侍の4番・村上宗隆が破壊宣言! WBCは「1つの小さな壁」
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、侍ジャパンの主砲、東京ヤクルトスワローズ・村上宗隆選手とWBCにまつわるエピソードを紹介する。
いよいよ開幕が近づいてきた野球世界一決定戦・WBC。2月17日から宮崎で侍ジャパンの合宿も始まりました。投手陣で話題を独占しているのが、メジャー組で唯一、合宿から参加しているパドレス・ダルビッシュ有ですが、野手で注目はやはりこの人、令和初の3冠王、ヤクルト・村上宗隆です。
17日の合宿初日には、パ・リーグ2冠王の西武・山川穗高、5年連続30本塁打以上の巨人・岡本和真とともにフリー打撃を行い、宮崎に詰めかけた1万8541人のファンを魅了しました。村上が登場した瞬間、スタンドから拍手が起こったほどで、それだけ期待も高いということです。
3人はポンポンと外野スタンドにアーチを掛け、まるで花火大会の様相。めったに観られない豪華共演に、ファンも拍手喝采で大喜びしていました。
『たくさんのお客さんが足を運んでくれて、僕たちを見に来てくれている。そういう期待に何とか応えていければと、きょう改めて感じました』
~『サンケイスポーツ』2023年2月18日配信記事 より(村上のコメント)
21日には実戦形式の打撃練習が始まり、ダルビッシュが打撃投手として登場。村上との“初対決”が実現しました。この勝負は4球の予定で始まり、村上は初球を空振り。2球見送ったあとの4球目、ダルビッシュが投じたストレートを振り抜くと、高々と上がった打球はバックスクリーンを直撃! スタンドからは歓声とどよめきが起こりました。
4人の打者と対戦したダルビッシュ。その後、村上が再び打席に入り、第2ラウンドが始まりました。どうやらこれは予定外だったようで、結果はファーストゴロ、レフト前ヒットで引き分け。粋なファンサービスに、ファンは大喝采を送りました。この2人が同じユニフォームを着て戦うというだけでもいまからワクワクします。
その村上自身も、以前からWBCへの熱い思いを口にしていました。今年(2023年)1月、自主トレを公開した際にも、こうコメントしています。
『小さい頃からWBCの舞台に憧れていて、格好いいなと思って野球を始めた。(侍ジャパンで)4番を打ちたい思いはすごくある』
~『サンケイスポーツ』2023年1月7日配信記事 より(村上のコメント)
そう、村上にとってWBCは野球を始めた原点でもあるのです。この「小さいころから憧れていて」という言葉には、感慨深いものがあります。そもそもこの大会は、野球の面白さを世界中にアピールし、野球人口を増やし、次代を担う選手たちの育成につなげるために始まったのですから。2006年の第1回大会から17年。WBCの成果は、こうしてしっかり出ているのです。
ところで、村上が少年時代に観て憧れたWBCとは、2009年の第2回大会です。当時、村上は9歳。決勝は日本vs韓国というアジア同士の対決になりました。3-3で迎えた延長10回、韓国の林昌勇(当時ヤクルトに在籍)からイチロー(当時マリナーズ)が決勝タイムリーを放ち、日本は第1回に次ぐ連覇を決めました。そのとき、最後を締めたのがダルビッシュです。
『ちょうど、兄ちゃん(友幸さん)の野球部の集まりの時で、みんなで携帯で見ていた。すごく興奮した覚えがあります』
~『スポーツ報知』2023年2月15日配信記事 より(村上のコメント)
熊本の公園で、歓喜の瞬間を目撃した村上少年。その後、6年生になった彼は、小学校の卒業文集にこう記しました。
『WBCに選ばれて世界で活躍したい』
~『スポーツ報知』2023年2月15日配信記事 より
つまり、侍ジャパンに選ばれ、世界の舞台で活躍することが村上の夢であり、野球に打ち込む原動力になっているのです。高校時代(熊本・九州学院)も、2017年、3年生のときにU18ワールドカップ日本代表(高校日本代表)として侍のユニフォームを着たいと願っていましたが、無念の代表漏れ。このとき代表に選ばれたのが、日本ハム・清宮幸太郎や、ロッテ・安田尚憲です。
『(文集に)書いたことはプロに入ってからもずっと覚えている。中学、高校と日の丸を背負えなかったので、プロに入ったら日の丸を背負って戦いたい思いはすごくあった。注目されるのは清宮や安田で、そっちが輝いて見えたし、いろんな思いがあったなかでの今回のWBCなので、すごくうれしい』
~『スポーツ報知』2023年2月15日配信記事 より
高校時代に味わった悔しさをバネに、プロ入り後は同期の2人に圧倒的な差を付け、いまや押しも押されもせぬ「侍の4番」になった村上。侍での国際大会は2021年の東京五輪で既に経験し、決勝の米国戦では本塁打を放って金メダルに貢献していますが、あのときは「8番」で出場。4番は鈴木誠也(現カブス)が担っていました。4番として臨む国際大会は、村上にとってこれが初めてになります。
昨シーズン(2022年)終了後、11月に行われた侍ジャパン強化試合で、村上はついに念願だった侍の4番に座りました。日本シリーズが終わった直後で、疲労もたまっていたはず。しかし村上は、レギュラーシーズン終盤からの不調を忘れたかのように、日本ハム戦・巨人戦(2打席連続で2発)・豪州代表戦と3試合連続、計4本塁打を放ってみせました。やはり侍のユニフォームを着ると、特別な力が湧いてくるようです。
『自分自身、日本シリーズでなかなか調子が上がらない中、強化試合を迎えましたが、やはり(試合を)やっていくうちに、日の丸を背負って4番を打ちながら自分の中ですごく色々な想いがありました。強化試合ですが、なんとかチームを勝たせなければいけないと思って試合に臨んでいたので、いい成績を残すことができてすごく良かったと思います』
~NIPPON EXPRESS「侍ジャパン」応援特設サイト(2022年11月28日配信記事 より)
目標はもちろん、3大会ぶりの世界一。2009年の第2回大会以来、14年ぶりの頂点になります。その14年前の決勝戦こそ、公園で兄たちと携帯のワンセグで観た試合。その舞台に、俺はついに立つんだと、村上は燃えています。
ただし、村上の野球人生において、それはあくまで「通過点」に過ぎません。WBCが終われば、ヤクルトでのリーグ3連覇、日本一奪回、2年連続3冠王、シーズン最多本塁打(日本記録を更新する61号)への挑戦……さらにその先には、村上が熱望し、球団も容認している2025年オフ、ポスティングによるメジャー移籍も待っています。今回のWBC、メジャーのスカウト陣も村上に熱い視線を注いでいます。
『一人の野球人として当たり前に声を出す、全力疾走する、しっかり練習することをやっていくだけ。まだまだ僕の野球人生は長いので、今の目標はそこじゃなく、もっと先、もっと上にある。これ(WBC)は1つの小さな壁として壊していきたい』
~『スポーツ報知』2023年2月15日配信記事 より
WBCは、少年時代からの夢ではあるけれど、それは「1つの小さな壁」に過ぎないと言い切った村上。壁を壊し、14年ぶりの栄冠をつかむ1発をファンは期待しています。