黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(12月12日放送)にプロフィギュアスケーターでタレントの村上佳菜子が出演。選手時代とプロになった現在の生活の違いについて語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。12月12日(月)~12月16日(金)のゲストはプロフィギュアスケーターでタレントの村上佳菜子。1日目は、現役選手とプロとの違いについて---
黒木)村上さんと言えば笑顔が素敵で、「佳菜子スマイル」という、弾けるような笑顔で彗星のように登場なさった印象があります。
村上)ありがとうございます。嬉しいです。
黒木)ジュニアのころからずっと活躍なさってきたのですよね。
村上)中学校3年生のときに世界ジュニアで優勝して、高校1年生からはシニアで浅田真央さんたちと一緒に大会に出るようになりました。そして大学1年生のときにはオリンピックがあって、という感じでした。
黒木)ずっとスケートをなさってきたのですね。
村上)3歳からずっとやっています。
黒木)いまはプロフィギュアスケーターとして活躍されていますが、選手時代とプロになられてからでは意識は変わりましたか?
村上)変わりましたね。現役時代は練習がお仕事だったので、「どれだけこの練習に100%の状態で臨めるか」という生活をしていました。
黒木)現役時代は。
村上)いまはお仕事もしながら練習もしなければいけない。そうなると、技術を維持することが大変ですね。私は現役時代5~6時間練習しつつ、トレーニングとダンスを習っていました。ほぼ起きている時間は体を動かしているというような感じでした。
黒木)学校はどうしていたのですか?
村上)練習の合間を縫いながら行ったり、試合前になると早退させていただいていました。試合中は行けませんでした。本当にスケート第一の生活をしていました。
黒木)そうですね。
村上)いまは、取れたとしても1時間しか練習の時間を取ることができないですね。そこでいままでやってきたことを詰めてやるということはとても難しいです。その上、現役選手が優先なので、貸し切り時間が取れなかいので、大変です。
黒木)その意味でのストレスはおありだと思いますが、全然違う生活になってしまったのですね。
村上)でも、いまの方が自由で楽しいです。
黒木)選手時代は食事管理から体調管理、メンタルの管理からありますからね。しかも10代ですからね。
村上)大変でしたね。毎日泣きながら練習をしていました。何をしていてもお母さんと先生に見張られているような。すぐにサボろうとするタイプだったので、いつも見張られていました。
黒木)でもその弾けるような佳菜子スマイルは、やはり踊っていて楽しかったということですよね?
村上)踊るのがすごく大好きで、小学生のころは芸人さんになりたかったのです。とにかく面白いことが大好きでした。笑ったときの表情はそこから来ているのかな、と思います。
黒木)スケートだけでなく、ダンスもやってらっしゃるから、リズム感のある踊りが個性的でしたが、そのようなところから来ているのですね。
村上)いろいろなジャンルのダンスを習いました。コンテンポラリーからバレエから、ウ、ヒップホップ、タップも習いましたし、器械体操も習っていました。すべてスケートのためにです。
黒木)1人で踊るのですものね。そのプレッシャーは忘れられないでしょう?
村上)何十時間も何百時間も練習してきたものを、1回の3分や4分で終わってしまうなかで、「すべてを出し切れるか」という緊張感の方が私は強かったです。しかし、引退してから全日本選手権を観客席で見ていたときに、皆さんが「このなかで1人で滑るのはすごいね」と言っていた意味が初めてわかりました。
黒木)当たり前のことだったのに。
村上)そうですね。
村上佳菜子(むらかみ・かなこ)/ プロフィギュアスケーター・タレント
■1994年11月7日生まれ。27歳。愛知県名古屋市出身。
■スケートをしていた姉の影響で3歳からスケ-トを始める。
■2009年、ジュニアグランプリシリーズ(JGP)ファイナルで優勝。
■2010年、世界ジュニア選手権で優勝。
■2010年~2011年シーズンからシニアのグランプリシリーズに参戦。アメリカ杯で優勝し、グランプリファイナルでは銅メダルを獲得。
■2013年、全日本選手権で総合2位。
■2014年、ソチオリンピックに出場。四大陸選手権では初優勝、世界選手権では5年連続5回目の代表入りを獲得。
■2017年4月23日に競技生活からの引退を表明。
■現在はプロフィギュアスケーターとしてさまざまなアイスショーで活動。またテレビやラジオでタレント活動も行っている。