「LGBT理解増進法」成立の先にある「これからの問題」
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中央大学法科大学院教授で弁護士の野村修也が6月16日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。LGBT理解増進法について解説した。
「LGBT理解増進法」と「防衛財源確保法」が成立
飯田)国会は6月21日まで動きますが、そのなかで終盤の焦点とされていた2つの法案が委員会を通過し、16日の参院本会議で成立しました。LGBT理解増進法と防衛財源確保法ですが、LGBTに関する法律は与党内でも揉めていました。
「性自認」勝手に自分の性を決めれば、好きに行動できるのではという懸念も ~女性のスペースも守るべき
野村)揉めていましたね。「性自認」という言葉を法律のなかに書くと、勝手に自分がどういう性なのかを決め、好きに行動できるように読めるのではないかという発想が1つありました。
飯田)性自認という言葉だと。
野村)また、「女性のスペースもきちんと守る必要があるのではないか」ということが論点だったのですが、それぞれ盛り込まれることになりました。ただ、気になるのは「性自認」という言葉です。もともとの原語、英語では“Gender Identity”なのですが、この言葉を「性同一性」と訳す人もいれば、「性自認」と訳す人もいる。日本語をどちらにするかという問題もあったのですが、なぜか「カタカナで書けば丸く収まる」ということで、カタカナで表記されることになったのです。しかし、本当に丸く収まったのでしょうか。
法文のなかにカタカナが入ることは珍しい ~「性自認(ジェンダーアイデンティティ)」
飯田)結局、受け取る人によって解釈が変わる部分が残ってしまった。
野村)残っていますね。法律学者として思うのですが、法文のなかにカタカナが入るのは本当に珍しいのですよ。例えばコンピューターは「電子計算機」、デジタルデータは「電磁的方法」と書いてあるのです。
飯田)そうなのですか。
野村)日本語に直しているのだけれど、カタカナのものもいくつかあります。これまでは、「日本語として定着しているカタカナ用語は使おう」という方針になっていたのです。それに比べると「ジェンダーアイデンティティ」は初めて聞くという人もいるので、イレギュラーな法文になっています。
建造物侵入は「生物学的な性によって、それぞれの使用する場所を決める」 ~女湯に生物学的に男性である人が入れば刑事罰を受ける
飯田)自分がそうだと思えば行動できるという点について、お風呂やトイレに関して懸念点が示されていました。法律ができることによって、これらは変わるのでしょうか?
野村)ほとんど変わらないと思います。先日も銭湯で女性用浴場に入った男性がいて、その人は「自分は女性だと思っている。だから無罪だ」と主張していますが、これは難しい。なぜ難しいかと言うと、建造物侵入になるからです。
飯田)そちらの法律なのですね。
野村)建造物侵入というのは、管理者が「この施設をどう管理するか」というルールを決めたら、そのルールに従わない行為はすべて建造物侵入になるのです。現在だと、ルール上は「生物学的な性によって、それぞれの使用する場所を決める」というルールになっています。
飯田)男湯、女湯と。
野村)それに違反すると、管理者の管理方針に合わないので「勝手に入った」という扱いになり、刑事罰を受ける形になると思います。
この先は、法の運用で判例を積み重ねることによって固まっていくことに
飯田)今後は理解増進法と、建造物侵入なりがぶつかることも予想されますよね?
野村)ぶつかることもあります。ただ、理解の促進だけを定める法律なので、「そういう人もいるかも知れないけれど、この場所はそういう方が使用してはいけません」という形になる。法律ができたからと言って、すべて認めなければならないという話ではありません。
飯田)この先は法の運用で、判例を積み重ねることによって固まっていくのですか?
野村)そうですね。場合によっては違法性が阻却されることもあるかも知れません。でも、それは法律のあるなしに関わらず、時代の変化のなかで違法性にも変動が生ずることはあります。
飯田)時代の変化のなかで。
野村)例えば女性用トイレに男性が入ってくるような問題において、それを不安に思う人がいるため、今回の法律のなかでも「不安が生じないようにする」という内容が書き込まれています。
飯田)その辺りは、維新や国民民主党が出した対案に書き込まれていました。それをある意味、与党側が飲んだ。
女性が感じるような不安などについて議論できることが大切
野村)そうですね。法律ができたことによって、一方では「そういう利益にもきちんと配慮する」ということが書かれたのです。ただ、海外の例を見ると、この種の法律の変化によって女性が不安を感じる場合、それを防止するような運動をしている人もいるのです。
飯田)海外では。
野村)社会の多様性という意味では、そういう声を聞いていくことが必要なので、「それをきちんと議論できるかどうか」が大事です。
漠然とした内容の法律だと、地方自治体が厳格な条例をつくってしまう可能性も ~「この問題をどう扱うか」という議論が熟していない
野村)非常に漠然とした法律において、今度は地方自治体が厳格な条例をつくってしまったり、とても厳格な教育を始めてしまうかも知れない。それをどのように防ぐか……。争点はそちらに移っているのではないでしょうか。
飯田)ある意味、運用の部分で「こういう事例が出たらどうなるのか」という内容を、1つずつ議論していく。それも地元に住んでいる方々が行うことになるわけですか?
野村)本来なら、国民的に議論しなければならないと思います。それを見逃していると、いつの間にか偏った教育が行われていたり、極端に偏った施設がつくられてしまうような事態が起こり得るのです。逆にそういうものが出てきて、「そうしなければならない」というようなルールができてしまうと、大変住みにくい社会になってしまう可能性があります。
飯田)そうですね。
野村)今回の法律は、最終的にはやや「スカスカ」になった部分があり、対立部分をそぎ落としたような感じになっている。結局、問題はまったく解決されていないのです。日本社会で「この問題をどう扱うか」について、議論が熟していません。
飯田)まだ腹落ちしていないですね。
野村)議論を進めなければいけないと思いますが、自治体が独自に進めてしまうと「大変なことになる」という気がします。
飯田)一方で江戸時代の衆道など、ある意味、共存して進んできた歴史があります。宗教的な禁忌なども含め、日本社会でこれまで問題があったのかと言うと、そうでもない。その辺りを考えると法律はつくるけれども、この先は話し合いですよね。
野村)基本的に社会がおおらかであるかどうか、というだけの問題なのです。法律で「これはいい、これは悪い」などと考え始めると、わけのわからないことになると思います。
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