新井・村田・筒香・岡本……背番号「25」ホームラン打者列伝

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、これまでプロ野球で背番号「25」をつけた選手たちにまつわるエピソードを紹介する。

【プロ野球広島対DeNA】広島試合前練習 新井貴浩以外全員が着ていた背番号25のTシャツの背中側=2018年10月7日 マツダスタジアム 写真提供:産経新聞社

オフのこの時期は、よく背番号変更が発表されます。11月30日、中日ドラゴンズは2019年ドラフト1位・石川昂弥の背番号を来季(2023年)より「2」から「25」に変えると発表しました。チームの顔を意味する1ケタから25番へ。これはなかなか興味深い変更です。その意図を考えてみましょう。

石川昂は、愛知の名門・東邦高校でエース兼4番として活躍し、2019年、春のセンバツで全5試合に先発登板し5連勝。打っては3本塁打を記録し、チームを優勝に導きました。この年のドラフトでは、中日・オリックス・ソフトバンクの3球団が1位指名で競合。地元の中日が交渉権を引き当てました。

入団会見で「3冠王を目指す」と宣言し注目を浴びた石川昂。今季3冠王に輝いたヤクルト・村上宗隆のように早くから才能を開花させるのではないかと期待されていました。ところが……。

1年目(2020年)は春季キャンプ中に左肩腱板炎を発症して出遅れ、1軍出場は14試合に止まりました。2年目(2021年)は6月に2軍戦で死球を受けて左尺骨を骨折。1軍出場はゼロに終わります。

立浪和義新監督が就任した3年目の今季(2022年)は、開幕から三塁のポジションを与えられ、37試合で5本塁打を放ちながら、5月末、オリックスとの交流戦で左ヒザを負傷。これが思ったより重症で、7月に左ヒザ前十字じん帯の再建手術を受け、2年連続でシーズンを棒に振りました。

今季も貧打に泣いた中日。一発のある石川昂がシーズン通じてプレーしていれば、間違いなく20本は打ったでしょうし、得点力不足も少しは解消されたはずです。石川昂と同期入団の岡林勇希が、今季161安打を放って最多安打のタイトルを獲得しただけに、石川昂も悔しさはひとしおだったに違いありません。

来季(2023年)は、石川昂にとって勝負の4年目。当初、復帰は来年の夏ごろと見られていましたが、術後の回復ぶりは順調で、本人によると3月下旬の実戦復帰を目指しているとのこと。無理は禁物ですが、順調に調整が進めば前半戦に1軍復帰も期待できそうです。

立浪監督が明かしたところによると、「25」への変更は石川昂からの申し出だそうで、その意気やよしです。なぜなら「25」は、立浪監督がノドから手が出るほど欲しい「長距離砲の番号」でもあるからです。

これはあくまで筆者の印象ですが、入団時、石川昂の背番号が「2」と発表されたときに、少し“違和感”も覚えたのも事実です。

中日の「2」といえば、荒木雅博・現守備走塁コーチが現役時代につけていたイメージが強く、石川昂とはタイプが違います。他球団を見ても「2」は、巧打者や守備の名手、小技が利くタイプの選手が背負う番号、というイメージがあったからです。「25」の方が、石川昂には似合いの番号だと思います。

他球団の「25」というと、まず思い出すのは巨人・岡本和真です。今季、岡本和は5年連続で30本塁打を記録。2020年・2021年と2年連続で本塁打・打点の2冠王に輝きました。

岡本和は3年目まで、背番号「38」でした。入団時から「将来の4番候補」と期待されながら、3年間で打った本塁打はわずか1本……。まさに崖っ縁に追い込まれて4年目のシーズンを迎えます。

この年(2018年)は、岡本和にとって転機となりました。前年のオフ、主軸として活躍してきた村田修一(現ロッテ1軍打撃コーチ)が「チームの若返り」を理由に戦力外となり、村田の背番号「25」を岡本和がつけることになったのです。その意図は言わずもがな。岡本は奮起します。

