同じ風景を見てきた野田元首相による安倍元首相追悼演説
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ジャーナリストの有本香が10月25日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。衆院本会議での野田元総理による安倍氏追悼演説について解説した。
国会で安倍元総理への追悼演説
安倍晋三元内閣総理大臣に対する国会での追悼演説が10月25日、衆議院本会議で行われた。追悼演説をするのは野田佳彦元内閣総理大臣。(*編集部注:番組は10月25日午前7時45分ごろ、追悼演説が行われる前に放送)
飯田)9月27日に行われた国葬儀から約1ヵ月ですね。
有本)この間に県民葬も山口県で行われました。本来ならば、国会での追悼演説が先に8月にあって、国葬儀、そして県民葬という予定だったのでしょう。しかし、野党議員が追悼演説を行うのが定例だとするならば、野田元総理以上に適任の方はいらっしゃらないですよね。ご遺族の意向もあって、10月上旬に正式に依頼されたということを野田さんが明かしていらっしゃいます。
飯田)そうですね。
有本)野田さんはかねてからご自分の政治人生を振り返り、「自分は政治家以前に人としてこうありたいのだ。こういう社会をつくりたいのだ」ということを演説で語る方です。
政治家としての生い立ちがまったく違う安倍元総理と野田元総理
有本)特に安倍さんとは政治家としての生い立ちが違う。安倍さんは世襲議員として小さいときから半ば約束され、またそのようなものを背負ってきました。それに対して、自分はまったくの叩き上げであると。
飯田)野田さんは「私は自衛官の息子だから」ということをおっしゃっていますね。
有本)そのなかで、民主党にしてみれば獲ったはずの政権を、2012年に自民党にもう1回獲られてしまった。その一方で、総理大臣がいかに孤独で大変な仕事であるか。その仕事を歴代最長で務めてきたことに敬意を表すというような、敵ながら抑制の効いた、あるいは良識の上で議論し、違う意見を尊重し戦わせていこうという、政治家としての野田さんの姿勢が追悼演説で聞ければいいなと思います。いまの国会に対する警鐘にもなって欲しいです。
より孤独な総理大臣であった野田元総理 ~韓国からの攻勢も強かった
飯田)3年3ヵ月の旧民主党政権で、3代目であり(政権)最後の総理でした。消費税増税などの決断もあり、党内が崩れていくなかで、野田さんはより孤独だったでしょうね。
有本)尖閣国有化の話もありました。あとから関係者に聞いたのですが、あのときは野田さんに対する韓国の攻勢もすごかったようですね。
飯田)そうだったのですか。
有本)安倍政権になって、岸田総理が当時の外務大臣だったときに、日韓合意がありました。
飯田)慰安婦問題に関する。
有本)あれは韓国側が望んでいたものを日本側が崩したのですが、あの原型になる、韓国が自分たちの希望を入れ込んだもので野田さんのところに入り込もうとしていたようです。そのために周りから相当圧力があったと聞いています。
飯田)野田さんに。
有本)韓国側がもう1歩で崩せるというところで、政権が自民党に交代したようです。だから、野田さんはいろいろなプレッシャーと戦っていたのでしょうね。
飯田)当時は李明博政権の末期で、竹島への上陸があったのも野田政権のときでしたね。
当選同期でもある安倍元総理と野田元総理
有本)野田さんと安倍さんは当選同期でもあります。
飯田)そうなのですね。1993年ですか。
有本)同じ風景のなかで、90年代の時期は自民党が1度政権を手放す状況があり、改革勢力が出てきた。そのなかに野田さんもいたということです。
飯田)7党1会派連立の細川政権が誕生した。
有本)2000年代に変わるころに、もう1度自民党が政権を獲って、小泉政権、安倍政権となっていく。そういう流れのなかを一緒に歩んできました。
飯田)安倍元総理と野田元総理が。
有本)「県議会議員に出たときにお金がなくて街宣車を調達できず、1日13時間ほど街を歩きながら遊説して回った」ということを野田さんはときどきおっしゃるのです。遊説で鍛えたという自信もあるでしょうから、追悼演説では含蓄の深いお話をしていただけるのではないかと思います。それが安倍元総理に対する本当の意味でのはなむけになるのではないでしょうか。
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