話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、今季限りでの現役引退を決断した読売ジャイアンツ、松田宣浩選手にまつわるエピソードを紹介する。
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『「熱男」という言葉にも、感謝の気持ちを伝えたいなと思います。「熱男」という言葉に出会い、ジャイアンツでも「熱男」という言葉とともに頑張ってきました。今でも私の大好きな言葉です。これからもよろしく。ありがとう』
~『スポニチアネックス』2023年10月1日配信記事 より(松田宣浩の言葉)
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10月1日、巨人対ヤクルトの試合後に行われた、“マッチ”こと“熱男”こと松田宣浩の引退セレモニー。ソフトバンクで17年、巨人で1年の18年間に渡って球界を席巻してきた男の別れの儀式は、涙あり、笑いありの空間となった。
松田自身が「巨人で1年しかプレーしていない自分にこのようなセレモニーを……」と語った通り、在籍1年での引退セレモニー実施は確かに異例だ。逆に言えば、その“異例さ”が納得できるほど、松田宣浩は2010年代の球界を語る上で欠かせないホットコーナーの主だった。
加えれば、たった1年でも、出場機会は限られていても、巨人に残したものは小さくない。振り返れば3月、春季キャンプの打ち上げで原監督が語った言葉にも、その影響力の大きさは端的に示されていた。
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『われわれも触発されるぐらいの素晴らしい気合、集中力。改めてわれわれも勉強になった』
~『サンスポ』2023年3月5日配信記事 より
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今回の引退セレモニー後、改めて原監督は、松田の存在の大きさについてこんな言葉を残している。
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『最後の最後までこう、なんていうか、野球少年のようなね、非常に勝つということにね、今日でも一番勝ちを願っていたようなね、我が軍には非常に必要なメンタルかなと改めて思いました』
~『スポニチアネックス』2023年10月1日配信記事 より
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周囲に与えるメンタル的な影響力の大きさ……それはプロの本懐ではないかも知れないが、“熱男”松田宣浩という人間の魅力でもある。
そんなメンタルモンスターの影響力は他球団にも。実は今季、セ・パで首位打者を獲得しようとするDeNAの宮﨑敏郎とオリックスの頓宮裕真は、ともに“熱男塾”出身。2020年以降、毎年1月の自主トレで一緒に汗を流してきた関係性なのだ。
松田と頓宮は亜細亜大の先輩後輩の間柄だから、というのはわかる。一方、宮﨑は当時、すでに首位打者のタイトル獲得(※2017年)経験者。それでもなお、さらなる高みを目指す上で、ベテランになっても愚直に体をいじめ抜く松田の姿に感銘を受けての自主トレ参加だった。
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『あれだけのベテランの方が、どういう考えで(トレーニングを)やられているのか気になった』
~『BASEBALL KING』2020年1月17日配信記事 より(宮﨑敏郎の言葉)
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トレーニング内容は「根性」を重視しつつ、坂道ダッシュや階段ダッシュを繰り返し、さらにウエートトレーニングにも力を入れることで、1年間を戦い抜く体の土台をつくり上げる、というもの。そのスパルタ式自主トレの狙いについて、松田自身は以前、こう語ったことがある。
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「技術を磨くのは1月の後半でいい。もっと言うと2月のキャンプに入ってからでもいい。プロの世界は、気が付けば目の前の技術に走って、原点を忘れる。特にシーズンが始まると結果を求めて、より技術に走ってしまう。だから1月は、とにかく身体をいじめて心身ともに体力をつけるんです。いつしか『鍛える』ということを忘れがちになる世界だから、僕ももっと鍛えないといけない。『走る』が原点ですね」
~『Number Web』2020年1月20日配信記事 より
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このまま宮﨑、頓宮が首位打者のタイトルを獲得すれば、これ以上ない球界への置き土産となるのではないだろうか。そして松田が引退したあとも、宮﨑や頓宮たちによって『鍛える原点』の厳しいトレーニングも受け継がれていくはずだ。
一見すると、少し時代遅れかも知れない松田の熱い生き様。でも、それは“古臭い”わけではなく普遍的なもの。だからこそ、チームの垣根を越えて伝播し、多くの野球ファンの心も捉えて離さなかったのだろう。そんな松田を「最後の昭和の野球選手」と評したのは原監督だった。
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『最後のある意味、昭和の野球選手っていう感じじゃないのかな。あとでいろいろ聞くと、すごくジャイアンツファンだったらしいね。それをみじんのかけらも見せないのはやっぱりプロだなあと。見事な18年だったと思います』
~『日刊スポーツ』2023年9月28日配信記事 より(原監督の言葉)
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