「セルビアの弱点」を地政学からみる

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外交評論家で内閣官房参与の宮家邦彦が12月2日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。地政学からみたセルビアについて解説した。

「セルビアの弱点」を地政学からみる

ベオグラード

モルドバとセルビア ~親欧米でウクライナと電力網もつながるモルドバ

宮家)先日、モルドバとセルビアに行きましたが、両方とも初めて訪れる国でした。行ったことのない国では、私は必ず軍事博物館に行きます。軍事博物館に行くと、その国が歴史的にどういう国に攻められたのか、また、どの国に攻めていったか。そして、どのように自分を守ったのかという歴史が全部、地図に出ているのです。

飯田)軍事博物館の。

宮家)モルドバは、ウクライナとルーマニアの間にあります。

飯田)ウクライナとルーマニアの間に。

宮家)そして、ルーマニアの横にセルビアがあるのです。しかし、モルドバとセルビアは対照的な国です。モルドバはいま親欧米の政権ですから、彼らは「ウクライナがモルドバを守ってくれているのだ」と言います。実際にウクライナに対してロシアがミサイルで電力網を攻撃しましたが、あの日にモルドバでも大停電が起きたのです。

飯田)電力網がつながっているのですね。

宮家)つなげたのです。

ロシアに近いセルビア

宮家)それに比べると、セルビアはロシアに近いのです。いろいろな理由があるのですが、まずスラブ系であるということ。それから、東方教会の正教同士という似たところがあります。いまセルビアはどちらかと言うと、ロシアに優しい国です。

飯田)ロシアに優しい。

宮家)一昔前のコソボ紛争ではNATOに攻撃され、ミロシェビッチさんは断罪されたわけです。ですから、行くまでは「セルビアはどんな国なのかな」というイメージを持っていました。

飯田)セルビアという国が。

宮家)行ってわかったのは、「セルビアはすごい」ということです。セルビアの首都はベオグラードです。ベオグラードは、かつてユーゴスラビアの首都でもあった。ただ、ベオグラードの歴史は2千数百年あるのだけれど……。

飯田)ベオグラードの歴史。

宮家)ベオグラードのドナウ川とサヴァ川が合流する地点の丘には、巨大な城壁が残っているのです。約2300年前からあると言われています。

飯田)2300年前、ローマ時代。

宮家)ローマ時代からあります。ベオグラードというのはそういう歴史的な街であり、ユーゴスラビアというのは、つい最近の話なのです。

歴史的にも苦しい契機がたくさんあったセルビア

宮家)ローマ時代があり、最終的にはオスマン帝国が来るのだけれども、セルビアは内陸国家で陸上国境しかないわけです。

飯田)海に面しているわけではないですね。

宮家)日本のように守りやすくありませんから、必ずどこかの国が攻めてくるのです。直近ではオーストリア=ハンガリー帝国です。キリスト教のなかでもカトリック系にやられてきています。

飯田)北からカトリックの圧迫があるという。

宮家)正教ですから、やはりカトリックとは違うわけです。

飯田)正教だから。

宮家)そして南から何が来るかというと、オスマン朝、オスマン帝国が来る。イスラムですからね。バルカン半島は、北はカトリックで南はイスラム、そして東ではロシアが虎視眈々と狙っている。

飯田)三方面から狙われる。

宮家)ユーゴスラビア自体も、チトーさんがユーゴスラビアの地域の独立を守るために、ソ連とは一線を画すという意味でつくった国ですから。そうなると、セルビアでは歴史的に苦しい契機がたくさんあったことがわかる。地政学的に難しいところで、よく生きのびてきたなと思います。この国はいろいろな知恵を学んできました。

交通の便がよくない

宮家)そして、意外と物価が安いです。ただ、一般にバルカン半島は交通の便がよくない。今回はイスタンブールからモルドバに行き、イスタンブールに帰ってきて、またセルビアに行き、またイスタンブールに帰ってきて、そして日本に帰ってきました。

飯田)モルドバとセルビアの間の直行便がなかったりするのですか?

