話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、西武の松井稼頭央監督、ロッテの吉井理人監督、パ・リーグの2人の新監督にまつわるエピソードを紹介する。
ここ数年、毎年のように混戦が続くパ・リーグ。来季も最後まで先が読めない展開を期待してしまうが、そのカギを握りそうなのが2人の新監督だ。
今季3位に滑り込んだ埼玉西武ライオンズは、1軍ヘッドコーチから昇格する形で松井稼頭央新監督が誕生。そして5位に甘んじた千葉ロッテマリーンズでは、球団ピッチングコーディネーターだった吉井理人が監督に就任している。
元野手で47歳の松井監督。元投手で57歳の吉井監督。10歳も年齢の離れた2人は「元メジャーリーガー」という点以外に、意外な共通点がある。ともにライオンズ一筋でプレーした200勝投手で元西武監督、東尾修の影響を受けている点だ。
松井監督も吉井監督も、就任会見で「東尾修」の名を出す場面があったことが象徴的だった。
松井監督はPL学園時代の中村順司監督から始まり、楽天時代の星野仙一監督などプロの世界でもさまざまな名将たちの元でプレーしてきた過去を踏まえ、こんな言葉を残している。
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『どの監督も自分にとっては素晴らしい出会いでした。でも、プロに入って、東尾監督ですよね。僕は本当に東尾監督に出会っていなければ、今の自分はないと思っています』
~『東スポWEB』2022年10月18日配信記事 より
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東尾元監督との出会いは、プロ入り2年目の1994年。身体能力の高さは誰もが認めるところでありながら、投手からショートへの転向、スイッチヒッターへの挑戦と課題ばかりだった若き松井稼頭央。そんな逸材に厳しい指導で接し、我慢して使い続けて球史を代表するショートストップへと導いたのが東尾だった。
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「スイッチヒッターに挑戦した時もそうでしたけど、いろんなコーチからの意見もあったと思うんですけど、監督がコイツを(育てる)と思っていただいた。僕は『何とかこの監督のために』という思いだったので、自分もそういう強い信念を持ってやっていきたいと思います」
~『東スポWEB』2022年10月18日配信記事 より
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そんな松井監督が球団から託された使命は「常勝」と「育成」の両立。西武球団史上、最高の育成成功例ともいえる松井監督だからこそ、新たな“球界の顔”を育ててくれるのではないか。自身が東尾監督の我慢強い信念のもとで成長したように、若手選手たちを辛抱強く見守る姿を見てみたい。
一方の吉井監督にとって、東尾修は和歌山の実家で過ごした少年時代からの憧れの存在。そもそも両家の実家がわずか数百メートルの距離というご近所さんであり、小学校、中学校、そして甲子園出場も果たした箕島高校と、すべて東尾修と同じ学校で学んだ “直系”ともいうべき関係性にある。箕島高校入学の際、父親とともに東尾の元を訪ね、挨拶したのが最初の出会いだったという。
プロの世界で同じユニフォームに袖を通すことはなかったが、東尾が選手時代につけていた「21」の背番号が空けば、近鉄でもヤクルトでもオリックスでも、メジャーリーグでも希望してその番号をつけていた。そして今回、監督に就任するにあたって選んだのも、この「21」の背番号。その決断にいたった背景をこう語った。
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『選手時代は入団した時に地元の先輩である東尾修さんに憧れて、いつか21番付けたいなとの思いでプレーしてました。その番号がたまたまマリーンズでは空いてまして、しかも誰も付けたがらないんで、1回私が付けて、今度入ってくる選手に、期待する選手に渡したいなという気持ちでいます』
~『日刊スポーツ』2022年10月18日配信記事 より
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現役引退後、日本ハムやソフトバンク、そしてロッテで投手コーチを歴任。日本ハムではダルビッシュ有や大谷翔平、ロッテでは佐々木朗希といった大投手たちと接し、見守ってきた実績は申し分なし。さらに、筑波大大学院でコーチング理論を学び、体育学の修士学位を取得した球界きっての理論派としても知られているが、理論だけでは成功できないのもまた監督業の難しさだ。
ただ、吉井監督の現役時代を振り返れば、“ストッパー”として闘志を前面に押し出すスタイルが持ち味であり、その源流には“ケンカ投法”で鳴らした東尾修への憧れがあった。
そんな根っこの部分にある「情熱」と、理論に裏打ちされた「知性」が合わさったとき、どんな野球を見せてくれるのか。そして、自らが背負った「21」を今度はどんな投手に託していくのか。
勝負師として鳴らした東尾修の影響を受けた2人の新監督が、パ・リーグに新風を起こしてくれることを期待したい。