山下達郎と上柳昌彦がラジオで綴る、優しさと力強さと希望

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2月18日(土)、深夜ラジオ「オールナイトニッポン」の55周年を記念した特別番組『山下達郎と上柳昌彦のオールナイトニッポン』(ニッポン放送・9時~11時)が放送され、山下達郎と上柳昌彦の2人が、レギュラー担当当時の想い出や、手がけた楽曲に関するエピソードを語った。

山下達郎と上柳昌彦がラジオで綴る、優しさと力強さと希望

若かりし頃、オールナイトニッポン2部のパーソナリティを担当した2人。これまで上柳の番組に山下がゲスト出演するなど共演経験はあったが、タッグを組み、ツインパーソナリティとして番組を担当するのは今回が初めて。上柳が「達郎さんに出演いただけると思っていたら、上柳昌彦と書いてあって、なんで俺がここに出てるの?というのが正直なところ」と打ち明けると山下は「お手伝いさせていただきます」と返すなど、軽快なやり取りで番組はスタートした。

番組は、リスナーから寄せられた「2人で話して欲しいトークテーマ」を基に進行。1976年1月から9月までオールナイトニッポン2部を担当した山下達郎は、選曲がマニアックすぎて、当時のプロデューサーから「10曲かけるなら7曲は誰でも知っている曲をかけて欲しい」と注意されたという。山下が「僕はミュージシャンなんです。自分がかける曲は自分のミュージシャンとしてのアイデンティティだ」と主張し、The Beach Boysを担当期間に全曲流したエピソードが語られた。

オールナイトニッポンは55周年を迎えるが、上柳から「55年前の15歳の時は何をしてましたか?」と聞かれると、「ブラスバンドでドラムをやっていて、夢中になっていました。OBが音大の人だったから、ちゃんとレッスンを受けて。ドラムしか習ったことないんですよ」と、ギターやピアノは独学だったことを明かした。

オールナイトニッポンは始まったときから聴いていたといい、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」、文化放送の「セイ!ヤング」、深夜放送の創成期をリアルタイムで聴いてきたと話すと、山下より5歳年下の上柳は「僕は(当時)小学生だったんです。惜しい!」と、社会現象としての深夜放送は知っていたが、起きていられず聴けなかったことを悔しんでいた。

山下達郎と上柳昌彦がラジオで綴る、優しさと力強さと希望

山下達郎

様々な年代の“あの頃”を振り返るなか、山下は「40代から50代がいろいろありまして。思うように作品が作れないのと、思うようにライブができない。当時はレコードが主なので、レコードを出せないとライブが出来ないんです。いまはレコードを出さなくても毎年ツアーやりますけどね。当時は新譜が出て、そのプロモーションという意味で全国ツアーが位置づけられていて。レコードが出ないとツアーもできなくて、どんどん悪循環になって。だから空白の10年みたいなのがあって、特に90年代、それをどう克服しようかと悩んで。50代を迎えてようやくツアーが再開できた。40代がいちばん辛かったですね」と苦しかった時代を明かした。

中野サンプラザホールで働いているリスナーからのメールが紹介されると、その話題に。1980年5月1日、「RIDE ON TIME」の発売日に初めて中野サンプラザホールでライブをしたという山下。そこから春と年末にそれぞれ3日間公演することが4年ほど続き、自身のホームグラウンドになったという。フルオーケストラを想定して設計されたため、舞台に奥行きがなく、音の曲がりこみが辛いそうで、そのため、オーケストラピットの部分を少し前に出していることを明かすと、上柳は「達郎さんのライブの時は、すごく空間があるんですよね。贅沢な使い方で。音のためにやってたんですか?」と驚きの様子。山下は「あれじゃないとできない」と、音のために前の席を120席ほど潰してステージを広げていると話した。ほかにも楽屋の隣にあった貴賓室に入りたかったが断られた話を披露すると、上柳は「達郎さんにツアーコンダクターになってもらって、中野サンプラザを巡る番組をやってみたいですね」と今年7月に閉館する中野サンプラザに思いを馳せた。

また、番組では、リスナーに募集した「山下達郎が関わった楽曲リクエスト」をもとに、様々な楽曲をオンエアした。Kinki Kids「硝子の少年」ではジャニー喜多川氏とのエピソードが語られた他、アン・ルイス「恋のブギ・ウギ・トレイン」では、アルバム「ピンク・キャット」のレコーディングに参加した錚々たるミュージシャンが「譜面通りにやってくれない。言うことを聞いてくれない(笑)」とこぼしながら、「でも基本的に守れるところと逸脱するところの塩梅っていうのが一流と二流の差」と語ると、上柳は「逸脱していいところといけないところがわかっている、これがプロなんですね」と、そのエピソードに感動した。

