坂東彌十郎 バレエ教室に通っていた幼少時代

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黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(12月20日放送)に歌舞伎俳優の坂東彌十郎が出演。これまでの俳優人生と、京都・太秦での幼少時代について語った。

坂東彌十郎 バレエ教室に通っていた幼少時代

坂東彌十郎/ 歌舞伎俳優

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。12月19日(月)~12月23日(金)のゲストは歌舞伎俳優の坂東彌十郎。2日目は、京都・太秦での幼少時代について---

黒木)長年、歌舞伎俳優として、活躍を続けられていらっしゃいます。お父様は、往年の銀幕スターの坂東好太郎さん。そのときに、お父様の関係で、京都の太秦に行かれたということなのですが。

坂東)そうですね、幼稚園のころです。

黒木)当時の太秦には、まだいろいろな方がいらっしゃったと思いますが。

坂東)「太秦幼稚園」という幼稚園へ行っていました。そのころ、「ボン、ボン」と呼んでよく遊んでくださった方々が、時代劇の撮影で行くと、それもずいぶん前ですが、最初のころは残っていらっしゃって、ずいぶんよくしていただきました。皆さん、「東映は怖い」とおっしゃるのですが、子どものころの遊んだイメージがあるので、楽しくいられますね。

黒木)京都のときに、バレエをしていらっしゃったということですが、それはどうしてですか?

坂東)5歳くらいで京都へ行ったのかな。それまでに日本舞踊の稽古はしていたのです。生意気だったのでしょうね。大人の人が黒田節を踊っていらっしゃるのを見て、「ぼくもあれをやりたい」と言ったら、「まだ早いからダメ」と言われて、それが気に食わなかったらしくて、「じゃあ、もう踊りやらない」と言ったのだそうです。

黒木)もうやらないと。

坂東)それからすぐに京都へ行ったのですが、まわりの女の子たちが、幼稚園のあと、バレエ教室をやるのです。それで、どうしてか「ぼくもやりたい」と。男は1人だけでしたね。

黒木)それはどのくらい続けられたのですか?

坂東)2年間くらいしたのではないでしょうか。

黒木)楽しかったですか?

坂東)タイツを履いて。楽しかったですね。まわりがみんな女の子だったから、楽しかったのでしょう。

黒木)それから、お父様の関係で、東京に戻られて。

坂東)小学校へ入るときです。父が歌舞伎に復帰することになったので。

黒木)東京に移られた。

坂東)歌舞伎を観たらやりたくなってしまったのですが、子どものころから大きかったので、子役には出られなかったのです。

黒木)17歳で初舞台を踏まれるまでは、舞台は。

坂東)していませんでしたね。踊りの会に出る程度で、歌舞伎役者としての活動はしていませんでした。

黒木)そうなのですね。18代の中村勘三郎さんや坂東三津五郎さんなどと……。

坂東)歳が1つ違いなので、よく誘っていただいて、よく遊びましたね。

黒木)羨望のまなざしでご覧になっていたと伺いましたが。

坂東)羨ましくてね。

黒木)そんなにもう、背が高かったのですか?

坂東)高かったです。初舞台のときには、いまの身長の183センチになってしまっていたので。

黒木)17歳のときに。

坂東)そうです。まあ着物の似合わない人間でしたね。

黒木)大きいと、所作など、さまざまなことで気を使われますよね。

坂東)苦労しましたし、周りからもずいぶん言われましたね。

黒木)そのときの励みになったことはありましたか?

坂東)「くそぉ」という思いがよかったのではないかと思います。

黒木)17歳でやはり歌舞伎をやりたいなと。お父様も歌舞伎に復帰されたから、素直に思われたわけですか?

坂東)どうしてあんなに歌舞伎が好きだったのか。いまでも好きですが。「大変だよ、お前。食っていけないかも知れないし、やめた方がいい」と父にも言われたのですが、「いや、どんなに苦労してもやりたい」と。どうしてあんなこと言ってしまったのかなと、いまは思いますが。

黒木)でもそれがよかったのですよね。

坂東)そうでしょうかね。

黒木)その後、市川猿翁さんのところに入られて、「宙乗り」で一世風靡されました。

坂東)あのころ、猿翁さんはさまざまな新しいことに挑戦されて、なおかつ、古典の復活にも意欲を持っていらっしゃいました。演出助手もさせていただいたので、本当にいい勉強になりましたね。

黒木)何年くらいいらしたのですか?

坂東)15年間です。25歳のときに、父が亡くなるまえに、私が「猿翁さんのところで勉強したい」と言ったら、父が直接電話して頼んでくれたのです。その半年後に父は亡くなったので、猿翁さんは、「遺言だと思って、あんたを預かるよ」と言って、そのあと15年間預かってくれたのです。

坂東彌十郎 バレエ教室に通っていた幼少時代

坂東彌十郎/ 歌舞伎俳優

坂東彌十郎(ばんどう・やじゅうろう)/ 歌舞伎俳優
■1956年(昭和31年)5月10日・東京都出身。屋号:大和屋
■往年の銀幕の大スター・初代坂東好太郎の三男として生まれ、昭和48年5月歌舞伎座『奴道成寺(やっこどうじょうじ)』の観念坊で坂東彌十郎を名のり初舞台。
■昭和53年2月『文七元結(ぶんしちもっとい)』の鳶頭役で名題(なだい)昇進。
■昭和58年から15年間、三代目市川猿之助の門下に入り、猿之助一門の若手で構成する21世紀歌舞伎組のメンバーとして活躍
■猿之助演出のオペラ「コックドール」等で演出助手を務め、坂東玉三郎の「夕鶴」では演出も務めた
■コクーン歌舞伎、平成中村座など、十八代目中村勘三郎との共演も多く、平成中村座の海外公演にも参加
■2014年坂東彌十郎・新悟自主公演「やごの会」を立ち上げ、日本橋劇場にて第一回公演を開催。また2016年にはフランス、スイス、スペインの3ヵ国を巡る「やごの会」ヨーロッパ公演を開催した
■映像作品でも活躍され、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では北条時政役を演じ、TBS「クロサギ」では主人公の復讐相手となる詐欺師を演じている

 

番組情報

黒木瞳のあさナビ

毎週月曜〜金曜 6:41 - 6:47

番組HP

毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳

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