宮家)あったのかも知れないけれど、見つかりませんでした。

飯田)第一次大戦のときにはヨーロッパの火薬庫などと言われていた……。

宮家)サラエボでしょう? いまはボスニア・ヘルツェゴビナにあります。

飯田)セルビアの隣。

「セルビアの弱点」を地政学からみる

【ロ軍に備えるウクライナ兵 南部州編入要請に猛反発】ウクライナ南部ヘルソン州の北方で、ロシア軍の侵攻に備えるウクライナ軍の戦車 2022年5月9日(ゲッティ=共同) 写真提供:共同通信社

地政学的に厳しい地域で生きのびてきた人たちは、重みがある歴史を持っている

宮家)今回は行けませんでしたけれどね。そのボスニア・ヘルツェゴビナの北にあるのが、クロアチアです。

飯田)サッカー日本代表が、次に決勝トーナメントで戦うのがクロアチアです。

宮家)行けずに残念でしたけれども。

飯田)それだけ民族も宗教も入り乱れるような場所。

宮家)クロアチアはカトリックでしょう。イタリアに近いですからね。そこはまた、セルビアとの関係も微妙です。

飯田)クロアチアは。

宮家)陸続きの国がどんなに大変か。少しでも気を抜いたら(外敵が)入ってくるわけだから。ウクライナもそうですよね。

飯田)そうですね。

宮家)隣にロシアがいる。今回は簡単に入ってこられなかったのでよかったけれども、陸上国境はあっという間に国境を越えられるわけです。そういう意味では、陸の国境という地政学的に厳しい地域で生きのびてきた人たちは、それなりに重みがある歴史を持っているのだと思いました。

外交上のバランスを取ることの難しさ

飯田)そういう環境のなかで生きのびてきた国は、外交に長けているのですか?

宮家)バランスを常に取らなくてはいけないわけです。ロシア側につきたい人もいるし、ヨーロッパになりたい人もいる。モルドバなどもそうですし、ウクライナもそうです。

飯田)なるほど。

宮家)陸上国境では、強い国が横にいると最悪ですから、バランスを取ることがいかに難しいか。日本とはまた違う意味のバランスですが、この民族からは学ぶものが大きいなと思いました。

候補国ではあるがEUに未だ入れないセルビア

飯田)バルカン半島の国々は、EUに入りたいと思っているのですか?

宮家)セルビアはEUに入れてもらっていないのです。

飯田)まだ入っていませんよね。

宮家)NATOに入るつもりはないと思いますけれど、EUには入りたいのではないでしょうか。

飯田)なるほど。安全保障はまた別なのですね。

宮家)候補国の1つですね。そのためにはコソボと話し合いなさい、協議しなさいとEU側に言われているのです。

飯田)EUに入るためには。

宮家)それがうまく進んでいない。コソボは基本的にムスリムですから、簡単にはいきません。なかなかEUには入れない状況のようです。

飯田)そのコソボに、ムスリムの人たちが入っていったというのも。

宮家)オスマン朝が北上してセルビアが上に逃げる。コソボにちょうど空白ができて、そこにアルバニア系の人が入ってくる。セルビア人からすれば、「なぜ入ってくるのだ」ということですけれど。

飯田)自分たちのルーツはあそこなのだ、と。

宮家)あそこなのですよ。重要な宗教施設等々は、みんなコソボにあると言われました。

飯田)セルビア正教においての。

宮家)コソボにもセルビア正教の歴史的な建造物などがたくさんあるわけです。複雑です。

日本人がここから学ぶこと

飯田)オスマン帝国は、最盛期にはウィーンまで行く勢いがあった。そのせめぎ合いのなかに常にいたということですね。

宮家)ウィーンに行くためには、セルビアを通っていくわけです。

飯田)ドナウ川を北上する形になりますものね。

宮家)アルバニアですとか。その意味では、昨日のことのようにオスマンの遺物が残っています。バルカン半島とは恐ろしい回廊だったのです。

飯田)我々が学べることはいろいろありますか?

宮家)島国とは違う感覚を、我々は知っていなければいけないと思います。

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