山下達郎と上柳昌彦がラジオで綴る、優しさと力強さと希望

上柳昌彦

リスナーからは「1月に亡くなられた高橋幸宏さんについて話してほしい」というリクエストも多数寄せられた。山下は「みんなスタジオミュージシャンとして仕事をしていた時代なんですよね。幸宏さんはサディスティック・ミカ・バンドのあとからYMOまで、スタジオワークという形で、坂本(龍一)くんも(細野)晴臣さんもみんなそういう形でやっていて。僕は専門がコーラスだったので、コーラスのスタジオでけっこう仕事をしていたんです。その時代にいくつか幸宏さんと交錯して。それから彼らはYMOの活動を始めて、僕は「RIDE ON TIME」からツアーが始まって、だんだんみんなスタジオから遠ざかってクロスオーバーが少なくなってきたんですが……」と当時を想い返し、高橋幸宏がドラムを演奏している山下達郎唯一のトラックである「RAINY WALK」をオンエアした。

さらに山下は、恩人でもある大瀧詠一とのデュエット曲も選曲。「私の母は仙台出身なんですけど辿っていくと母方の先祖は岩手の江刺なんです。大瀧さんは江刺の生まれなのですが、僕ら結構声が似てるし顔も似てるんですよね。ひょっとしてどこか姻戚関係あるんじゃないかって思ったりして」と笑わせ、「ラジオの特番で、大瀧さんとデュエットしたときに、フリートウッズという、女性2人男性1人のボーカルグループの一番有名な「ミスター・ブルー」という曲を、僕が女性役になって大瀧さんが男性役になってダビングしました。それをお聴きいただきます」と当時のライブ音源をリスナーに届けた。

健康をテーマに語った後、番組の最後に選んだリクエスト曲は、山下達郎の「希望という名の光」。「仕事でも、家庭でも、苦しいときはこの曲を聴いて元気をもらっていました。2011年、東日本大震災で日本が苦しい時も、ラジオから流れてくるこの曲に励まされました。達郎さん、2023年も世界中が大変な状況ですが、希望を持ち続けないとダメですよね」というリスナーのリクエストが紹介され、山下が「その通りです。希望を持ちましょう!」とコメントし、想いをのせてフルコーラスでオンエアした。

エンディングでは、上柳が「贅沢な時間を過ごさせて頂きました」と感想を述べると、山下は「こちらこそ。機会があればまた是非!」と語る。2人がラジオで綴った、優しさと力強さと希望。2人だからこそできるその2時間は、リスナーにとってもかけがえのない時間となった。

■楽曲オンエアリスト

【オープニングテーマ】
Bittersweet Samba/ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス
【本編中オンエア楽曲】
RIDE ON TIME/山下達郎
パレード/シュガー・ベイブ
Don't Worry Baby/The Beach Boys
硝子の少年/Kinki Kids
DOWN TOWN/シュガー・ベイブ
恋のブギ・ウギ・トレイン/アン・ルイス
恋は流星 PartII/吉田美奈子
RAINY WALK/山下達郎
ミスター・ブルー(LIVE音源)/大瀧詠一&山下達郎
希望という名の光/山下達郎
【エンディングテーマ】
Shining From The Inside/山下達郎

山下達郎と上柳昌彦がラジオで綴る、優しさと力強さと希望

<特別番組概要>
■番組名:オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル『山下達郎と上柳昌彦のオールナイトニッポン』
■パーソナリティ:山下達郎・上柳昌彦
■放送日時 :2023年2月18日(土)9:00~11:00
■Radiko URL:https://radiko.jp/share/?sid=LFR&t=20230218090000

番組情報

オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル

2月17日(金)18:00-2月19日(日)25:00

番組HP

1967年10月の放送開始以来、ラジオの深夜放送として55年に渡り、才能豊かな数々のパーソナリティを見出し、常に時代の最先端を見つめ、新しい話題や文化を発信してきた、深夜の解放区「オールナイトニッポン」。番組の放送開始55周年を記念し、2月17日(金)18時から2月19日(日)25時までの55時間にわたり、 特別番組『オールナイトニッポン55時間スペシャル』を放送します!

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