稲盛和夫さん死去「人生は世のため人のために尽くすこと」
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数量政策学者の高橋洋一と、東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠が8月31日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。亡くなられた稲盛和夫氏について解説した。
稲盛和夫さん死去
京セラとKDDIを創業し、経営破綻した日本航空(JAL)の再建にも尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さんが8月24日、老衰のため亡くなった。90歳だった。故・松下幸之助さんと並び「経営の神様」と評する声も多く、その人生哲学や経営哲学を学ぶための勉強会「盛和塾」は国内だけでなくブラジルやアメリカ、中国など海外にも支部が設置され、およそ1万5000人の塾生が参加するまでになっていた。
飯田)ニッポン放送で2014年2月23日に放送された『NEXT STAGEへの提言 がんばろう!ニッポン人 次世代へのメッセージ』という番組のなかで語る、稲盛和夫さんの言葉をご紹介いたします。
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昭和と平成の歴史が終わっていく
飯田)50歳を過ぎてからということで、まさに第二電電(DDI)と言うと、我々の世代では「DDIポケット」があり、いろいろな会社でPHSを扱っていた時代でした。そのKDDや日本移動通信などがみんな集まってしまうというのは、驚いた記憶があります。
小泉)私も携帯はauにお世話になってきた身でもあります。ゴルバチョフさんと同世代の方が相次いで亡くなることになりましたが、私のなかで「ソ連と昭和」はほぼかぶっているのです。存続している時期がほぼ同じぐらいです。ただ、稲盛さんは平成の間もすごく頑張られたわけです。より「直近の歴史が終わっていくな」という感じがしますね。
飯田)昭和並びに平成がという。
京都賞を創設
飯田)高橋さんはどうご覧になりますか?
高橋)稲盛さんはいろいろな事業をされましたが、文化活動にも熱心な方でした。「京都賞」を創設されたのですが、出身から言っても科学技術に対して賞を出すのはわかるのです。でも京都賞は、映画や美術に対しても出されるのです。「京都らしいな」と思いました。
飯田)京都賞。
高橋)稲盛さんはもともと鹿児島の方だけれど、京都らしいなという感じがしました。
日本航空の経営再建も
高橋)年を取られてからも日航の再建もされたし、社会のためにという理念はよくわかります。
飯田)日航再建のときも幹部だけではなく、現場にも入って、一緒に酒を酌み交わしたというエピソードが出てきます。
高橋)立派な経営者でしたからね。
飯田)JALの取材に行ったとき、「123便の事故を検証する、そして伝えていく」という安全啓発センターの施設も、「稲盛さんになってからできたのです」とJALの方がおっしゃっていました。「安全というものを柱としてきちんと立てなければいけないのだ」という、ある意味フィロソフィーを大事にする方でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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