました。応援に駆け付けた菅義偉前総理は、安倍政権下で官房長官を務めました。「卓越した指導力、先見力。そばで見ていて鳥肌が立つようだった」と述べました。
一方、警備体制は正面から背後に至るまで、多くの私服・制服の警察官を配置。演台のロープの前には政府の警察官が立ちはだかります。岸田総裁の遊説会場では金属探知機も配備されました。
岸田総裁は新潟市内で、「本当にいろいろなことがあった。大きな悲しみもあった。絶対に忘れることのできない選挙となった」と振り返りました。
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投開票日、7月10日の自民党本部は、1階入口の警備員が増員されて物々しい雰囲気。一方で献花台が設けられ、多くの花束が手向けられていました。
開票センターは党本部の9階で、昨年の衆議院選挙に続き、新型コロナウイルス対策として、コロナ前の約2倍の広さのスペースです。センターのラジオ席に私は身を置いていました。
候補者の名前がズラリと並んだボードには、黒い喪章が貼り付けられました。党のスタッフもすべて黒いリボンを着用。午後9時45分ごろ、当選者に花をつける「花付け」の前には、勢ぞろいした岸田総裁ら党幹部が黙とう。幹部は全員ダークスーツで臨み、岸田総裁の胸にも黒のリボンがありました。
当日行われた幹部のインタビューでは、今回の選挙について「順調な結果」「安全保障の強化、経済政策に反響があった」という発言がありました。公約集のトップに掲げた「外交・安全保障」重視の姿勢はひとまず功を奏したと言えます。ちなみに、「外交・安全保障」を公約集のトップにしたのは初めてではなく、3年前の安倍政権下での参議院選挙でも掲げられていました。
翌日7月11日に行われた岸田総裁の記者会見では、安倍元総理の死去に触れ、「安倍元総理の思いを受け継ぎ、特に情熱を傾けてこられた拉致問題や憲法改正などの難題に取り組む」と明言。憲法改正については「できる限り早く発議に至る取り組みを進める」と決意を示しました。一方で発議に関し、「改正するかしないかで3分の2賛成するのではなくて、具体的な内容について3分の2を結集しなければならない」とも述べました。
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安倍元総理の銃撃事件、これは「テロ」「暗殺」という声もあります。当時の警備の状況については徹底的な検証が必要です。二之湯国家公安委員長は12日の記者会見で、当時の警備体制を検証するための態勢を立ち上げるよう指示したことを明らかにしました。
警備のプロであるSPについて、以前、印象的だった経験を付け加えておきます。要人を取材していると、SPとも顔見知りになることがあります。ただ、記者が担当を変わるように、SPも警護担当の要人が交代することがあります。ある日、別の要人の取材で偶然、顔見知りのSPと会う機会がありました。
「お久しぶりです」
私が会釈をすると、彼はこのような言葉で返したのですが、その眼は私に合わせることはなく、ずっと警護対象に向いていました。おそらく、彼の眼は厳しい訓練でパノラマレンズのような機能になっているのではないかと察します。ほんの一瞬の出来事でしたが、SPのプロ意識を見る思いがしました。
多くのSPは厳しい訓練を積み、緊張感をもって警護に臨んでいることと思いますが、今回の事件ではそんな緊張感がいかほどであったのか、こうしたことも検証の対象になっていくと思います。(了)
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