2018年、岡本和はシーズン途中から4番に抜擢され、全試合に出場。「打率.309・33本塁打・100打点」と、主砲として申し分のない数字を残してみせました。背番号「25」が岡本和の自覚を促し、才能を開花させたのです。

岡本和に「25」を譲った村田も、この番号にこだわり続けた選手です。横浜ベイスターズ時代は、入団した2003年から2011年まで9シーズン「25」をつけてプレー。2007年・2008年と2年連続本塁打王に輝きました。巨人でも6シーズン「25」をつけ、独立リーグ・栃木に在籍した2018年を含めると、現役時代は16年間、ずっとこの番号で通しました。

村田が巨人にFA移籍したあと、空いた「25」を受け継いだのが、筒香嘉智です。地元・横浜高校から超高校級のスラッガーとして2009年、ドラフト1位で横浜に入団した筒香。1年目(2010年)の背番号は、同じ左打者の松井秀喜にあやかって「55」でした。

ところが、2年目は「8」に変わり、3年目(2011年)からは村田の「25」を受け継ぎます。「25」を背負った2012年、筒香は初の2ケタ本塁打を記録し、2014年以降は6年連続で20本塁打以上をマーク。2016年には44本塁打・110打点で2冠王に輝きました。

2017年、筒香が第4回WBCで侍の4番を打ったときの背番号も「25」でした。2020年、筒香のメジャー移籍が決まった際、DeNAは「25を準永久欠番扱いにする」と発表。「筒香が現役でプレーしている間は、他の選手がつけることはない」と明言しました。現在も「25」は空き番になっています。

これは筒香だけではなく、村田や、大洋ホエールズ時代の主砲・松原誠(1965年~1980年の16年間「25」をつけプレー、通算331本塁打)の功績もふまえての措置でしょう。この3人に匹敵する成績を挙げ「25」を継承するホームラン打者が現れる日を、ファンは心待ちにしています。

「準永久欠番」といえば、広島の「25」もそうでしたが、来季から復活することになりました。今オフに就任した新井貴浩新監督が、現役時代の「25」をそのままつけることになったからです。

新井監督は1998年、駒澤大学からドラフト6位で広島に入団。ドラフトでの評価こそ低かったものの、練習量では誰にも負けませんでした。1年目の1999年オフ、当時4番を打っていた江藤智が巨人にFA移籍。新井はこれを千載一遇のチャンスととらえます。長打力を磨き、やがてカープの4番に定着。7年目の2005年に43本塁打を放ち、初の本塁打王に輝きました。

2008年から阪神にFA移籍。新天地でも「25」をつけてプレーした新井。しかし目標にしていたリーグ優勝は叶わず、打撃タイトルは2011年に獲得した打点王のみ。2014年限りで阪神を退団し、古巣・広島へ8シーズンぶりに復帰します。

復帰1年目の2015年は「25」がふさがっていたため「28」でプレー。翌2016年から慣れ親しんだ「25」に戻りました。この年は39歳ながら、主砲としてチームを牽引。打率.300・19本塁打・101打点という成績で、広島を25年ぶりのリーグ優勝に導きMVPに輝きました。39歳でのMVP受賞はリーグ最年長記録です。

2018年、リーグ3連覇を花道に現役を引退。20年間で通算319本塁打を記録しています。以来「25」は4シーズン空き番になっていましたが、新井監督はこの番号を譲るにふさわしいホームラン打者を育てられるのか、その手腕に期待したいところです。

ちなみに、メジャーリーグでシーズン本塁打記録を作ったマーク・マグワイア、バリー・ボンズの背番号も「25」でした。この番号を自ら望んでつけた石川昂。来季はおそらくシーズン途中からの復帰になると思われますが、長期低迷からの脱却は3冠王を目指す石川昂のバットに懸かっています。

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